【科学者#043】長年の苦労の末に蒸気機関を改良し莫大な財産を築いた仲間思いの発明家【ジェーム・ズワット】
18世紀半ばから19世紀にかけて、様々な産業の革命と石炭によるエネルギーの革命が、ヨーロッパ中心に起こりました。
このことを産業革命と呼ぶのですが、この産業革命の中でも特に重要な事柄のひとつ言えば、蒸気機関の発明になります。
今回は、長年の苦労の末に蒸気機関を改良し莫大な財産を築いた仲間思いの発明家であるジェーム・ズワットについて紹介します。
ジェームズ・ワット
名前:ジェームズ・ワット(James Watt)
出身:スコットランド
職業:発明家
生誕:1736年1月19日
没年:1819年8月25日(83歳)
業績について
ワットは、イギリスの発明家トーマス・ニューコメンのニューコメン式蒸気機関を改良して産業革命の進展に貢献しました。
当時ワットは、ニューコメン式蒸気機関ではシリンダーが冷却と加熱を繰り返しているために、熱を無駄にしていることに気付きました。
そこで、蒸気機関中の凝縮器という部分を分離することで、この問題を解決しようとします。
実は、仕事率や電力などを表す単位であるワット(W)は、1889年にイギリス学術協会の第2回総会でワットの名前にちなんで名づけられました。
生涯について
ワットの父親は船大工で貿易商人でした。
そして母親は名門の出で教養があったので、ワットは小さい頃は学校には通わずに母親から勉強を学んでおり、この頃に手先の器用さや数学の才能を開花させます。
18歳のときには母親がなくなったり、父親が体調を崩したりします。
そこで、ワットは計測機器の製造技術を学ぶためにロンドンへ行き、通常4年かかるところ1年で学び終えます。
その後は、スコットランドに戻り機器製造の事業を始めるべく主要商業都市グラスゴーに移住します。
しかし、グラスゴーのギルドは最低7年の徒弟修業をしていないと開業はできなかったので、ワットの開業申請は却下されます。
そんな時に、グラスゴー大学に導入された天文学機器の調整のため、大学はワットにその調節を要請します。
そして大学側はワットの働きに満足して、ワットに大学内に小さな工房を設けることを提案します。
実は、この時に提案をした人たちの中に、将来友人となるジョゼフ・ブラック(1728 – 1799)がいました。
1757年にはアダム・スミス(1723-1790)などの協力により、大学構内に工房ができます。
1764年にはマーガレット・ミラーと結婚するのですが、1772年にはマーガレットは亡くなってしまいます。
その後1777年には染料工の娘であるアン・マクレガーと再婚します。
1761年に友人を通じて蒸気機関を知り、興味を持ち、設計を試み実験を行います。
1765年には改良を重ねていき実際に作動する蒸気機関の模型を作製し、蒸気機関の設計を完成させます。
しかし、特許取得のためなど多額の資金が必要になり、測量士、土木技師として働くことになります。
さらに、蒸気機関のピストンやシリンダーの加工にも困難します。
この加工の問題は、のちにマシュー・ボールトンを介して最良の鉄鋼職人と取引をすることができ解決することができます。
1776年には、鉱山の立坑底部(たてこうていぶ)に取り付けたポンプロッドに上下運動を伝えるものが組み上がり、この製造に追われることになり、蒸気機関に割くことができる時間が減ります。
1794年には、ワットとボールトンが蒸気機関製造会社であるボールトン・アンド・ワット社を設立し、ボールトンが商才を発揮して財産を築きます。
この会社が1824年までに製造した蒸気機関の通算台数は1164台で、馬力は26,000に達したと言われています。
1800年にはワットは引退し、ボールトンとの契約関係も終了するのですが、2人の協力関係は彼らの息子たちに引き継がれます。
引退後のワットは、自宅の屋根裏部屋を工房に改造し、望遠鏡を使った新しい距離測定機の開発や、石油ランプの改良、蒸気式絞り器などに取り組み、そして83歳で自宅で亡くなります。
ジェームズ・ワット
ワットは、仲間と思慮深い討論を行う人物だと言われ、自らの視野を広げることに関心を持ち、友人とは良い関係を長く続けることができました。
しかし、実業家としてはあまり有能ではなかったようで、特に交渉を嫌っていました。
健康面では、神経症の頭痛と鬱屈に長年悩まされていました。
そんなワットのことを、第24回で紹介したハンフリー・デービーは次のように言っています。
「ジェームズ・ワットのことを実務的な機械屋だと考えている人は、彼のキャラクターをひどく誤解している。同様にワットは自然哲学者とも違うし、科学者とも違う。発明品を見れば、ワットがこれらの科学分野の豊富な知識と天才的なキャラクターを持っていることを見て取れるし、そしてそれらが合わさって実用化が果たされているのも分かるだろう」
子どもの頃は家庭で主に学び、その後は通常よりも早く技術を身に付けて、蒸気機関を改良し莫大な財産を築きました。
そして、引退したあとも意欲的に自宅の工房で発明を続けたワットは、現在の機械技術の発展にはなくてはならない人物ではないかと私は思います。
今回は、長年の苦労の末に蒸気機関を改良し莫大な財産を築いた仲間思いの発明家であるジェーム・ズワットについて紹介しました。
この記事で、少しでもワットについて興味を持ってもらえたのなら嬉しく思います。