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【科学史年表】1650年~1699年


1650年

オットー・フォン・ゲーリケ 真空ポンプを発明
ジョヴァンニ・カッシーニ(25歳)ボローニャ大学の数学と天文学の教授に任命
1月ルネ・デカルト 女王のため朝5時から講義を行う
2月11日ルネ・デカルト(53歳)死去(風邪をこじらせ肺炎を併発)

1652年

ジョヴァンニ・カッシーニ 3年間彗星を観測
ピエール・ド・フェルマー 刑事裁判所で最高レベルに昇進

1653年

ピエール・ド・フェルマー 誤って死亡が報告される
ロバート・ボイル 多額のお金が手に入る
8月アイザック・ニュートン 母親がニュートンのところに帰ってくる

1654年

オットー・フォン・ゲーリケ 真空ポンプの科学ショーのデモンストレーションを行う
ロバート・ボイル オックスフォードに住む
クリスチャン・ホイヘンス レンズを研削し磨くための新しい方法を考案
アントニ・ファン・レーウェンフック(22歳)デルフトに戻りバーバラと結婚

1655年

アイザック・ニュートン グラマースクールに入学
3月25日クリスチャン・ホイヘンス タイタンを発見
10月ジャン・ピカール コレージュ・ド・フランスの天文学の教授となる
10月24日ピエール・ガッサンディ 死去

1656年

クリスチャン・ホイヘンス 土星の輪を発見
クリスチャン・ホイヘンス サイクロイド振り子時計の特許を取得
ブレーズ・パスカル(1656年-1657年) 『プロヴァンシアル』を発表
11月8日エドモンド・ハレー誕生

ハレー

ハレーは、自分がくることを予測したハレー彗星を見ることなく亡くなります。
天文学という学問の時間的感覚は途方もなく長く、自分で結果を知ることができず、未来に自分の研究を託しハレーは亡くなったことになります。
天文の業績の他にも、その当時でもかなり有名で、歴史的にも重要なニュートンのプリンキピアを出版へ導き、支援したのがこのハレーになります。

1657年

ロバート・ボイル オットー・フォン・ゲーリケの空気ポンプについて目にする
6月3日ウィリアム・ハーヴィ(79歳)死去(脳出血)

1659年

アイザック・ニュートン 学業を途中でやめて実家に帰る

1660年

クリスチャン・ホイヘンス パリへ移動
アントニ・ファン・レーウェンフック(28歳)デルフトの議会の管理官に任命される

1661年

ロバート・フック 毛細管現象に関する本を出版
ゴットフリート・ライプニッツ(14歳)ライプツィヒ大学に入学
アイザック・ニュートン トリニティ・カレッジに入学

1662年

ロバート・ボイル ボイルの法則を提唱
3月ヨハネス・ヘヴェリウス 妻のカリーナが亡くなる
8月19日ブレーズ・パスカル死去
11月5日ロバート・フック ロンドン王立協会の実験主事に任命される

1663年

ロバート・ボイル ロンドン王立協会が発足し初期のメンバーとして活動
ロバート・フック ロンドン王立協会の実験主事のキュレーターになる
クリスチャン・ホイヘンス ロンドン王立協会の外国人会員に選出
ゴットフリート・ライプニッツ 学士号を取得して卒業
10月ゴットフリート・ライプニッツ 法学博士号を取得するための勉強を始める
オットー・フォン・ゲーリケ フリードリヒ・ヴィルヘルムの前でマクデブルクの半球の実験を披露
2月3日ヨハネス・ヘヴェリウス キャサリーナ・エリザベス・クープマンと結婚

1664年

ヨハネス・ヘヴェリウス ロンドン王立協会に選出
アイザック・ニュートン デカルトの「幾何学」と「近代解析学」の研究に取り掛かる
アイザック・ニュートン(1664年-1666年) 驚異の年
7月ジョヴァンニ・カッシーニ 木星の自転周期を測定

1665年

1月20日アイザック・ニュートン 「運動の法則」という論文を書く
アイザック・ニュートン 微積分法の基本定理を発見
アイザック・ニュートン バチュラ―・オブ・アーツの学位を取得し大学を卒業
アイザック・ニュートン(1665年夏-1666年4月末) ロンドンでペストが流行し大学が休校
アイザック・ニュートン 実家に戻る
ロバート・フック グレシャム大学の幾何学教授に任命される
1月12日ピエール・ド・フェルマー(57歳)死去

1666年

ロンドンで大規模な火災が起きる
初頭アイザック・ニュートン 三角形のプリズムを入手
ジョヴァンニ・カッシーニ 木星と火星の自転周期を算出
ジャン・ピカール パリ科学アカデミーの初期メンバーになる
クリスチャン・ホイヘンス パリ科学アカデミーの初期メンバーになる
アントニ・ファン・レーウェンフック(34歳)妻のバーバラが亡くなる
ゴットフリート・ライプニッツ アルトドルフ大学で法学博士号を取得

1667年

8月6日ヨハン・ベルヌーイ誕生

ヨハン・ベルヌーイ

ヨハンは、大学で数学の能力を開花させ、ものすごい勢いで成長し、はじめは兄のヤコブと共同研究を行いました。
しかし、ヨハンの嫉妬深い性質が原因なのかヨハンとヤコブは仲が悪くなり、ヨハンは大学を去ります。
その後、レオンハルト・オイラーに個人授業を行い才能を開花させたり、息子であるダニエル・ベルヌーイを育てたりと、数学界において重要な役割をはたします。

10月アイザック・ニュートン 下級フェローになる

1668年

ジョヴァンニ・カッシーニ 木星の4衛星(ガリレオ衛星)の運行表を作成
ロバート・ボイル ロンドンで暮らし始める
ゴットフリート・ライプニッツ マインツ選帝侯に仕える
7月7日アイザック・ニュートン マスター・オブ・アーツの学位を授与され上級フェローになる

1669年

2月23日アイザック・ニュートン 反射望遠鏡についてニュートンのノートにはじめての記述
アイザック・ニュートン 反射望遠鏡を作成する
アイザック・ニュートン 錬金術関係の本を広く読むようになる
アイザック・ニュートン ジョン・コリンズがニコラス・メルカトルの「対数技法」をアイザック・バロウに手紙で送ってくる
8月下旬アイザック・ニュートン バロウがニュートンが書いた「無限級数による解析」をコリンズに送る
10月アイザック・ニュートン コリンズがニュートンの論文の写しを何人かの文通相手に送る
10月29日アイザック・ニュートン ルーカス教授職に任命される
アイザック・ニュートン(1669年-1671年)コリンズとバロウの仕事に協力
ジャン・ピカール 本格的な三角測量を行う
ジャン・ピカール(1669年-1670年) 三角測量で調査
ジョヴァンニ・カッシーニ ルイ14世がフランス呼び寄せる

1670年

ピエール・ド・フェルマー 息子がフェルマーの『算術』を出版
1月アイザック・ニュートン コリンズとの文通を始める

1671年

アントニ・ファン・レーウェンフック(39歳)バーバラの親戚であるコーネリアと再婚
9月14日ジョヴァンニ・カッシーニ 天文台内に移り住み観測をはじめる
ジョヴァンニ・カッシーニ 土星の衛星イアペトゥスを発見
12月31日アイザック・ニュートン ニュートンの望遠鏡がロンドン王立協会に送られる

1672年

ジョヴァンニ・カッシーニ 土星の衛星レアを発見
ロバート・フック 光の問題についてニュートンと論争をはじめる
クリスチャン・ホイヘンス ライプニッツとパリで出会う
ゴットフリート・ライプニッツ クリスチャン・ホイヘンスの下で数学と物理を学ぶ
1月11日アイザック・ニュートン ロンドン王立協会の会員に選出
2月15日アイザック・ニュートン フックがニュートンの論文に対する批判を王立協会に提出
6月11日アイザック・ニュートン ニュートンはフックに返信を送る
12月アイザック・ニュートン クリスチャン・ホイヘンスから批判を受ける

1673年

2月アイザック・ニュートン ヘンリー・オルデンバーグに王立協会を脱退したいとの手紙を書く
アイザック・ニュートン ホイヘンスの批判に対する回答を送る
ジョヴァンニ・カッシーニ フランスに帰化
ジャン・ピカール パリの天文台でジャン・リシェと協力して火星の視差を測定
ヨハネス・ヘヴェリウス 空気望遠鏡(レンズの直径8インチ、鏡筒150フィート)を作成・観測
アントニ・ファン・レーウェンフック レーウェンフックの観察記録をライネル・デ・グラーフがロンドン王立協会に紹介
エドモンド・ハレー オックスフォード大学に入学
ゴットフリート・ライプニッツ マインツ選帝侯が亡くなる⇒パリで求職活動を行う
ゴットフリート・ライプニッツ ロンドン王立協会を訪れて不完全な計算機を実演
4月19日ゴットフリート・ライプニッツ ロンドン王立協会のフェローに選出

1674年

ロバート・フック 惑星運動の逆二乗法則を提唱
アントニ・ファン・レーウェンフック 顕微鏡を使って微生物をはじめて観察
アイザック・ニュートン フランシス・ホールから色彩理論についての批判を受けとる

1675年

初頭アイザック・ニュートン ホールから第2信が届く
1月アイザック・ニュートン オルデンバーグに手紙を書く
4月27日アイザック・ニュートン 「ルーカス教授職は自ら望むのでない限り聖職位に就くことから免除される」ことが決まる
11月アイザック・ニュートン フランシス・ホールの要求書を受け取る
12月7日アイザック・ニュートン 「観察についての論考」「光についての仮説」についての論文をロンドン王立協会に送る
ジョヴァンニ・カッシーニ 土星の輪は複数の輪で構成されているのを発見
アントニ・ファン・レーウェンフック(43歳)ヨハネス・フェルメールの遺産管財人になる
エドモンド・ハレー オックスフォードとグリニッジの両方で観測の手伝いをする
11月21日ゴットフリート・ライプニッツ ∫、f(x)、dxをはじめて表記し微積分法を発明

1676年

1月20日アイザック・ニュートン フックからニュートンへ直接手紙を送る
アイザック・ニュートン プリンキピアの第一篇が完成
6月11日エドモンド・ハレー オックスフォードで月による火星の蝕など重要な観測
6月13日アイザック・ニュートン ゴットフリート・ライプニッツとエーレンフリート・ヴァルター・フォン・チルンハウスにあてて手紙を書く
7月26日アイザック・ニュートン ゴットフリート・ライプニッツとエーレンフリート・ヴァルター・フォン・チルンハウス手紙を送る
アイザック・ニュートン ライプニッツに「先の書簡」と「あとの書簡」を送る
11月エドモンド・ハレー 南半球のセントヘレナ島に航海
12月ゴットフリート・ライプニッツ 司書兼宮廷評議員となる
ヤコブ・ベルヌーイ イギリスに旅にでる⇒ロバート・ボイルやロバート・フックと出会う

1677年

ロバート・フック ロンドン王立協会の幹事になる
アントニ・ファン・レーウェンフック 精子を発見
6月11日アイザック・ニュートン ライプニッツから賛辞あふれる返信をもらう
9月5日ヘンリー・オルデンバーグ死去

1678年

クリスチャン・ホイヘンス 波の伝播に関する仮説を提案(ホイヘンスの原理や光の直進、反射、屈折)
エドモンド・ハレー イギリスへ戻る⇒『南天星表』を出版
11月30日エドモンド・ハレー(22歳)ロンドン王立協会のフェローに選出
12月3日エドモンド・ハレー 学位試験を受けることなくオックスフォードで博士号を取得

1679年

エドモンド・ハレー 王立協会がハレーをダンツィヒに派遣
9月26日ヨハネス・ヘヴェリウス(68歳)夜に家と天文台がわざと誰かに燃やされる
9月29日アイザック・ニュートン 実家で過ごす
アイザック・ニュートン フックから文通の再開をお願いする手紙が届く

1680年

ジョヴァンニ・カッシーニ 月面図を作成
ロバート・ボイル ロンドン王立協会の会長を辞退する
アントニ・ファン・レーウェンフック ロンドン王立協会の会員に選出
6月4日アイザック・ニュートン 母親が埋葬される

1682年
エドモンド・ハレー メアリーと結婚
ヨハン・ベルヌーイ(15歳)香辛料の貿易の仕事を1年間する
7月12日ジャン・ピカール(61歳)死去

1684年

ジョヴァンニ・カッシーニ 土星の衛星ディオネとテティスを発見
エドモンド・ハレー 父親が3月に突然行方不明になり5週間後に死亡しているのが発見される
6月アイザック・ニュートン デビット・グレゴリーからの手紙を受け取る
8月エドモンド・ハレー ニュートンを訪問

1686年

5月11日オットー・フォン・ゲーリケ(83歳)死去
11月ヨハネス・ヘヴェリウス 病気になり入院
ロバート・フック 万有引力の発見についてニュートンと先取権を争う

1687年

1月28日ヨハネス・ヘヴェリウス(76歳)死去
アイザック・ニュートン プリンキピアの第二篇が完成
7月5日アイザック・ニュートン ハレーがプリンキピアの仕事を全て終える

1688年-1690年
トリニティカレッジが配当金が払えなくなる

1690年

クリスチャン・ホイヘンス 光の波動説について提唱

1691年

アイザック・ニュートン ジョン・ロックに造幣局の会計検査官の職に関しての手紙を書いてくれるように頼む
12月31日ロバート・ボイル(64歳)死去

1695年

7月8日クリスチャン・ホイヘンス(66歳)死去
9月1日ヨハン・ベルヌーイ オランダのフローニンゲンに引っ越す

1696年

エドモンド・ハレー ニュートンがチェスターの造幣局の副長官にハレーを任命
3月25日アイザック・ニュートン ケンブリッジ大学を去りロンドンへ行く
6月アイザック・ニュートン 大蔵省に昇給を要望し成功する

1698年

エドモンド・ハレー ウィリアム3世から軍艦パラモア号の指揮を任される
11月エドモンド・ハレー 軍艦パラモア号は出航するが問題が発生しすぐに帰国

1699年

9月エドモンド・ハレー 大西洋岸を調査
12月25日アイザック・ニュートン 造幣局の長官に昇格する

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