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【科学者#044】大数学者たちに評価されず20歳で亡くなった数学者【エヴァリスト・ガロア】

以前、早熟で短命な科学者として第21回目にはブレーズ・パスカルを紹介しました。

パスカルの場合は39歳で亡くなったのですが、それよりも早くに亡くなり、さらにその短い人生の中で業績を残した科学者がいます。

今回は、大数学者たちに評価されず20歳で亡くなった数学者エヴァリスト・ガロアを紹介します。


エヴァリスト・ガロア

ガロア

名前:エヴァリスト・ガロア(Évariste Galois)
出身:フランス
職業:数学者
生誕:1811年10月25日
没年:1832年5月31日(20歳)


業績について

ガロアの業績としては、ガロア理論というのがあります。

これは、代数方程式や可換体(かかんたい)の構造をガロア群と呼ばれる群を用いてあらわした理論のことになります。

当時ガロアは、まだ確立されていなかった群や可換体の考えを方程式の研究に用いていました。

ガロアは亡くなる2日前の1832年5月29日に、友人のオーギュスト・シュヴァリエに、ガロア理論と楕円関数理論に関する手紙を書いています。

リウヴィル

それでは、ガロアの功績がなぜ世に出たかというと、1846年にジョゼフ・リウヴィル(1809-1882)が、ガロア理論を含めたガロアの論文集を自分の雑誌に掲載したからになります。

これによりガロアの業績が世に出て、多くの数学者がガロアに影響を受けることになります。



生涯について

ガロアの父親はニコラ・ガブリエル・ガロアで、公立学校の校長でのちに町長に任命されます。

母親はアデライド・マリ・ドマントで、教養の深い人物でした。

ガロアはそんな両親の2番目の子どもで、姉と弟がいました。

幼い頃のガロアは、はじめはラテン語、ギリシア語の優秀生だったのですが、途中から数学に興味を持ちます。

1823年からは、パリの名門であるリセ・ルイ=ル=グランに入学します。

1829年7月2日には、父親がパリのアパートで自殺してしまいます。

この当時、王政復古の影響で教会は保守的な勢力で占められていました。

そして、教会の司祭たちは自由主義な思想を持っていた町長であるガロアの父親に対して反発し、ガロアの父親の詩の文体を真似て卑猥な詩を作り、父親のものであると言いふらしたりして追い詰めました。

1830年7月27日~29日には、フランス7月革命(市民革命)があり、この革命や父親の死がガロアの人生にかなりの影響を与えます。

その後、ガロアは師範学校に入学するんですが、校長に目をつけられ1831年1月3日に放校処分になります。

なぜ目をつけられたのかというと、ガロアは急進共和派の秘密結社『民衆の友の会』に加わり、校長の言動に反発したためでした。

その後ガロアは、2回も共和派の活動で逮捕されてしまい、投獄中に禁固6ヶ月の刑になります。

1832年3月16日に仮出所するんですが、コレラによって療養所に移されます。

そこでステファニーという女性に恋をしてしまいます。

しかし、このステファニーには婚約者がいて、最終的にステファニーの婚約者と早朝に決闘することになります。

実は、この決闘は共和派のガロアと敵対関係があった派閥が、わざと決闘に持ち込んだのではないかという陰謀説があります。

そして決闘の結果は、ガロアが負傷し負けてしまい、ガロアはその場に放置されてしまいます。

その後、午前9時ごろに近くの農夫によって病院に運ばれ、腹膜炎により死亡してしまいます。

死に際、ガロアは駆けつけた弟に対して

「泣かないでくれ。20歳で死ぬのにはありったけの勇気がいるのだから」

という言葉を残しました。


ガロアという科学者

実はガロアは生前、大数学者たちに論文を提出するのですが、評価されませんでした。

ガロアは書いた論文を、最初はオーギュスタン=ルイ・コーシー(1789-1857)に提出するのですが、コーシーはこの論文を紛失してしまいます。

コーシー

そして次にジョゼフ・フーリエ(1768-1830)に提出します。

フーリエは家に持ち帰るのですが、ガロアの論文を見ないうちに急死してしまい、その論文は紛失してしまいます。

フーリエ

最後にシメオン・ドニ・ポアソンに論文を提出するのですが、ポアソンは「不可解」と返信します。

ポアソン

そしてガロアの死後である1846年には、ジョゼフ・リウヴィルがガロアの論文を雑誌に掲載します。

その後1870年には、カミーユ・ジョルダンによってガロア理論に関する解説が書かれたりと、色々な人によってガロアの論文が世に出て、評価されてきました。

そして、ガロアの死後100年後にはですね、ガロアの業績は量子力学に応用されます。

ジョルダン

ガロアは幼いときから数学の能力を開花させるんですが、父親の死や急進共和派になることで、その当時の社会に翻弄され、最終的には決闘により亡くなってしまいます。

しかし、この短すぎる人生のなかでガロアは偉大な業績を残してくれました。

今回は、大数学者たちに評価されず20歳で亡くなった数学者エヴァリスト・ガロアを紹介しました。

この記事で少しでもガロアの事に興味を持っていただけると嬉しく思います。

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