無職独身40歳女性、無職ではなくなる。
以前、無職独身40歳の記事を上げたら、クソバイス(クソみたいなアドバイス)が男性からついていた。面白いほど上から目線で、面白いほど頭の悪そうな文章だった。うんこをつけられた気分になったので、臭いし汚いものだから削除してしまったが、敢えて残すのもアリだったかもしれない。
大抵その上から目線は「僕は君よりできるから、やり方を教えてあげるよ」「僕は君より賢いから、考え方を教えてあげるよ」という自分を格上と思い込んでしまう「男の子として母や祖母にチヤホヤされて生きてきた」から生まれたものである。
女を無意識に格下だと思っている。
まず、そのクソバイスをしてきたお前たちより過去の私は優秀だ。会社員当時に会ってたら、お前たちは私に頭を下げて菓子折りを持ってくる側の人間だったであろう。
しかし、そんな会社の大きな暖簾の下であぐらをかくのに飽きた私は、会社を辞めた。なんやかんや色々な背景はある。心身共に疲弊していたのは確かだ。私は議論は嫌いではないが競争心はあまりない。ゲーム性のある勝負は好きだが、人生の順位争いはどうでも良いのだ。順位争いをしたがる人間の多かった前職場では、心身がすり減っていたのは間違いない。
しかし驚いたことに、根底に眠る自分の強さに、会社を辞めてからより一層気付かされたのだ。
失業給付金をもらう期間が終わり、仕事すっかー、と重過ぎた腰を上げた。だらだらと資格を得て、すでに働いている。
以前からやりたかったことなので、やはりとても楽しい。楽しくて安心した。私はなぜか好かれ嫌われが分かれるタイプなので、先輩(年下)から早速嫌われたようで、嫌味を言われたりしたが、蛇や蛙、ライオンやゾウだらけのようだった前職場に比べたら、今の職場はみんなチワワとうさぎちゃんと雛鳥だ。食ってしまえるが面倒なので、極力関わらない。その代わりとても優しい、善が滲み出てるような人も多い。業界を変えて正解だった。
私は、強い。
前の会社で私は弱かったわけじゃない。
鯨が陸で生きられないのと、同じことなのだ。
けれど、人生を長く生きていると「自分」を見失う。
精神的に疲れて、体力的に疲れて、世間、親、友達、彼氏、いろんなものの影響を受けて「私は弱い」と思い込んでしまうことがある。
はっきりいうが、弱いふりをすることが得をする場合がある。
SNSで昨今溢れかえっている「弱さ」のポスト。
「弱い自分を慰めて、頑張らなくていいんだよ」というのは、実はその弱さにつけ込んだ商売であることが多い。
「私は弱くてもいいんだ」と本来の「弱さの受容」から「怠惰の許可」を得た気になってしまい、その弱さを肯定する本やポストに縋り、そのインプレッションの高さから、その作者やポスト主は金を得る。
弱者芸だ。
そういったファッション弱者に共感してしまい、本当に疲弊している人が、食い物にされているのは、SNSで露呈されることが多いので現代っぽさも感じるが、おそらくかつてはカルト宗教などがその立ち位置にいたのだろう。
だが、大切なのは、男からのクソバイスでもなく、弱者芸の神でもなく、自分だ。
自分のことは自分でしか救えない。自分が辛い時は、自分が味方になって、今後どうしたいのか聞いてあげなければならない。
死だって選択の一つでいい。死にたいなら死んだって構わない。特に禁止されていないのだから。だが、死にたい、というのは、小さい頃の自分は思わなかったはず。つまり外的要因に死にたいと思わされているのだ。死にたくなるほど自分を苦しめるものは何か?本当に苦しめられているのか?妄想ではないか?被害者意識ではないか?私は本当に弱いのか?もう歩けないのか?
自分がしたいことをできてないんだったら、無一文になっても、やってみたらいい。ちなみに私は退職金があったので無一文ではないが、このままだとなりかねないので必死に仕事を頑張っている。そういう風に自分を追い込むのもありだと思っている。
世間に合わせなくていい。
結婚しなくていい。
子供も産まなくていい。
仕事もしなくてもいい。
だけど生活はしていかなければならない。
じゃあ本当に好きなこととやりたいことから仕事選んで、生活できるようになればラッキーだな。小さい頃これ好きだったな、これ楽しかったな、どうにか金にならんかな、くらいで良いと思う。薄給でもやってみて、技術ゲットという手段もある。
ちなみに私は最初「向いてないかもしれないですね」と言われた。できないことの方が多くて「大丈夫ですか?やってて楽しいですか?」とまで言われた。おばさん(私)のくせにちょっと辛くなってるのが顔に出てたんだろう。
だが、そこで無理したり、帰ってから泣いたり、怒ったり、悔しがったりせず、ただただその仕事をした。間違いなく、淡々と覚えるために。休みもやったりはしなかった。会社員時代は休日も勉強、仕事に関する調べ物などをして、頑張りすぎてしまっていたからだ。
覚えが悪くても、最初から完璧にできるわけがない。2ヶ月くらいやって、改善点はメモして、忘れないように効率化して、極力他人に迷惑をかけないようにしよう、とゆっくり着実を目指した。感情に左右されず、悲観せず、ただ淡々と仕事をした。
いまだに重箱ツツキ女からはピーピー言われることがあるが、キツツキのさえずりとして受け止め、一切懐柔せずに「かしこまりました」だけを言っているが、問題なく働いている。
こういう奴には優しくしないのが1番である。一生「あなた私に攻撃しましたよね」という態度をとり続ける。バカと仲良くしても損をするだけなので、関わらないのが1番だ。
だが、なによりやはり、仕事が楽しい。友達にも良かったね、がんばってるね、と言われる。好きなこと仕事にするメリットってこんなに大きいのかとさえ感じた。
以上、好きなことを仕事にしてみたら、意外と楽しかったよ、って話でした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?