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24.11月27日「仏壇の日」


 祖母との思い出を回顧しながら、ふと足元を見る。道を形造るコンクリートブロックの粒達が、記憶の中のそれと重なり融和する。
 大人になってから一度だけ、祖母と出掛けた事がある。この街、吉祥寺を一緒に並んで歩いたのだ。
 粒二つ分となる祖母の歩幅に合わせて、私と祖母はゆっくりと歩いていた。祖母の服から漂う箪笥の匂いと、近くの寺から流れる線香の匂いが相まって生じた、強烈な死生観のせいで感覚が閉じられていく。
 
 「おばあちゃん、お昼何食べようか」
 背丈も同じ程の私と祖母は、腕を組みながらアーケードの真ん中を堂々と歩いた。等しく左右を見渡せるその正中から外れる事が、勿体無いと思えたからであり、それは恐らく、隣を歩く祖母も同じだったのだろう。
 
 昼は天狗の天丼セットを食べた。まるで浅草にでも来たみたいだねと私が笑うと、祖母も笑っていた。
 笑いのツボが一緒である事は、食事を美味しくする隠し味でもあるという事を、その時に知った。
 サクサクしない天ぷらでも、今までで一番と思えるくらい、本当に美味しかった。
 
 お茶を飲むタイミングと、おかわりするタイミングを祖母に合わせてみたり、またはそんな私を見て祖母が笑ったりする時間。外は息の白い世界でも、お茶とそんな事ばかりの時によって、むしろ暑いくらいではあった。
 
 食事を終えて一通りの散歩をする中で、祖母は一つの店に入ろうとした。
 そこは仏壇屋さんだった。金と黒に何の芸術性をも滲ませない様にして従わせる、そんな仏具を見るのが苦手な私はたじろいだまま、入り口に向かう祖母の背に触れる事も出来ずに、一人店の外で置いてけぼりとなった。
 
 暫くして店から出てくる祖母を、私は背を向けて向かいの店の話で出迎えた。
 どんな顔をしたとしても、役不足の使い物に成り得ない不器用な面だろうと思えて、そうした。
 でもきっと、祖母も不器用な顔をしていたのだろうな、と今なら分かる。
 
 そんな様子で、立派な人というお呪いをかける身の不器用さを受け継いだ気がした。


後書き

 祖母は今年の夏に亡くなりました。立派な人のお呪いも、吉祥寺も、仏壇も全て本当の事です。小説の行き着いた今日が「仏壇の日」という事が、何か意味のあるものだと思って、これからも精進します。ありがとう、おばあちゃん。

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