23. 11月24日「進化の日」
吉祥寺は、祖母が住んでいた町だった。
「立派な人になってね」
生前の祖母はよく、小学生の頃の私へそう言っていた。
小学校の頃の、夏休みの始まりに、私は祖母の家へと送られる。8月の夏の意気込みが消えて、手の平返しの様をテレビで放送される頃まで、祖母の家の片隅には借りた猫の様な私が存在する。どこへも行かず、申し訳無さそうに飯を食い、風呂にて体の洗い方を雑だと祖母に叱られながら、ひたすら祖母達の匂いに囲まれた異界で、この身を引き上げに来る母を待つ。それが私の夏休みというものだった。
そして、その日々だけが祖母との関わりの証として、今も私の中に残っている。それ以外に関わる事が無かった為だ。
勤めと家事をその身一つで背負う母は、朝から晩まで働き詰めであった。仕事が休みの日曜以外で、家の中で母を見る事は殆ど無かった。
私は、そうして空洞が多過ぎる家の中で一人、問題無い日という一日に仕立て上げる事に専念しながら眠る。
夏は、そんな私達には不都合な程の余白と熱波を齎す。そんな訳で、楽しそうな匂いを寄せ付けないまま漆黒の蟻の様に働き尽くす母の手で、私は祖母の家へ送られる次第である。私はただそれを享受していたが、その行いに対して確かな誇りを持ち、そして強く存在出来ていたのは、働き蟻でありながら内事を卒なくこなす母の器量に敬意を払っていたからである。
人見知りな祖母は毎度の如く、仰々しい立ち回りを私に披露する。まるで近所の子供を家へ招き入れた風にニコニコと迎え入れ、早速食べたいものを言えと促してくる。
「あかりちゃん、何食べたい?」
「あかりちゃん、どこか行きたい所ある?」
「あかりちゃん、お留守番出来る?」
祖母は三日もすれば人見知りを解消し、元の生活の様相を取り戻す。湯呑みとテレビとの談笑から始まり、黒ずくめの服を纏って黒くて大きな麦わら帽子を頭に被ってどこかへと向かう。私はまた、形が違うだけの隙間だらけな家の中でゲームか宿題を手に取って、安寧を祖母に提供する。
祖母は帰ってくると、決まってニコニコとしていた。大量の買い物袋を両手にぶら下げて、重たそうにしながらも気丈な笑みを見せて。きっと夕食の頃に浮かぶ私の驚いた顔を想像して生まれた笑みなのだろうと、私は思っている。
私は次第に穀潰しも極まり過ぎだと感じ始め、何かしらの手伝いを申し出るも、勝手が違うからと部屋へ戻される。
祖母はそうして部屋の襖を閉めて、台所にて包丁を母よりも素早く音を立てる。
丁重にもてなされているのか、疎まれているのか分からないまま、私はもっぱら後者の心持ちでただ全ての事を待つだけだった。
私に対して不器用な祖母は、夏の終わりに先の言葉を私へお呪いの様に投げかける。
「立派な人になってね」
そんな事を、今年の夏の、祖母の旅立ちの際に思い出したのだ。
だから私は、立派な人の意味を聞けずにそのお呪いの言葉を口ずさむ。
「立派な人」
進化した私にもし会えたら、その意味と諸々の説教を求めたい。