29. 12月11日「ユニセフ創立記念日」
私は用意を済ませて、家を出た。
玄関のドアを開けると、当たりが柔らかくさっと引いていく様な冷たさの風が、私の首元を触れてきた。
十二月というこの季節は、日によって、或いは時間によって寒暖の空気をころころと変えてくる。
そんな空気に、そろそろ本格化する寒さを覚悟しないとと思えて、気が滅入る。
年が終わるから何だと言うことも無いのだけれど、世に流れるしめやかな空気を感じる事になるこの季節を身に染みさせてしまうと、どうも寂しさに一切が乗っ取られてしまうから。
その寂しさをいちいち上向きな色合いに塗り替えていかなければならない。だから滅入るのだ。
ジョランの風を想起させるそれに、なんて気取った心持ちが、エスマックスマーラというブランドのコートによって醸し出されてしまう。
ジュラ山脈なんて行った事無いし、そこに吹くジョランの風なんて感じた事無いのに。
今日は雀の出迎えも無かったな、と無いものをまた一つ思い浮かべた。まだ今生の別れもしてなかったなと、雀の横顔を思い出しながら思って。
これからの季節の、一人を実感する事の多い夜と朝とを、一体何を以て楽しもうか、と無為のままの何かを求めて目線を移しながら歩いた。
けれども、私の為のものなんか端から無い。
春はまだかな、と天に問いてみたりした。
駅につくと、フォーマル蟻と化した人々が駅の階段を登ってゆくのが見える。
そして、その階段の下でユニセフの募金案内をしている人が数名、そのフォーマル蟻達に声を投げかけている。蟻達は耳が無いかの様に、或いは人間が見えないかの様に、そそくさとその前を通過する。
急ぐ理由も無い私は、何故だか月額五百円の寄付の申し込みをした。
無いものだらけの子供が、僅かにでもそれを減らせるのなら、私の今日のこの虚しさもその伏線として役に立ったのかもしれない。
ユニセフの看板では、子供が確かに笑っている。
私はしかし、その笑顔を見て疑問が生まれてしまっていた。
無いものを埋めたとして、埋めた者も埋まる何かを得られる事など、この世界にどれほどあるのだろうか、と。
私は、そのうちのどれか一つでも手に入れた事はあったのかと、私に対応してくれるユニセフの人の眼を見ながら探した。私の内には無いから、きっと外にあるのだと思い、探してみたのだ。
子供の瞳に映るカメラマンも、私の前にいる賑やかしの人々も笑っている。
私はそれを求めてはいなかった。けれど、あるのはそれのみだった。
だから、きっとこれで良かったのだろう。今日私がした事の全ての意味なんて、今日の私にはまだ分からない、きっと。
それに、解けない疑問なんて、この世界には山ほどある。