見出し画像

【短編小説】逆立する亀


一匹の亀がのそのそと歩いていたとする。それはゆっくりとであるが思考している。ことばを一つひとつ選んで論理ですすめていく。その結論はとどきそうで届かない。目的地がそもそも無いということによって、断片にすぎないのに、意識はもうすでに次へと移っている。明滅するホタルの集塊こそ脳の状態を表している。それでも、いつも元に復帰しようとする意志によって、ことばをささえにして前へ推し進めようとするのだ。前なのか後なのか、はたまた上空なのか、わからない。重力に逆らってジャンプを試みるのもありかもしれない。

俗の否定が聖化への第一歩であった。聖なるものに向かってジャンプを試みる亀。しかし、所詮亀は亀で地上をのろのろと動き回るしかない。言語を使ったシンキングという足で動きまわるのだ。でも、飛んでみたいと発心を起こした。

菩提心をおこせば修行であろう。亀は修行をかさねていった。思考を捨てること、つまり脚をもぞもぞ動かさないことだ。器用に座禅して瞑想を試みたのであった。その甲斐があって少しは飛ぶことができた。そうか、こうすればいいのか。瞑想修行をひたすらつづけた。

亀は思う、どこまで飛んだらいいんだろう。どこまで聖に向かって飛びあがったらいいんだろうと。これまでも飛び続けでいるが、すぐに地上に落ちる。どこまで飛べばいいという制限はないのかもしれない。これを往生と考えれば、往生の先にある浄土へと飛ぶならば、西方にあるという極楽浄土へ至るのだろうかとも考える。黄金の輝く光のあふれた世界なのだろうか。至福に満ちあふれ豊かで平安な世界が待っているのだろうか。亀は夢をみるのにいっこうにそんな世界はあらわれないし、やってくる気配すらない。

道元で言えば、発心、修行、菩提、涅槃となって解脱するはずだった。そして解脱は即、現成となって、戻ってくるはずのものだった。これを親鸞で言えば、往相廻向と還相廻向のことだ。いったん往生しても、そこらか戻ってこないといけない。そういうよりこの娑婆世間に還ってくるより他にないのだから。亀は考えている。瞑想している。行ったきりではいけないし、行って成道しても、生きつづけるしかない。しかし、緩んでくる。じゃどうすればいい。また修行してという一方向ではないな。振り子と同じように行ったものは帰ってこないといけないのだ。その時の帰りかたが予想できなかった。どう帰ってくればいいのかと。

その日も瞑想をしていた。すんなりうまくはまって、瞑想空間に入って、飛ばしていた。すると、その日に限って、身体がびっくりかえったのだ。そして地上へと落下した。うまい具合に一回転すれば、うまく着地てきたであろうに、失敗して、背よりたたきつけられた。亀はそれでも空中にむかってもぞもぞと足をうごかしている。たしかに足という言語を使った思考している。しかし、飛び上がって解脱して、非思量も知っている。思量にして非思量の亀がいる。
しかし、そこには惨めにひっくり返った逆立ちの亀がいるのだ。


図示するとこうなるのだろうか。

画像1


この亀はなにをすべきなのかと考えている。地に足のつかない思考で考えている。オノレの亀としての本分を達成するのか、それとも亀を脱して、再度飛ぶのか、それとも思量にして、非思量の世界を生きていくのかと。

おそらく、解脱から現成する時には、逆転が生じるのだ。一度ひっくり返らないと戻ってくることはできない。そして、亀は確信した。往相廻向から還相廻向にもどる時には、逆立ちしてかえってくるのだと。

*『〈気づき〉への驚きを伝える短編集』所収

Amazon。ロマンサーで販売。

少部数プリントアウトしているので、大阪市内阿倍野区の「書肆七味」内「読書イニシアチブ」で販売しています。

書肆七味
https://www.irusubunko.com/
あべのベルタ地下1階0111号室(関西スーパーの目の前。)
大阪メトロ谷町線「阿倍野」駅より徒歩2分
近鉄「大阪阿部野橋」駅より徒歩6分、JR・大阪メトロ「天王寺」駅より徒歩7分


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?