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東洋医学の最前線を官足法で読み解く 山本高穂・大野智『東洋医学はなぜ効くのか』

東洋医学と言っても、中心は鍼灸なのだけれど、NHKの特集番組で紹介されていた鍼灸・漢方薬の最前線ということだ。

山本高穂・大野智『東洋医学はなぜ効くのか』(講談社ブルーバックス2024)をとり上げてみた。この本の副題は「ツボ・鍼灸・漢方薬、西洋医学で見る驚きのメカニズム」というもので、近代西洋医学側から見た東洋医学の科学的解明という側面を持っている。その効果の科学的側面ということで、それは科学そのものの展開とともに、脳や遺伝子・免疫などの人体の複雑な仕組みが詳しくわかってきたことと関係していると「はじめに」で述べられている。
科学そのものの考えが変わってきている点にあるのだろうか?
ともかく、それはそれとして、ここは紹介された事例を、鍼灸の事例を官足法で考えればどうなるのかという点に絞って考えてみたい。

痛みの正体

痛みとはそもそも生体の防衛反応であって、必要なものなのだけれど、それが慢性化すると日常生活に支障が出てしまう。そこで古代人が開発したのが鍼灸だったとある。
特に慢性疼痛はやっかいで、多くの苦しみをともなうので、痛みを和らげることが必要とされるわけだ。

痛みというのは原因は一つでなく、いろいろ関係している。そこで本書は鎮痛作用について①末梢での問題②脊髄での問題③脳での問題に分けて解説している。

①については(A)脳や脊髄と体の各部をつなぐ末梢神経に関わる作用、(B)皮膚の下のある筋肉の作用、(C)皮膚や筋肉などの脱分極から分泌される鎮痛作用、(D)生体のエネルギー分子であるATPに関わる作用、にわけて論じている。

②については脊髄におけるゲートコントロール理論というのを紹介していて、それは簡単に言うと、神経というのは一つではなくいろいろなタイプのものがあり、伝わり方に違いがあると言う。その違いによって痛みを調節しているというもので、その中心をなすのが、膠様質細胞(SG細胞)とT細胞と呼ばれる細胞で、このT細胞が脳におくる信号を調節するのだという。そうなので、脊髄そのもへの自律神経を介しての調節も重要だというのだ。

この痛みが、例えば膝の痛みだとすると、膝で起こる鎮痛作用と脊髄での鎮痛作用と分けられるが、脊髄そのもなら、脊髄の自己調節作用だけなのだろうか?
たとえば、椎間板ヘルニア、脊柱管狭窄症、変性すべり症などの脊髄そのものの直接関係する痛みなら、そうなんだろうが、それ以外の痛みというのは、やはり二つの作用に別れるのだろうか。脊髄、骨、等に問題がない場合だ。

これを官足法的にはどうするのかというと、膝上10センチから下の足をよく揉んでおくことを条件に、痛い部分の反射区を揉むということになる。
例えば、膝なら35番’(膝関節)を揉む。左膝なら左足、右膝なら右足だ。
腰ではどうだろうか。
腰の中心部が痛い場合は、53番(頚椎)54番(脊椎)55番(腰椎)56番(仙骨・尾骨)57番(尾骨内側)58番(尾骨外側)を揉む。腰だからと言って55番(腰椎)だけではだめで脊椎を総て揉むことだ。ひとつながりのものだから。

このことは、反射区と言って、それぞれに対応している部位をさすので、この刺激が脳に伝わり、自律神経による治癒力を喚起させるという点にある。そこは経絡でいう経穴を鍼・灸で刺激するのと原理的には同じなのだが、経穴のように皮膚表面の点ではない。むしろ面であり、かつ立体なのだ。皮膚表面だけでなく、もっと深くまである。足はそもそも立体なのだから。

註:反射区については文化創作出版の『官足法 足の汚れ〈沈殿物〉が万病の原因だった』になる反射区図表を参照してください。

こう読み解くと、官足法も鍼灸のように物理的な刺激を伴う統合医療の分類に入るのだろうけれど、この本の提示する(D)生体のエネルギー分子であるATPに関わる作用については、どう考えたらいいんだろうか。

ATP(アデノシン3リン酸)というのは、エネルギー通貨ともよばれるように生命活動に使われるエネルギーだけれど、それだけではなく心臓や血管、内臓などに存在するアデノシン受容体に多様な生理作用をもたらすことがわかってきたという。
このアデノシン受容体は4つあって、その中の一つであるA1受容体は鎮痛に関わる作用をもたらすというのだ。
アメリカのロチェスター大学の研究チームが慢性痛モデルのマウスの足三里に鍼刺激行い、壊れた筋細胞から濾出するATPやADP(アデノシン2リン酸)などの濃度を測定したところ、細胞外のアデノシン濃度が24倍に上昇し、それにともない慢性痛の場所に刺激を与えても、反応の度合いが低下したとある。そこで、鎮痛効果が確認できたとしているのだ。

足三里は普通は、健脚とか胃腸の調子を整えるとあるが、ATPを増加させるというのはどういう作用なんだろう。腹腔内の血流を増加させるという作用ものもあるので、新陳代謝をよくするのかもしれない。しかし、そこは原論文を読んでみないと分からないが、論文先が明示されていないので、分からない点だ。かつ足三里についての知識がないのでなんとも言えないが、ともかくアデノシンの濃度が上がるのだろうとするとそれは細胞内のミトコンドリアのATP産生が活発になったと考えられるので、新陳代謝が活発になったと結論をしてみる。

それを官足法ではどうとらえたらいいんだろうか。ATPを増加させることを期待するなら、12番(甲状腺)の反射区ではないかと考えられる。糖の代謝をうながし、新陳代謝を活発にさせる反射区だ。先の官足法第一の書『官足法 足の汚れ〈沈殿物〉が万病の原因だった』の痛みに関する反射区一覧表には12番はないが、この現象が正しいとするなら、考えられる点だろう。

脳での問題

このことよりも、もっと重要なのが、脳に関するの問題だろう。

私は体験したことがるのだけれど、ある腰痛を訴える方が来れた。その方は長年腰痛に苦しんおられて、整形外科から整体、鍼灸、マッサージとあらゆることを試され、200万円は使ったと豪語されていた。そして、官足法にたどり着かれたのだけれど、いっこうに改善しないと言う。
6ケ月以上痛い足揉みに耐えられて、いっこうに改善しないというのはおかしいと毎日にやってますかとか、他のケアも取り入れていますかなどを訊いたが、やっているという。
そこで、疑ったのが、痛みを自分で作り出しているのではないかということだ。
「私は長年、腰痛に悩まされてきた」
「そうだ、痛いのだ。そんな簡単に効くはずがない」
「ほれ、痛いじゃないか」
そう脳の中で繰り返しているのじゃないかと疑ったのだ。
ご自分で痛みを作り出していませんか? と聞いたのですが、そんなことはないと言下に否定された。(その性格に問題があると疑ったのだけれど証明しようがない)
しかし、私は脳で痛みを作っていると感じたものだ。
頭の回転の速い方で、いつもなんだかイライラしているものを感じていたからだ。

この本で、脳が関係しているというのは、鎮痛効果の事なので、自分で痛みを作り出しているということについては触れていないが、脳の「下行性疼痛調節系」というのをあげている。下行性というのは、上から下に向かってはたらく、脳からのトップダウンで末梢を調節する系のことをさしているとある。
その中心をなすのが、PAG(中脳中心灰白質)だという。鍼灸の刺激がこの低下したPAGを刺激して活性化させるというのだ。「痛覚変調性疾患」や「慢性疼痛」を改善するのだという。これは明らかに自律神経のように自動で働くメカニズムを扱っていて、意志によって動かす脳の働きではないようだけれど、脳の痛みのシグナルは、前頭前皮質にもおよでいるので、無関係とは考えられない。脳で考えた観念がバイアスとなって影響していることは間違いがない。痛みも呼吸と同じように、自動で伝わるものと意志によって作動するものがあるだろうという見解は無視できない。

このことを官足法ではどうとらえればいいのだろうか。
まず、脳が関係しているとするなら、親指(第一指)全体をよく揉むこと。それも前頭洞だけでなく、総て揉むことが重要だ。次に残りの指先も揉んでいく。そして、腹腔神経叢も十分に揉むことだ。
腹腔神経叢は鬱や、イライラ、引きこもり等の症状の時に揉む反射区だから、丁寧に揉むことだ。
腹腔神経叢の位置は、みぞおちの奥、つまりは大動脈が腹腔大動脈と大腿動脈に別れるあたりで、その血流の調節をすることになると言われている。消化器の調整が重要な役割を果たしているというように考えられている。消化器と脳は深くつながっているから。

この議論は、この本の文脈とはかみ合わないが、脳の生理作用だけでは、痛みについては解明できない。なぜなら、痛みというのは個人差があって、ある人にはそれほどでもない痛みが、もう一人のひとにとっては耐えがたいものであることはありうることであって、痛みはその人が感じるものであって、かなり個人差があり、観念と結びついているものだからだ。
人間というのはこれほど厄介なものなので、ただ痛いでけでなく観念がついてまわる。

この本も類書と同じように心身一如(p-77)について触れている。そこでは「心理的ストレス」という呼び方をしている。
しかし、そもそも、心身と言った時は、まず心と身は別物だという認識が先にあって、いや実は同じものだという主張にあるわけで、心と身は別物だという枠組みは残しているわけだ。また、常識として二つは分けて考えている。

そこで、大胆に仮説をのべるなら、そうじゃなくて、すべては身体なのだということではないか。心というのは身体の別名であって、身体しかないと言えはしないか。そう考えれば、身体の過剰な反応である観念も身体現象に他ならなくなる。東洋医学はこの観念も見据えているのだろうか。
このことは別様に「唯身体論」として思考しているが、ますますその観を深くした。



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