コーチングの功罪について。
コーチングを提供することがその人のためになり、そしてそれを続けることが僅かながらでも社会のためになるということ。
これは、僕がCTI(コーチングスクール)を卒業してからずっと信じてきたコーチングに対する価値観である。
ただし、最近になって「本当にそうなのか?」と疑問に思うようになってきている。
今日はこの事について書いていきたい。
そして、この記事はコーチングを受ける人に向けて書くので専門用語は使わないでいく。
コーチングは欲求連鎖に閉じ込めている
クライアントのニーズの変化
僕がコーチングと出会ってから今年で9年になる。
学生時代に所属していた学生団体で、身の回りの人にコーチングを提供していたのがきっかけでこの世界にハマっていったのだが、当時の僕はコーチングを「聴くことで人を癒し、ケアする」ことの延長線に捉えていた。
「本音を言えなかった」「自分らしく生きたい」
そういった想いに寄り添い、そして伴走する形で支援することにとてもやりがいを感じていた。
しかし、CTIを卒業してからクライアント(コーチングを受ける人・話者)のタイプが変わっていった。
「高みを目指したい」「成果を出したい」「成長したい」
当時の僕はコーチとして"成功"することが大事だった。
もっと言うと、焦っていた。
「このままではコーチとして食っていくことは到底出来ない」
「自分は若いせいで周りからコーチングを受けたいと思われていない」
そんな声が自分の中で、重く、うるさく、響いていた。
そういう自分だからこそ、クライアントも焦っている人が多かったと思う。
僕もその気持ちが分かるからこそ、一緒に頑張りたいと本気で思っていた。
クライアントの願いを聞き出し、それを達成するための方法を一緒に考え、アクションを出し、また次回のセッションへ…。
この一連の流れの繰り返しである。
あるコーチとの会話
先日、先輩コーチとの会話でこんな話を聞いた。
その時僕は「コーチングの功罪」という言葉が頭に浮かんだのである。
かつて僕はクライアントの成長欲求に応える形でコーチングを提供し続けていた。
クライアントは目標達成し続け、それに呼応する形で僕もコーチとしての自信をめきめき付けていく。
目の前に聳え立つ壁を次から次へと飛び越えるどころか、ぶっ壊していくような感覚である。
ただ、それがクライアントだけでなく、僕自身も欲求の連鎖にハマっていたのかもしれない。
成長し続けないといけない、という思い込みを持ってしまったのかもしれない。
欲求を超えた行動
欲求の連鎖=悪?
ここで一つの疑問が立ち上がる。
「欲求の連鎖にいるのは悪いことなのか?」
僕は悪いことだとは思わない。ただ、その連鎖の只中にいるのは、なんというか窮屈で疲弊する。
つまり「上には上がいる」という言葉の通り、終わりのない障害物競走をさせられているような感じがする。
資本主義経済に身を置いている以上、何かとの競争は避けられないため、これはどうしようもない気もする。
それでも自分に自信を持てないと、どうしても他の事を考える余裕は持てないと思っている。
なので、自己基盤を整えるために自らの欲求を満たそうとするのは必然であると思う。
欲求自体を否定することは、きっとその人にとっても未消化の事柄として悪い意味で残り続けてしまうのではないだろうか。
コーチとして、僕も欲求の連鎖から完璧に逃れたとは思っていない。
まだまだやりたいことがあるし、見たことない景色を見たいと思っている。
だから、この連鎖こそが僕をここまで連れてきてくれたんだと信じている。
大事なのは今この瞬間
突然だが、ここまで読んでくれているあなたに感謝をしたい。
今どういう場所で、どんな環境なのかは想像するしかないが、それでも僕は今あなたには「今のあなたが素敵で、感謝を贈りたい」そう思っている。
僕が大事にしている死生観で「今日が人生最後の日」というのがある。
この命はいつなくなってもおかしくないし、奇跡的に今ここに命があるだけだと思っている。
だから後悔のないように伝えておく。
これは欲求ではない。今の自分の選択である。
欲求の連鎖から抜け出した選択をするためには、今この瞬間にフォーカスするしかない。
今、何を感じていますか?
今、自分はどこにいますか?
今、何をしようとしてますか?
計画された連鎖ではなく、今の自分の感性・直感から呼び起こされる"衝動"。
ここに欲求を超えた行動があると思っている。
コーチングは人を幸せにするか?
幸せってなんだ?
僕はクライアントには全員幸せになって欲しいと願っている。
(これはエゴだろうか?)
だから、そのために必要であればクライアントの欲求連鎖にもとことん付き合うし、連鎖から抜け出すための伴走ももちろんする。
クライアントにとっての幸せはコーチによって規定されるものではないと思うからだ。
ところで、幸せとは何だろう。
これまでの話を踏まえるなら、ここで言う「楽しさ」「成功」とは欲求連鎖に近いことである。
そして、「目的」とは今にフォーカスを当てることであると僕は思う。
人それぞれ楽しさや成功の定義は異なり、それを考えて言葉にする機会は必要であると思う。
その場がコーチングである必要はないが、安心安全な場で語り合えたら最高じゃないだろうか。
最後に
コーチングを提供することがその人のためになり、そしてそれを続けることが僅かながらでも社会のためになるということ。
記事の最初のこの言葉に戻ってみよう。
ここまで書いてきた僕は何を思うか。
僕はコーチングが人の幸せに貢献すると信じている。
連鎖にハマる危険性を孕んでいても、それでも今を生きるあなたと共に、このいつ終わるかもわからない命を大事にして、幸せを求めていきたい。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
袖川