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【20年の軌跡-Vol.07】「働く」って何だろう。転職5回でNPOに漂着―数奇な人生 #SDN20

育て上げネットの歩みを紹介する企画「20年の軌跡」。
第7回は、育て上げネットの大阪での活動を支えてきた高崎大介。

育て上げネットをご存知の方はもちろん、若者支援やNPOについて理解を深めてみたい方、NPOへのセカンドキャリアを考えている方、将来を模索する若者もぜひご覧ください!

これまでの記事はこちら


高崎 大介(たかさき だいすけ)
1978年大阪市生まれ。2008年に育て上げネットに入職。
大阪の新規事業の運営、および更生支援事業を担当。
大阪市若者自立支援事業コネクションズおおさかの所長を約6年間務め2018年からは少年院を出院した少年たちの伴走支援に取り組む。

IT時代の潮流に呑まれ人材会社へ

新卒で大手企業のSEに着任

――育て上げネットで働く前は何をされていたんですか?

実はこれまでに5回転職しているんです。最初は大学でプログラミングを学んでそのまま、大手メーカーのIT部門に配属されました。

――同年代だと多い印象ですね。

新卒当時は2001年。
ITバブル真っ盛り、「これからはインターネットだ!」みたいな時代に、新卒でシステムエンジニア(SE)になりました。

どうしてもWEBシステムの開発がしたくて、大学の恩師に推薦状を書いてもらい、夢見ていた大手メーカーに入ることができました。でも実際に働いてみたら自分の性格にまったく合ってなくて、2年と経たず辞めてしまいました。

――どの点が合わなかった?

あたりまえの話ですが、システムは完全無欠でなくてはいけません。

僕はプログラム作成は早い方でしたが、雑で(笑)
1,000回に1回ミスが出るけど「だいたい合ってるからOK」なんてことはないんです。

過去のプロジェクトで、後から抜け漏れが判明して炎上――ということがたび重なり、どんどん追いつめられていきました。

――働く前とのギャップはありましたか?

学生の頃から興味があり、システム開発も大好きでした。

当時はインターネットが出始めの時期で、大学で情報工学を最先端で学んでいましたから、何でもできるような気がしていたのでしょう。

――そこにズレがあったと…

新進気鋭の事業で、会社も若手に任せる姿勢でいてくれました。

でも、そもそも仕事のイロハもわからない。
自分ができると勘違いして痛い目を見ました。

――それで退職を考え始めたんですか?

仕事は好きで楽しかったのですが、続けるとなったときに「違うな」と。
一方、周りの先輩や同僚たちを見ていると、しっかり段取りを決めて、着実に手続きを進めていかれる。

比較してしまうと、どうも自分には合わないな……と思ってました。

そんなとき、毎日通っていたマクドナルドの店員さんのまぶしい笑顔が飛び込んできました。

こっちは徹夜明けで食欲もあまりなく、青い顔をしながらフラフラ。
でも、マックのバイトの子たちは素敵な笑顔でした。

このころから「働く」ってなんなのかな‥‥‥という疑問が心の奥に潜み始めました。

――陰と陽がはっきり出てしまったと

そうですね。そしたらいよいよSEがしんどくて持たなくなって。
このまま続けても周囲に迷惑かけるだけだなと。

当時はひとつの会社で定年まで勤め上げることが大切だという意識が強かったです。転職するにしても「石の上にも3年」と言われている時代です。

まさか自分が2年で辞めるなんて思いませんでした。しかも大手企業で離職率も低い職場だから「俺やばいんじゃないか」と本当に落ち込んだし悩みました。

フリー転向

――退職したあとはどんな生活を?

実はフリーのエンジニアを名乗っていました(笑)

なんだかんだ前職で大きい仕事もしてましたし、予算も把握していました。「ひとりでやれば売上も独り占めだ!」と若かりし頃の僕は思ってしまったのです。

――その結果は…

仕事がまったくとれませんでした・・・・・

すべては会社の力、看板のおかげだったと痛感しました。
それでも1年ちょっと続けています。

やっと “ ホームページ ” が世間でも増えてきたころで、知人が経営する会社から頼まれてWEBサイトを作ったり、通信環境を整えたり、細々とやっていました。

――意外と食べていけたのですか?

いえ、クライアントから、なかなかお金を払ってもらえなかったんです。

――払ってもらえないとは…

これまで僕はずっとエンジニア一本でやってきて、契約の大切さだったり営業の流れをまったく知りませんでした。

すべて口約束でざっくりでした。ホームページって日々メンテナンスが必要だったり、はっきりした終わりがないまま、報酬より作業の方が多くなっちゃって。

黎明期ですから、クライアントにとって僕は支払いの優先順位が低かったのもあると思います。後半は「そろそろお金を払ってもらえませんか」というお願いばかりでした。それが本当にしんどくて・・・。

やっと「世の中って実は厳しいんじゃねーか?」と気付きました(笑)

人材紹介会社の門を叩く

――苦労が多いキャリアですね…

いえいえ。それで、ちゃんと知らない世界を勉強しなきゃと、やりたいことはいったん全部手放して、営業的な事を学べる仕事を求人雑誌で探しました。

――やりたいことよりやるべきことを選んだんですね

SE以外は未経験だからまずは駅においてあった「アルバイトニュース」という求人雑誌でバイトを探しました。

でもピンとくる仕事がなく、ページをめくっていたら、最後にその雑誌の出版元である「学生援護会」という会社が自社の営業求人(しかも正社員)を載せていました。

いまはもう合併してしまった会社ですが、自分の雑誌に自分の求人を載せるのかあ、おもしろいなあと思って応募しました。

――ここで人材サービスとの縁ができるんですね

はい、面接にはのちに恩人にもなる部長がいました。

後から聞いた話では、法人営業部への配属の可能性もあったそうですが、「こいつは官公庁の向けの部署が良いだろう」と見立ててくださり、採用されました。ここから人生が大きく変わっていきます。

――異業種への転職は確かに大きなチャレンジですね

僕が配属された官公庁事業部は5人だけの小さな部署で、ハローワーク・労働局・高校などが取引先でした。

仕事内容は、履歴書の書き方や面接の受け方など就活関係の講座を受注して提供する感じです。毎日のように関西圏のハローワークで講座を運営し、いろんな講師の方の話を聞いてました。

あるとき、登壇予定だった講師が急きょ来れなくなりました。
でも既に40名くらい受講者も確定しているため、誰もいないなら僕が自分でやってみようと。毎日話を聞いていましたから、真似できるかなと。

――緊急登板、どうにかなったんですか?

実は結構ウケたんです(笑)
いろいろな講師の話を毎日聞いてたましたから良いとこ取りしたら好評でした。

これを機に自分でも講師をするようになりました。外部講師料も浮くので上司も喜んでくれました。

――少しずつ若者支援に近づいてきていますね

ただその後、さらなる合併もあり、自分がいた部署も存続するかしないか微妙なことになりました。紆余曲折あって、また転職したけどそれも微妙で、最終的には当時の部署の先輩たちと一緒に会社を起業しました。

若者支援の世界へ

――おぉ、かなり思い切りましたね

これまでのキャリアを活かして、若者の就職に特化した人材紹介会社を東京で立ち上げたのですが、これも2年ほどで事業を閉じることになります。

今でこそ増えましたが、当時は新卒や第二新卒のような職業経験があまりない若者に特化した人材紹介会社は少なかったです。

いわゆる人材紹介業なので、採用された段階で斡旋料(売上)が発生します。でも企業に紹介してもなかなか採用につながらない。入社しても短期間で離職してしまい、ビジネスとして利益がほとんど出なくて苦戦しました。

――ビジネスとして継続することが難しかったんですね

もともと経験の少ない若者ですから紹介料も価格破壊的に下げていました。それでも就職がなかなか決まらなかったんです。

――どんな若者が顧客だったんですか?

僕らが出会う若者は、就活の波に乗れていない子たちばかりでした。
あまりにも不採用が続くのでみんな落ちこみ、なかには精神的にしんどくなる子も。

就活自体をやめる子も目の当たりにしました。

若者に会社の説明をして「そこに行きたい!」となったら紹介する。
でも、それで面接に行ったら落とされるんですよ。

企業側は通常の採用ルートで応募者が少なかったからウチに依頼をしています。でも、だからといって甘くなるわけではないんですよね。採用基準から逸脱しないし、誰でもいいわけではないんですよね。

僕たちは若者に寄り添います。自分探しに延々と付き合ったり、この本読んでみたらと色々と紹介したり。途中で「これ、株式会社の枠を超えてきているな」とハタと気付きました。

――寄り添っても利益は出ないですもんね・・

そうなんです。紹介業ですから。

でも、それで「今は紹介できるお仕事はありません」とお引き取りいただいて、その後、彼らはどうなるんだろう?とずっとモヤモヤが残りました。

――やり方を変える気はなかった?

そうですね。みんな若者に寄り添いたい気持ちが強かったのだと思います。

若者に力を入れて「働く」の手前のところから関わる人材会社は他にもあって連携していましたが、結局みんなやめてしまいました。

この頃には、NPO法人としてやるのが本来なのかなあと、ちらっと友人に話したこともありました。

――会社は倒産したのでしょうか?

2008年に休眠させようという話になり、縮小を続け赤字になる前に止めました。当時は「機を見てまたいつか再開しよう」くらいの気持ちはあって、いったん大阪に戻りゆっくりして旅にでも出ようと思っていました。

――同じ年には育て上げネットに入職してますよね?

はい。帰郷してすぐ学生援護会時代の上司から連絡があったんです。

「大阪市の事業の“コネクションズおおさか”って知ってる?今、石山さんて人といるから話聞きに来てよ」と。

帰ってからはボーイスカウトのリーダーとして1週間くらいキャンプに行くつもりで、連絡をもらったのがキャンプに出掛ける当日でした。

なので「通り道なので寄ってきますわ」と軽く返事をして、短パンとビーサンに巨大なリュックを背負ったまま当時の拠点があった場所に行きました。

――ずいぶん気軽に行かれたんですね

結果的にそれが育て上げネットの面接でした(笑)

僕はセミナー講師の仕事をもらえるのかなーくらいの気持ちでいたら、外に連れ出されて、東京の元上司と石山さんと喫茶店に行きました。

それが事務局長の石山さんとの最初の出会いです。

――いきなり面接が始まっちゃった?

石山「履歴書とかないよね?」
高崎「ないですが、僕のプロフィールが載ってるチラシならありますけど・・」
石山「ああそれでいいよ!若者とは関わったことある?」
高崎「ちょうど今からボーイスカウトのキャンプに行くんですが・・」
石山「あ、ボーイスカウトやってるならイケるね!!」

とか、面接といえるのかどうか…かなり気楽な場でしたね。
ボーイスカウトの経験って活きるんだ、と思いました。

――ボーイスカウトの評価が高かったんですね

僕は母子家庭で旅行とかにも行く機会が少なかったので、母がボーイスカウトに入れてくれました。それ以降、育て上げネットに来る直前まで関わっています。想いの強い有志が集まる世界でした。

人との関わり方、年上や年下の人との関係性など、大切なことはすべてボーイスカウトで学びました。

カブスカウト時代。前列真ん中が高崎。

若者支援に浸かり「働く」を考える

井村さんとの出会い

――もうこれで入職決定ですか?

いえいえ、その後ももう少しありました。

東京・立川の本部で、「ジョブトレ」という若者向けの支援プログラムがあって、若者が15人くらい来ている日に呼ばれました。

そしたら井村さんが「今日は企業で面接とかを教えてた人がいるから、みんな模擬面接をやってもらおうよ」と言い始めて。

井村さんは育て上げネットの大阪拠点の立ち上げメンバーのひとりで、初めて会ったこの日のことは、今でもよく覚えています。

――かなりのドタバタが…

本当にそこから全員の模擬面接がその場で始まりました。

入室から退室まで一連の流れを全員分やりましたが、僕もなんの準備もしてなかったので少し焦りました(笑)

「どうぞ〜。興味があることはなんですか?」とか聞いて、15人分の面接をどんどんどんどん回していって。その間、ずっと井村さんは横で鎮座してたんですけど、今思えば僕の受け答えを見ていたのかな。

――模擬面接が採用試験に・・・

たぶんですよ(笑)

そのあと「では9月から来てください」と。
コネクションズおおさかで働くという認識くらいでいたのですが、次第に所長ポジションだということもわかってきました。

1年くらいは井村さんと二人三脚で勉強させてもらいました。何もわからない僕は「若者をどう呼べばいいですか?」「服装は何を着たらいいですか?」と本当に基本的なことから質問しまくってました。

――覚えているエピソードはありますか?

最初に驚いたのが、井村さんと大阪の労働局に行ったときのこと。

僕は前職のときから、いつもスーツでネクタイをきっちり締めていました。
ところが井村さんは「クールビズ」も「オフィスカジュアル」もない時代に、首にタオルを巻き、巨大なリュックを背負い、履き潰したスニーカー。

それが衝撃でした。

――たしかに大丈夫かなって心配になります

「すげーな、これアリなのか・・」と内心ドキドキしてたんですけど、もっと驚いたのは、行政の人たちが、井村さんを見つけると駆け寄ってきたんです。

今の担当者の方はもちろん、以前関わった人や接点ある人とか、みんな声かけてくるんです。

井村さんが出た記事とかスクラップにしてノートに貼っていて。わざわざ持って来て「井村さん、読んだでこの記事」と話しかけてくる。

「なんかこの人すげーなー」と思いました。

――井村さんはどんな人?

あたたかい人ですね。一見クール?でも秘めた迫力がすごい。

僕はこれまで官公庁向けに仕事をしていましたが、企業の営業マンとして行って、きっちりやって、でも向こうとは埋められない遠い距離がありました。プライベートな話なんてありませんでしたし(笑)

でも井村さんの場合は向こうから、行政の人がファンになって寄ってくる(笑)

あまりの違いに衝撃を受けました。最初タオル巻いてる姿を見たとき、怒られるんじゃないかと思ったのに(笑)

――カリスマみたいなものでしょうか

そうでしょうね。
個人的に井村さんを応援してる人がものすごく多くいます。

――高崎さんは所長としてどんなことをしたのでしょう?

若者との面談や保護者からの相談。講座もいろいろ試しました。
今では一般的ですが、ゆるい講座から仕事に近い講座への流れを考えたりしていました。

――保護者相談もされたんですね

当時僕はまだ29歳で、保護者の方はみなさん年上で、子育ての相談とか・・どうしようと思ったこともありました。

また、医療機関との連携が必要となってくるケースもあり、なおさらわからないことだらけ。

今でもよく覚えてますけど、井村さんにその日感じた疑問や質問、かなり重たいものまで、毎日毎日…ぶつけてました。僕が夜に大量の質問メールを送ると、翌朝には全ての回答が届いてました。

ここはこうすべき、とかこの本を読むべきとか、ここはこうで良いんじゃないかとか朝には方針が届いてるので、それをずっと道しるべにしてきました。1年くらいそんな感じでずっと付き合ってくれました。

コネクションズ大阪時代の高校への出張授業

スキップする彼

――印象深いケースはありますか?

大学を卒業した後、「働く意味」がわからなくなって、「生きる意味」を見失うほどに行き詰まり、長くひきこもり状態で悩んでいる子がいました。

一緒に仕事探しをしましたが、彼が提示した条件がとんでもなく細かくて。
(そんな仕事あるのかよ!!)と正直思ってたんですが実はあったんです!

探して探して、1個だけ条件を満たす求人が見つかったんです。

「おおおお!!!!!あるあるある!!」って2人で感激して。

その日、彼がコネクションズ大阪から帰っていく後ろ姿を見てたら、スキップしてたんです。30代の大きな男性ですよ。

――よっぽどだったんですね

僕、その姿を窓から見てて。

(うわ、めっちゃ喜んでる!よかったな)と思って。

まだ応募すらしてない。求人を見つけただけなんですよ。

――応募はできたんですか?

はい、応募はしましたが書類で不採用でした。
長年ひきこもった直後だったので厳しかったのでしょう。

ただ、僕は本当に驚いたんですけど、不採用がわかったところで次の企業を自ら受けていたんですよ。

――急に活動的になりましたね

僕は落とされた理由が納得いかなかったんです。

あいまいな理由だったから「結果は覆らないだろうけど電話するわ」と怒ってたら、「やめてくださいよ!もういいんです」と言われてしまって(笑)

「もう僕、次にいってるんですから。ややこしくしないでください」と逆にたしなめられました。僕が怒ってたのを見て逆に冷静になったみたいでした。

それからは自分で動いて履歴書もサンプルを見ながら自分で書いて、未経験でも出来そうな仕事を見つけて就職しました。その後また転職しましたが、今でも仕事はずっと続けています。

それまで色んな理由が重なってひきこもり状態だったのが、ちょっとしたきっかけで動き出し、そこから非常に速かったんです。とても印象深い出来事でした。

――同世代の若者と接するのに難しさは?

最初の頃は悩みました。

相談を聞くと言っても、学校の先生のような立ち位置ではなく、また、ひきこもりも10年とか経つと本音の部分はわからないかもしれない。

僕ができることといえば、暗中模索のなか、手探りで一緒に進んでいくしかなくて。

さっきの事例の若者も、一緒に求人を探して見つけたら喜んで、落とされたら一緒に悲しんで、次に切り替えて、みたいな。

変に距離感を意識するより、できることを一緒にやって伴走していく。
それくらいしかできないし、そういうスタンスを井村さんに教えてもらったので信じてやってきました。

――いまもコネクションズおおさかのスタッフですか?

いえ、コネクションズおおさかのスタッフとは連携していますが、今はもう所長を交代し、更生支援事業を中心に動いています。

更生支援へ

――更生支援はどういう経緯で関わるようになったんですか?

コネクションズおおさかの所長をしていたときに、少年院を出院した少年が紹介されてきたことがありました。彼らとは最初の1回目は話せたとしても、とにかくその後の継続が無いんです。

保護司さんや保護者の方と一緒に来てくださるものの、最初だけでもうそれっきりです。

――2回目がないんですね

理由はいろいろあります。
大人を信用してないとか、相談するのが苦手だったり。

言葉を選ばずいうと、彼らが僕らを必要としていなかったように思います。

例えば、僕らがやってる講座で「コミュニケーション講座」があるんですけど「そんなのいらないっしょ」みたいな感じで。

そんなことする暇があったら「バイト行ってお金になることしますわ」みたいな感じで。実際どんどん面接に行ける人もいるので、やがて採用されるんですよ。僕らの支援は求められてないですよね。

――確かに…働けないわけではないんですね

“就職”をゴールとみなす場合は特に必要ないでしょうね。

ただ、悪い方に流されがちな子も多くて、そうでない大人がつながりを作るのは大事だと思います。

少年院に入る理由はさまざまで、本人の性格であったり、家族や育ってきた環境もあります。弱みを見せたら利用される世界で人に裏切られた経験があったりとかして、全部自分で背負いこんでしまう子も。関係性を築くのが苦手な人も多いです。

だから仕事はすぐ決まるけど、同じくらいすぐ辞めがち。

なるべく早く衣食住を整えないといけないから社宅がある職場を選ぶ若者も多いんですけど、社内の人間関係のトラブルでやめちゃって、同時に家も出ないといけないなんてこともあります。

そうなるとネカフェか友達の家に泊まりに行ったりします。でもそれも長続きしません。そうなると昔のつながりから悪い仲間の方に流されてしまったり……

働けるから支援が必要ないかというと決してそんなことはありません。いわゆる就活の支援とはもっと別の、誰か大人が関わり続ける支援が必要だと思います。

――具体的にはどういうことをしている?

少年院の中と外で連携しています。
院内では、学習支援やキャリアセミナー、育て上げネットとして高校生向けに行っているコンテンツも実施しています。出院後の支援で力を入れているのは、食べ物を送りながらつながる伴走支援です。

――食料を送るのは困窮する子が多いから?

ですね。少年院を出院するときは引受人が必要です。
親に頼れない場合は、協力雇用主である企業の社長さんとかが引受人になってくれて、社宅などに入るケースもあります。でも給与が出るのは翌月以降だったりします。

雇用主さんが家電など用意してくれる場合もありますが、食べもので困ることもあり、出院した直後は貯金もなかったりするので、落ち着くまで1〜2ヶ月は困るよね、というのが食料支援の始まりでした。

少年たちとつながり続けるためのツールとして有用だと気づきました。
食料が届いた頃「最近どう?」という連絡をします。食料は彼らとつながり続けるための重要な媒介なんです。

――食料をきっかけにつながっていくんですね

例えば、食料が突然届かなる子がいます。配達の人も朝、昼、夜、土日と何回もチャレンジしてくれるんだけど「どうもいないみたいです」と。

絶対に何かあったわけじゃないですか。

電話したり共通の知り合いから辿っていくと、夜逃げ同然で消えたことが判明したりします。

じゃあその食料がいらないかというと、彼らとしてはむちゃくちゃ必要なんですよ。でも言ってこない。それぐらい、なかなか相談してくれないんですよ。

出院後の孤独

――そう簡単に頼ってもらえないですね

最初、少年院を出院する子はやんちゃな子が多いのかと勝手に想像していましたが、大人しい子やマジメな子も多くて、相当なギャップがありました。

僕は未だに、どうして彼らは少年院にきたのだろうとモヤモヤすることが多いです。複雑な要素が絡み合った結果、そういう道に引っ張られてしまったという背景があると、環境という大きな流れもあるなと感じています。

あるとき、院内で10代後半の少年に出会いました。
ずっと手紙のやりとりをして、出院する日に会い、食料も渡しました。

何か不安はないか尋ねると、「僕、たくさん食べるので食料が尽きないか心配です」なんて明るく笑って話してくれて「食べ物ならいっぱい用意しておくから」なんて談笑できたんです。

ところが、次第に元気がなくなっていきます。

出院して一週間、職場でうまく人間関係が築けなくて、不安と孤独からほぼ食べれずに眠れなかったそうです。

仕事は続けていましたが、こちらが会おうといっても「忙しい」「遊びに行ってる」「全然大丈夫なんで」とか言われて断られたので、あるときアポなしで会いに行きました。

「たまたま近所まで来たから」と言い、食料を持参しました。
そしたらガリガリに痩せて目もクマだらけで。

そこで初めて、不安でほとんど食べられていないことを打ち明けてくれました。

――退院したからといってうまくいくわけではないですね…

その姿を見て、とにかく出院してからの孤独は、僕らが思ってる以上に本当にしんどいということを痛感しました。

彼は「少年院に戻りたい」と話していました。

――今はどうしてる?

転職活動の結果が実り、別の仕事をしています。
憧れの仕事だったそうで喜んでました。

――だいぶ元気になったんですね

彼の場合は、友達がいてくれたのが大きかったかもしれません。

今の仕事もまた何かあるかもしれませんし、きっと今後も転機は訪れるでしょうから、僕らがつながり続けることが大事だなと思います。

どの子もたまに電話したら出てくれるし「元気です、大丈夫です」と言うけど、よくよく話を聞いてみると「人間関係がうまくいってなくて、近々会社やめようかと思って・・、そしたら住むところがなくて」とか、ボソッと言うんですよね。

――ボソッと言える相手がいるって大事ですね

井村さんは「困ってる人ほど相談に来れない」とよく言ってました。
まさにそんな状況だと思います。

だからこちらから行って、食料もおせっかいに送り続けて。
「食料どう?届いた?」という電話ならとってくれるんです。

業務連絡だからとってくれる。
そこから近況を聞いています。

最初がっつり関わって、緩やかにつながり続ける。

結婚したり転職したりどんどん自分の人生を進む子もいます。
エネルギーを持ってる子も多いです。

だけど、最近はおとなしい子にもよく出会います。
僕も少年院に入るようになってギャップで衝撃を受けています。

――明確なゴールがないですね。そこにしんどさはない?

悪い変化ばかりだとしんどいですが、良い変化もたくさんあります。

今後も何があるか分かりませんが、少年たちとつながり続けたいと思っています。僕らにできることは限られていますが、その点は他団体と連携しながら彼らをサポートして伴走していきたいと思っています。

最近、少年から「あと2日で食べるものがなくなります!」といった連絡も来るようになったので、これからも困ったとき頼ってもらえる存在でありたいと思います。

――今後の展望、理想は?

少年院などのスタディツアーを通じて、まだまだ啓発を続けて行くことが必要だと感じています。

正直、同じ若者支援の支援者側でも、リファーをお願いして暗に拒否されたことは1回や2回じゃありません。支援機関ですらそうですから、一般の方はさもありなんですね。

今の目標は、継続支援してくださる寄付者を1,000人に増やすことです。
少年に「とりあえず食料を送るよ」というと、いつも不思議そうな顔をします。

「なんでこんなにしてくれるんですか?」と。

「君たちを応援している寄付者がいるから、買えるんやで」と話すと、みんな驚愕します。

そのうち「寄付者が1,000人いるんやで」って言うともっと驚くと思います。
「そんなに僕らを応援してくれる人がいるのか!」というインパクトは半端じゃないと思うんですよ。もしかしたら彼らの支えになるかもしれない。

――今に至るまで、一貫して若者に伴走してますね

僕はSE時代にマックの人を見て「働く」を考え出して、答えが出たのは育て上げネットに入ってからなんですよね。

その答えは正しいかわからないけど「自分なりに今できることをやろう」と。

僕はもともと相当に適当な人間です。
仕事も2年と続いたことがなかったから人のこと言えなくて(笑)

育て上げネットで16年続いているのが奇跡。井村さんと働いた最初の時期も本当に楽しくて。僕も支援されてきたと思っています。

恩返ししなければと思っていますが、今でも教えてもらうこと勉強させてもらうことが多くて、給料までもらって。借りが今も増えていて、雪だるま式になっててやばいなーって感じです(笑)

今、僕が働く理由は、育て上げネットにもっと恩返ししなきゃっていう、ただそれだけ。

今回はここまで!

読んでいただきありがとうございました。
次回は広報に事業について振り返ります。6月中旬公開予定です!


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