原宿 1980 夏_35
No 35 oclok
辛いことがあるとオレはそのことを他人には話さない。
人の不幸で酒は飲まない。
辛い気持ちを薄めるのにイロイロとアタマの中で格闘するが結局時間が経つことに身を任すしかないんだよね。
逆にこんだけ時が経つとヤスエちゃんを思い出してあげたいから話したかったのかも。
それからヤスエちゃんの自殺の原因が少しずつわかってきた。でもそのことをここで書くのはよそう。
噂話に想像を加えて人を責めるのはよそう。
ただ一つだけ、ヤスエちゃんは婚約していて、自殺した翌日が婚約指輪を貰う日だったらしい。
カッコつけんなよ、自分の命を無駄にして
バカヤロー!
そんなことがあってもうオレはとてもじゃないが絵を描きに行かなくなった。
あ、いや行けなくなった、か
まだ全然描きかけのままで、
階段の先の入口のドアのところまで描くつもりだった。
あれから40年の時が過ぎてしまった。
自分もいろんなことが変わり周りもいろんなことが変わっていった。
フライデーも今では伝説的なお店になっている。
あのクレイジーケンバンドの聖地として映画にもなっている。
クレイジーケンバンドが毎月ライブをやっていると聞き
こっそり見に行ってみた。
テレビドラマのタイガーアンドドラゴンの主題歌を歌っているころで斜め前の席に脚本の宮藤官九郎さんが来ていた
階段の絵とも30何年ぶりに再会して最後まで描きたかったなあ、という思いと今ならもっと上手く描けるのになあと想いを巡らせると後ろの階段でヤスエちゃんが座って笑っていた。
それから、しばらくしてなぜかまた行きたくなり会社の人を誘いフライデーに行ったのでした。
そこでオーナーの磯原さんと30何年ぶりに再会した。
昔話に花が咲きまた絵の続きを描いてよと言われた。
オレは苦笑いして丁重にお断わりした。いろんな意味で無理だったのです。
それから数日が過ぎ磯原さんの言葉がアタマをよぎった。
そうかあ、壁の絵は描けないが家でキャンパスにアクリル絵の具で磯原さんとクレイジーケンバンドの絵を描いて送ってあげることにした。
これで許して〜。
しばらくしてお礼の品とお手紙が届いた。
絵はステージの真ん中に飾らしてもらいました。 と。
まあこれで良かったんだよねと自分を納得させる。
ある日NHKのソングスを見てたらクレイジーケンバンドの特集をやっていて横山剣さんがオレの絵を斜めバックに歌を熱唱していた。
あの原宿の夏の日表参道でファラオコートを着てポマードを溶かしながらビラを配っていたケンさんが。
面白い、人生はほんとに面白いものですね。
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