ソーダポップクー

原宿ホコ天あの夏の日 みんな熱かった 気温も暑かった ロックンロールという熱病におかさ…

ソーダポップクー

原宿ホコ天あの夏の日 みんな熱かった 気温も暑かった ロックンロールという熱病におかされ体温は180度ぐらいあっただろう 今想いだしただけでも具合いが悪くなってくる。 原宿 1980 夏 あの日に帰りたい。

最近の記事

原宿 1980 夏_49

No. 49 oclok テツナカムラ今はロサンゼルスに住んでいる。 オレたちと原宿で踊ったりバンドをやってた頃はテツヤとよんでいた。 オレのマブダチのアンベとも仲良しで何かとつるんでた。 チャラっと原宿に現れてみんなにサラっと溶け込めるヤツだった。 ここ一番自分の意見を言うときはガッツリと相手の目を見てブレない考えを言い最後にニコっと笑う。 絶対に相手を不快にさせず自分の人生を渡って行けるやつ バンドを辞めた後に上野のバイト先の喫茶店に現れて二人で呑みに行った。 『 

    • 原宿 1980 夏_48

        No. 48 oclok 鹿鳴館の初ライブが終わった オレはどうしたことか気持ちがナーバスになっていた。 あんなにやりたかったバンドだったのに。 漠然と思い描いてた夢はリアリティがないからフワフワした気持ちでいれたのだろう。 それが良かったんだろう、 それで良かったんだろう。 やってみて初めてわかったことはバンドで絶対に有名になってやるんだ的な気持ちはなかった、ましてやオレのバンドのメンバーに比べたら。 きっとその気持ちをメンバーに教えられたのだろう。 スタジオ練習を

      • 原宿 1980 夏_47

          No, 47 oclok    Spiled stories ep.1 むかし確かフジテレビのとんねるずの歌番組でクレイジーケンバンドの『 タイガーアンドドラゴン 』が話題になってる頃、バンドの聖地といわれてる横浜の壁に絵を描いたあのライブハウスのFRIDAYをスタジオに完全再現したことがあった。 ライブハウスにフジテレビの美術と大道具さんが来てすべてのものを寸法を測りすべてのものの色をチェックして再現して、そこでケンさんが歌ったのです。 その一曲

        • 原宿 1980 夏_46

            No. 46 oclok それからオレたちは鹿鳴館に向けてスタジオ練習を続けたやっぱりナマの楽器の音は体に突き刺さる感じがメチャクチャ気持ちいい。  ♫ ゴーゴーゴージョニー      ゴーゴー   ゴージョニーゴーゴー  ジョニーBグット〜 ♫ ヤマちゃんの迫力のあるボーカルが響き渡る。 そして青木のペパーミントツイスト  ♫ ゴナニューダンスナ   ゴーライクデス パッシュバ    パパバパシュバー ♫ 顔が険しいけどイイヨ〜 スローナンバーはやっぱ ベンイーキン

          原宿 1980 夏_45

           No. 45 oclok 田舎で育ちキャロルを見て エーちゃんの『成り上がり』を読んで上京して、バンドやって挫折して田舎へ帰ったヤツ、どんだけいるんだろう。 そんなことより初ライブハウス! テンションと不安が頭の中を∞状態で渦巻いている アマチュアなんてこんなもんで、スーパースターが余裕で東京ドームなんかでやってんのって、う〜ん、どゆこと? まあゴタクをならべてないでもっと練習しろってね! あっそうそうこれだけは話しておかないことが。 ベースの仲村哲也、今はロサンゼルスに

          原宿 1980 夏_44

          No, 44 oclok それからスタジオ練習を重ねていった。 原宿のロックンロールチームにファーファミリーとチームがありそこのリーダーの大宮のアキラとヒョンなことからバンドの話になりオレ達もバンドやってんだという話のながれで、いっしょにライブやんない〜ってことになった。 『 うん、やろうぜ! 』 軽いノリで話はきまった。 まあバンドのメンバーも人前でそろそろ演ってみたいというのもあったのでいいタイミングだったと思う。 それからすぐに日にちと場所が決まった。 原宿の竹

          原宿 1980 夏_43

           No.43 oclok いわゆる青春中毒性幻夢依存症とでもいいますか、特に田舎育ちの若者がよくかかる 悪性のハシカみたいなものでだいたい3年ぐらいで自然治癒して田舎に帰っていきます。 たまにこじらせてずっと東京のボロアパートでアガキ苦しむ若者もいます。 そういう若者君には早く現実と向き合わせもう若くはないんだよ、青春は終わったんだよと強く言ってあげましょう そんなオレも患者さんだったのかもしれないなあ。 今思えばバンドをやりたいと新聞配達の給料でまず御茶ノ水にGr

          原宿 1980 夏_42

          No. 42 oclok 原宿の暑い熱い夏も過ぎようとしていた。 路上に流れるロックンロールも同じ曲なのになぜか物悲しく聴こえてくるのは何故だろうか。 そうだバンドをやるんだ。 忘れていたわけじゃない。 原宿で踊っているのが楽しくてちょっと忘れたフリをしていました。ごめんなさい。 もうメンバーは揃っているじゃないか。 バンドのメンバーに声を掛けると待ってました!て感じでした。さらにごめんなさい。 山本と青木のツインボーカルムナカタがサイドギター、 モキチがドラム、そしての

          原宿 1980 夏

            それは遠い記憶の想い出  若者は皆、自分の未来を想像する。 いいほうにも悪いほうにも想像する。ああなりたいこうなりたいとイメージする。それを具体的に人生のタイムスケジュールを立てて目的に向って努力するヤツ、周りに流されてただぼんやりと、酔っぱらったときだけ熱く夢を語るヤツ。オレは後者だったね。人生には思いがけない事が何かと起こる。良い方にも悪いほうにも予期せぬ出来事が待っている。それをツイてるとかツイてないとか思いを巡らせる。そうあのときもそうだった。うちのチームに横

          原宿 1980 夏_41

            No. 41 oclok そんなマブダチのアンベとも別れの時が。 ヤツは岩手の宮古で生まれ育った。 恐ろしく泳ぐのが得意で一緒に海に行った時、姿が見えなくなるくらい沖まで泳いでいって平然と海から上がってきた時はカッチョいいヤツだなと尊敬したものだ。 それともう一つ、ヤツは高い所が全然平気で八百屋の後に塗装の仕事をしていて、飲みの待ちあわせの時 『いや〜今日はイトーヨーカドーの白の鳩を綱なしで塗ってきたっす。』 なんて言ってたっけ。 それがヤツの命取りになってしまった

          原宿 1980 夏_40

            No. 40 oclok そんなこんなで土砂降りの雨の高速をオレたちは東京へと逆行していた。オレたち100キロ向かいから車が100キロあわせて200キロ。 はい、よくできました。 土砂降りの雨の音の中を狂ったように鳴り響く凶気のクラクション。 ファーン! アタマの中をエンドレスで ディックディルのミザルーが流れている。 チョットしたトランス状態、ゲームセンターのレースマシンなら何回でも事故れるけどこれはリアル、一回事故ったら人生ゲームオーバー。 意識と時間がどこかに

          原宿 1980 夏_39

            No.39 oclok 本当のドラマのクライマックスはここからだった。 成金おぼっちゃまとツーレディーはお帰りになりBBSの演奏も終わり時計を見るともう4時を回ってる。 お客さんもオレたち以外はいなくなっていた。 アンベは右手をボクサーのバンテージのように包帯をぐるぐる巻にして左手にウイスキーグラスを持ち目だけはギラギラしていてまだ怒りは収まらないようだ。 『そろそろ行こうぜアンベ もう10時間ぐらい飲んでるんだぜ〜』 『行きますか〜』 店内を寂しくボビービントンの

          原宿 1980 夏_38

            NO. 38 oclok 横浜のフライデーにアンベと飲みに行った。 オーナーの磯原さんともすぐに仲良しになってアンベちゃんと呼ばれていた。 ハウスバンドのBBSのロックンロールナンバーを聴きながらウイスキーをアオリーのツイスト踊りーので二人ともご機嫌マックス。 BBSのメンバーとも仲良しになりバンドのメンバーの将来の夢と不安の話を聞いたりした、いわゆる光と影、スポットライトを浴びた分だけ影ができるものなのです。 ボーカルの人は沢田研二と米米CLUBの石井竜也を足したよ

          原宿 1980 夏_37

          No. 37 oclok 13年前の東北大震災あの津波の映像はあまりに衝撃的すぎてこの世の終わりかと思ったものだった。 岩手県の宮古市、津波の直撃を受けた。 オレのマブダチの安部ミサト そこにヤツが住んでいた。 ハワイアンリーゼントを自慢してた、酒癖が悪いが憎めないヤツ、おっちょこちょいだけどまがったことが大嫌いなヤツ、ツイスト踊るときみんなを笑わせようとオカマツイスト、芸者さんツイスト、アントニオ猪木ツイスト、なんでもリクエストに答えてた。 あんな最高のヤツはそ

          原宿 1980 夏_36

          No. 36 oclok それからオレのアパートは チームのメンバーのたまり場になっていった。 毎日のように何人かが入れ代わり立ち代わりあーでもないこーでもないと、 酒とタバコとロックンロール う〜んパーフェクト! 多いときは男女あわせて 15〜16人で飲んでダベって踊って倒れるように全員泊まってく。 台所までぎっしり男女入り乱れて雑魚寝ときてる。 夜中トイレなんてときは 踏まないようにツイッターゲームさながら足の間腕の間と忍び足でトイレへと向かう。 ツイッター

          原宿 1980 夏_35

          No 35 oclok 辛いことがあるとオレはそのことを他人には話さない。 人の不幸で酒は飲まない。 辛い気持ちを薄めるのにイロイロとアタマの中で格闘するが結局時間が経つことに身を任すしかないんだよね。 逆にこんだけ時が経つとヤスエちゃんを思い出してあげたいから話したかったのかも。 それからヤスエちゃんの自殺の原因が少しずつわかってきた。でもそのことをここで書くのはよそう。 噂話に想像を加えて人を責めるのはよそう。 ただ一つだけ、ヤスエちゃんは婚約していて、自殺した翌日