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原宿 1980 夏_42

 No. 42 oclok

原宿の暑い熱い夏も過ぎようとしていた。
路上に流れるロックンロールも同じ曲なのになぜか物悲しく聴こえてくるのは何故だろうか。
そうだバンドをやるんだ。
忘れていたわけじゃない。
原宿で踊っているのが楽しくてちょっと忘れたフリをしていました。ごめんなさい。
もうメンバーは揃っているじゃないか。
バンドのメンバーに声を掛けると待ってました!て感じでした。さらにごめんなさい。
山本と青木のツインボーカルムナカタがサイドギター、
モキチがドラム、そしてのちのブルースハープでロサンゼルスに移住してしまうベースのテツヤ、んでもってリードギターのオレ。
マブダチのアンベが練習スタジオを探してきてくれた。
目黒のマットスタジオ、目黒の駅前の坂を下ったところにある小さなスタジオだが後に坂の手前にライブハウス鹿鳴館をつくり今では有名な老舗となっている。
メンバーでとりあえず10曲オールドロックンロールをカバーしようぜ、ということした
 まあスタンダードなところからということで、ロックアランドザクロック、火の玉ロック、ペパーミントツイストスタンドバイミーなどなど。
とりあえず練習初日テンポとキーを合わせてそれなりに終わった。


オレとしてはスタジオでバンドとして練習したのは初めてだった。
田舎の高校生のときフォークソングブームで町に一軒だけあった楽器屋さんで8500円のフォークギターを買って拓郎
陽水、イズミヤ、アリス、かぐや姫などをコピーしていた
 そこに突然現れたキャロル
学校の昼休みギターをいじっているとツッパリ野郎達が便所で食後の一服が終わって帰ってくると
「おい、ファンキーモンキーベィビーやってくれよ。亅
て感じのフォークとロックンロールの二刀流だった。
そんなある日、工業高校の軽音部のヤツらと町の公民館で一緒にコンサートをやった時にヤツらはキャロルのコピーバンドで出番の前裏側の流し場でカガミの前でポマードをつけてクシで撫で付けリーゼントにしていた。
田舎のツッパリはだいたい
アイパー、パンチ、ニグロまたは5厘の丸刈りだった。
そんなオレにはリーゼントはかなり衝撃的だった。
そこへブルース・リーの燃えよドラゴン、トドメはエーちゃんの『成り上がり』
東京へ行かなきゃ、田舎にくすぶっている場合じゃない。
東京へいってロックンロールをやらなくちゃならないんだ
 勢いだけはあったオレ!


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