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【誰かのために】いま、自分は無力なのか

sorato24です。
今日は少し、哲学してみます。

涙を見て過去を思い出してしまったので

ある人の涙を見て、思い出したことがある。

「死にたい人が多すぎる」

高校生の頃、僕の周りには命を捨てたい人が多かった。

様々な理由がある。

  • 家庭事情

  • 暴力

  • いじめ

その他にも、僕が意見を述べるには重すぎる内容のものばかりだった。

しかし、その最たる理由は「別れによるもの」だったに違いない。

精神的な苦痛を感じつつ、この世から去ってしまいたいと感じることがある。

きっと誰にでもあることなのだが、行動として移してしまう人もいる。

社会人になり、命を捨てたい人はいなくなった。

いや、「隠す人が多くなった」のだ。

僕のような凡人には、彼ら(もしくは彼女ら)の感情を知るすべはない。

少し相談を聞いてみては、知った気になって言っていた。

「大丈夫。僕がそばにいるから」

だけど、彼らは僕の前から消えていった。

遠くの世界へ行ってしまったのか。

今もどこかで命を繋いでいるのだろうか。

過去の人々との出会いと別れは、僕に何を伝えているのか。

さっぱりわからなかった。

「自分にできることってなんだろう」

僕は彼らの相談にのり、できることはすべてやったつもりになってた。

「食事」「住居」「仕事」

生きるためのすべてを、僕は与えてみたつもりだったのだ。

その結果、もちろん自分の資金は激減し、赤の他人である彼らは消えた。

僕はうぬぼれたのだ。

当時の僕は、お金も稼いでいて豊かだった。

自分でも感じるほどに、何の不自由もなかった。

親のおかげで生きてこれたことを知っていながら、実感として「ありがとう」とも感じなかった。

ただ僕の心の中は「たった1つの繋がり」がほしかった。

孤独というのだろうか。

今でもまだ、わからない。

春は心を惑わす空気が漂う。

幸せも、そこにあるのかもしれない。

だけど、見えないところに、不幸も必ず存在している。

「二面性」

世の中には2つのことが、同時に起きているという。

出会いがあれば、別れがある。

いや、違う。

出会いと別れは同時に起こる。

同じように「幸福」と「不幸」も同時に起きている。

感じている本人が、それを「幸福」と呼ぶのか「不幸」と呼ぶのかが違うだけ。

そして今、僕はパソコンに向かって文章を書く仕事をしている。

誰かの心に届くのだろうか。

届いたとしたら「幸福」や「楽しみ」を提供できているのだろうか。

大人になって自惚れた僕は、資金を失い友人を無くした。

ただ一人、送られてくる請求書を見ながらため息を付いた。

そのとき、彼らの気持ちが少し理解できた気がした。

「消えてしまいたい」

僕は生き続けるのだが、感情だけはわかった気がした。

僕の場合は資金的な都合によるものだった。

今では改善されたものの、当時の感情は深く刻まれている。

そして、思ったのだ。

「誰かのために生きるなんて・・・できないや」

自分のために生きることすら、ろくにできなくなってしまう。

小学生のころ、学校の先生が教えてくれた。

「みんな仲良く過ごしましょう」

無理だ。

お金の余裕は心の余裕というけれど、それは本当だった。

財布の中に千円札すらなくなってしまうと、心に余裕など生まれるはずもない。

だが、世の中にはお金に余裕があっても「孤独」を感じる人もいる。

「僕がそばにいる」

そんな言葉を聞きたいわけじゃない。

優しくされると、余計にイラッとしてしまう。

自分が「不幸のど真ん中」にいるような感覚になり、誰も自分を理解してくれないと感じてしまう。

ただ、涙がこぼれる。

あのときの自分は、いったい何を求めていたのだろう。

誰かの優しさではない。

お金は生活するために必要だった。

遊びたかったわけでもない。

何を、求めていたのだろう。

あのときからもう、10回以上の春が通り過ぎた。

今年もそろそろ春が終わる。

稼げるようになった今、ある人の涙を見るまでは忘れていた感覚。

そうだ。

僕は・・・・・

頑張っている人の姿を見たかったんだ。

「自分も真似していいんだよ」って。

そう思わせてくれる、素敵な人に出会いたかった。

そばにいてほしいわけじゃない。

ただ「同じ想いをもって、努力している仲間」がほしかった。

別の仕事をしていても構わない。

「俺は頑張ったぞ。お前は?」
「お前、すげえな!俺も負けてないけどな」
「私って情けないんだよね。俺と勝負しない?」
「私と一緒に、頑張ってみない?」

そんな心の繋がりを求めて、僕はしぶとく生きてきた。

僕とは違う悩みを持った人もいる。

こんな個人の哲学が、誰かの参考になるとも思えない。

だけど、もしかすると「同じ想い」を感じている人もいるかもしれない。

だから、この記事を書こうと思った。

過去の自分の恥を晒し、誰かの心に触れることができたなら有り難い。

僕はしぶとく努力する。

あなたも、僕と一緒に目指してみてはいただけないだろうか。

笑いあえる日々を夢見て。

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