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芸術と芸能、左と右、制と動

少し乱暴に考察してみる。 前から思っていたんだが、 Twitter見ていても周りを見ても 演劇人には左翼 お笑い芸人には右翼が多い。 これは何故なんだろう。 ということを考えます。 日本のみならず例えばアメリカの演劇人にも左翼が多いのは...

Posted by Hiroshi Shimizu on Wednesday, September 1, 2021

こちらの記事を興味深く拝読させてさせていただいた。演劇について全く知識がないが、端的に述べた以下の文章が、自分の考察を深めさせてくれた。

芸能は現実との摩擦で傷つく人間を楽しませ、
慰め癒し、あなたはよくやったと労い肯定する。

一方の芸術は現実に対して異議を唱え、
その中に安住する人間にお前はそれでいいのかと突きつける。

更に端的に言うと、芸能は「これでいいのだ」、芸術は「これでいいのか」なのだろう。保守の芸能と改革の芸術の二元論をしやすいネタだ。

左派と右派の構図はハンドルを想起させる。右ばかりハンドルを切ると真っすぐ行けないから、左にもハンドルを切らないといけない。左と右のバランスを取ってはじめて真っ直ぐ進める。

となると…保守優勢の今は全体的には右方向に進んでいるのだろうか?世の中には右利きのほうが絶対多数で、右利き中心の社会になっているけど、まっすぐ進めなくて右に逸れまくっている、というのはなんだか違う。

保守優勢がダメではない。むしろそれが大事かもしれない。保守優勢だから社会は回っているかもしれない。そうなると、保守と改革の関係は、左と右の話ではなく、運動と制御の関係に近い。

制動がなくても社会は回る。保守派が動力で、社会をまわしている。制動は運動があって初めて機能する。改革派は保守派がいないと存在できない。運動を制御するのが改革派。安全を保証するために制御装置が必要。

エンジンとタイヤが無いと車は停まったまま。でもそれだけでは暴走するからハンドルとブレーキが必要。ハンドルとブレーキの制御のおかげで安全を得られ、エンジンとタイヤの運動のおかげで目的地にたどり着く。

芸能は保守的で動力装置。芸術は改革的で制御装置。

世の中は圧倒的に保守的で芸能要素が多いけど、それでいい。ハンドルやブレーキが活躍する悪路は、色々摩耗して車全体が疲弊する。ある程度楽しみながら、休憩しながらじゃないと長い人生をドライブできない。芸能中心だから社会が回るのだ。これでいいのだ。

各々が互いを尊重して、互いを感謝して、自らの役目に勤しもう。

多数派正常ではないからね。

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