社会的認知の歪み(5)失われた30年
ここまで、社会的認知の歪みがフリーライダーを生むことや、障害福祉の現場でも関連する様々な問題が起きていることをお伝えしました。その問題に共通するのが「劣等感」。そして、その劣等感がウイルスのように広まっている、と感じています。では、その劣等感はどこからやってくるのか?
バブル崩壊から10年を振り返る
1980年代から猛烈な勢いで成長した経済界は不動産価値の暴騰に支えられましたたが、1992年以降の地価暴落によって、銀行や企業は苦しい状況に追い込まれ、倒産が相次ぎました。バブル崩壊です。景気と自殺率は相関関係にあり、自殺率の推移にも変化が起きました。
90年代前半、それまでの30代以下における自殺率減少が停滞し、50代の自殺率は増加し始めました。98年には自殺総数が3万人台に到達。この年は対前年比で35%以上も急増。特に50歳代の増加は著しかった。その後も50代、60代の自殺数は他年代に比べて高く推移し、総数3万人超が続きました。
30代以下には不景気による失業者、50代には企業で重責を負った方々が多く含まれているでしょう。90年代前半のバブル崩壊、98年のリーマンショック。国の景気悪化は、個人にも大きな衝撃があったことが自殺率の推移からわかります。
そのころの政府は、バブル崩壊の後処理が遅れて自民党の55年体制が崩れたり、政権交代も長続きせず、総理大臣が激しく交代する政治の混迷が続きました。国際的には東西冷戦が終わり、先進国の多くは一定の経済成長が続きましたが、日本の経済成長率は低迷したままで、経済力は他の先進国に水を開けられました。このように90年代に、政治も経済が戦後初の大混乱期に入りました。
政府と大企業が作った分断と対立と劣等感
先進国の歴史を見ると、国の経済の屋台骨は第一次産業、第二次産業、第三次産業とシフトしていきますが、バブル崩壊の頃の日本は製造業が未だに屋台骨で、業界の大手企業は輸出割合が多いため、国際競争で苦しい状況に陥ったことでしょう。2002年に経団連と日経連が統合して日本経団連が発足しましたが、歴代会長は製造業出身が多い。経団連会長が政府との距離が近いことと、法人税減税など輸出企業に有利な経済政策が続いたのは無関係とは言えないでしょう。
社会がそのように強者が優位に立ち、弱者が息絶え絶えになる傾向を、市民は仕事や生活で肌で感じるようになると「長いものに巻かれろ」という意識が芽生えるのは自然なこと。市民は自ら望んでパターナリズムを求め、国家は自動的に封建主義にシフトします。為政者にとっては手がかからず好都合なことです。
さらに政府はその潮流に乗り、一部の民間と手を組み、全体主義的に国家を統制し始める。力を持たない市民は生活に苦しみ、豊かで安全な生活をする人を恨みはじめる。市民が出来ることは少なく「上級市民」と嫌味を言うのが関の山。そうして劣等感が蔓延り、分断と対立の加速が始まりました。
これがバブル以降の政治経済によって、多くの国民が「上下関係で社会が成り立っている」と歪んだ認知をするようになったプロセスだと考えています。あからさまに「局所的」で「刹那的」な功利主義的政策によって、市民社会に「劣等感」が蔓延り分断と対立が強まった。
僕がこの30年間あちこち彷徨った時空間の中で観えた景色の感想です。
幸せになるには失ったものを取り戻すだけ
私達は大企業や政府に頼りすぎました。
政府が強者優遇な功利主義的政策を展開して、国民に優劣意識を植え付けた。個人同士で「優越感」を奪い合って封建主義化した社会では「劣等感」に苛まされる不幸な国民を増やしました。
個人は幸せになるために、強者に取り入って「優越感」を獲得しようと、政府や企業が望む自然科学に勤しみました。代わりに人文科学の関心が薄れてしまい、文化芸術や哲学・道徳の学びが疎かになった結果、個人はアイデンティティを失って、日々の生活に幸福を感じにくくなってしまいました。
なんと皮肉なパラドックスか。
多くの凶悪事件の背景には「劣等感がセットになった不幸感」が透けて見えます。それこそ劣等感が世間に蔓延った成れの果てとしか思えません。平成の30年で得たものは、分断と対立と劣等感と封建的な社会認知。
つまり、逆に「上下関係」ではなく「ひとりひとり等しく尊い」とフラットに社会を認知すれば、融和と共生と幸福感を得られるのだと思います。
<参考資料>
職場における 自殺の予防と対応(厚生労働省)