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話し下手だった、話しのプロたち

滑舌を良くしたくて、昨年、舌小帯を切除した自分には共感しか無い。

お一人目、小倉智昭さんは吃音症だった。1947生まれ。
1999年4月から2021年3月まで『情報プレゼンター とくダネ!』(フジテレビ)の総合司会を務めた。52歳の転換期。

大学生の頃、就職活動真っ只中の1970年、小倉の第一志望はフジテレビジョンであり、入社したら朝のワイドショーを担当したいと入社面接時に話していたが不合格に終わったため、『28年来の願いが叶った』と、番組スタートの記者会見の場で語った[10]。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

念願が叶うまで28年。忍耐力の強さを感じます。

お二人目、田原総一朗さんは口下手だった。1934生まれ。
「朝まで生テレビ!」(1987年より)、「サンデープロジェクト」(1989年4月から2010年3月まで)、討論コーナーの司会・出演を務める。53歳の転換期。

1975年、矢崎泰久らと日本ジャーナリストクラブ (JIC) を立ち上げる。その資金集めのため、新宿コマ劇場にて「のんすとっぷ24時間」という討論会(司会:中山千夏)を行い、撮影して、自分が勤務している東京12チャンネルに「番組」として売却した。このイベントが「朝まで生テレビ」の原型となったという[25]。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

企画を売り込んで、その役をもらう。ここまで出来れば無職にならない。

努力の人は、活きている。自分を諦めてない。
諦めずに続ける。人事を尽くして天命を待つ。

夜の漆黒と静寂のなかで、時の刻みを忘れて不安と焦りにふけてしまう。そんなときでも思い出そう。

明けない夜はない。ヨアケマエは訪れる。

小倉さんの「小倉ベース」見たら、20代の頃を思い出した。
またやりたいな。


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