答えがない時代に初めて突入した日本
答えがない時代。よく言われる表現かもしれません。確かにそうだと感覚的に理解していたけど、それがどういうことか時代を遡って考えてみます。
江戸時代までは答えは殿様が持ってました。藩主の方針に基づいて律法され、奉行され、全体が統治される構造。藩主の野望で未来が左右されるから、庶民はお上の顔色から答えを察してたんじゃないかな?知らんけど。
江戸時代でも諸外国と交流していた人達は、藩主よりも文明が発達している他国が気になる。渡来する外国人から沢山学ぶ。産業や医学は外国の方が進んでたから、当然答えは外国にある。
開国すると一層外国を模範とします。軍事や船舶などの重工業で瀬戸内海沿岸とか日本海沿岸が栄え、自動織機や自動車で東海地方が栄えます。その後の電機産業も外国を模範として繁栄しました。
バブル崩壊後、ネットが普及すると検索すれば答えが出てくる時代に突入。自分が知らなくても、何処かの誰かがすでにやってるとGoogle先生が教えてくれる。
そうして日本はここまで答えがある時代しか経験していなかった。
そんな日本も、いよいよ答えがなくなってきました。
模範があった時は、先のことなど考えず誰かの後に付いてくだけで良かった。
いま日本は高齢化の最先端。中心年齢トップはモナコだけど富裕層隠居のメッカとは比較できない。日本には日本の事情があります。
産業が発達すると製造業からサービス業にシフトします。この点では欧州の歴史が模範になりそうだけど、今は金融もHoReCaも成熟して、市場が求めるサービスはその頃と違う。今のニーズは福祉。この模範が見つけづらい。
もちろん欧米の福祉から学ぶことは多いけれど、福祉は行政と密接な関係に合って、行政システムが違う他国の福祉行政をそのまま輸入することは困難です。そして一番の困難は、実は、助け合う市民社会を作ることです。
WWⅡ時代は人権を踏み躙っていたドイツは、その次代を反面教師とし、今は福祉思想国家になっている。フランス革命で市民が連帯して権力に打ち勝つ経験をしているからか、欧州の市民は政府に縋らず自律的に連帯する態度をよく見ます。主体的に助け合う市民社会で福祉が充実するのは必然。
日本もそうなればいい、というのは簡単だけどどうしたら良い?技術だけ輸入しても市民社会はアップデートできません。見よう見まねする模範が無いから市民の意識は変わらない。国民全員が海外研修って訳にもいきません。
父権主義(パターナリズム)から脱却して精神社会を発展させる。それには市民の意識改革が必要なのに模範がない。だから今この国は混乱している。
自分の頭で考える時代。福祉領域に発展の鍵が隠されています。
フロム曰く「愛することは技術」。愛する技術を身に着けよう。
※読み進めるのに躓いたら第二章と第三章を飛ばして最終章に進んで。
季節柄、やっぱり哀愁系。