二十歳の頃2024(15)恩師にきく

インタビューしたのは、自営業で英語教室をされている、S.A先生。私は小学1年から高校3年まで12年間お世話になった。先生が20歳の頃は1991年から1992年にかけての日本ではバブルが崩壊した時期。先生はその頃、アメリカ留学中だった。留学生活の話を中心に聞いた。(聞き手・山森みず季=2年)

――20歳の頃、何をしていましたか

ちょうど大学を転校するタイミングやった。初めの2年間は、2000人ぐらいの規模の私立大学に通っていて、4万人規模の州立大学に編入することが決まったのが、その頃。州立大学にはその後1年半ぐらい通ったかな。

――アメリカに留学したのはいつ?

初めてアメリカに行ったのは中学2年の夏休みで、親に行きなさいと言われて、1か月間ペンシルバニア州にホームステイに行った。英語が伝わることが面白く感じて、留学に興味が湧いた。高校2年の夏休みからイリノイ州の公立高校に留学。英語を誰よりも使えるようになりたい、英語で何かができるようになりたいと思って留学した。英語を学ぶだけじゃなく、英語を使って、何かを学びたいと思っていたかな。留学して1年経ったら日本に帰って、日本の大学に入ってからアメリカの大学にまた留学しようと思ってたんやけども、向こう(日本)に戻っている間に置いていかれる感じがして、ここ(アメリカ)にいた方がずっとずっと話せるようになるのに、と思って。それで、そのまま大学に行こうって。たまたま本当に運良く通っていた公立高校を卒業できた。

――「運良く」というのは?

普通は、留学生は卒業できないと決められていて。イリノイ州の場合は確か、運転免許を取らないと高校を卒業できなかった。留学生はその授業を取ってはいけないことになっているから卒業はできない。証書はもらえないけど卒業式は出席させてあげます、みたいなのが約束やった。通っていた高校の校長先生が人種差別的な人みたいで、卒業式で着るガウンや帽子を申し込んだ後やったのに、いきなり「卒業式にも出したらへん」と言い出した。私はそうなんやと思ってたんやけど、ホストファミリーが約束と違うと怒りだして、教育委員会に乗り込んだ。教育委員会は謝って、おまけに「ほんまに卒業させてあげます」って。ということで、私は大学に進める資格を取ってしまった。大学に行く準備をしていなかったから、大学に慣れるためにとりあえず小規模の私立大学に入った。

――なぜ、州立大学に編入しようと?

最初の私立大学がキリスト教系の学校で、日本で就活するためにはある程度知名度のある州立大学を出た方がいいと思って。宗教系の大学は決まりごとがあって、日曜日はスカートをはいていないとご飯を食べさせてもらえへんかったり、トランプはババ抜きもギャンブルに通じるから遊んだらダメとか。小規模の大学と大規模の州立大学とでは、提供できる授業の内容も違うから、州立大に行った。

――学部は?

経済学部。アメリカに便利な物があっても、当時は日本にまだ入っていない。「じゃあ、そういうものを日本で紹介するようなことをしたら、いい感じじゃない」と思った。日本の会社に入って、アメリカの製品を日本で売る仕事がしたいなあって。

――大学生の時、英語の先生になりたいと思ったわけではない?

たまたま、現地の小学生に週1回、放課後クラブのようなところで日本語を教えるアルバイトをしたことがあった。学生ビザのある人ができるアルバイトで、大学から紹介された。だけど、すごく大変で、このままだと本業(学業)が疎かになると思って、1学期だけでやめた。卒業後は、日本でスプリンクラーとかを作る防災関係の会社に入った。海外とのやり取りをするための国際部ができたばかりの頃で、その部署で働いていた。英語を教えるのが面白いと思ったのは、その会社を辞めた後に民間の英会話教室で働き始めてからかな。

――大学の課題は多かった?

ほぼ毎週、レポートを1個か2個書かないといけなかった。授業が英語やから、ひたすら教科書を読んで予習した。授業前に読んでおかないと内容が分からない。だから、自由な時間はあまりなかった。

――授業以外に大変だったことは?

州立大に編入した時、学生が4万人いるのに、私が知っている人は一人もいない。寮の自分の部屋で、それがすごくグサグサと刺さって、3日間ぐらい涙が止まらなくて。それが一番大変だったかな。

――学生生活を楽しめるようになったきっかけは何でしたか?

ソロリティ(sorority)という、日本でいうサークルみたいなところに入ったこと。スポーツや音楽を一緒にやる日本の普通のサークルとは違い、兄弟姉妹になりましょうというのが目的。ソロリティに入った人は最初の1年間、ソロリティが持っている寮に住まないといけない。そこでいっぺんに何十人、何百人と、友達というか、それ以上の姉妹ができたのが楽しかった。

――ソロリティは誰に紹介してもらったんですか?

招待状が来た。後から聞いたら、編入生全員に送ったって。興味を持った人は顔合わせのパーティーに2回ぐらい行って、その後に面接のようなことをされた。「この子はうちの寮に入れてあげてもいいかな。私たちの姉妹としてふさわしいかな」という感じで、お眼鏡にかなった子は寮に入れる。

――ソロリティでの思い出は?

ソロリティがいろんなアクティビティを計画する。その一つとして、病気の患者のために募金活動をしようって、カーウォッシュをした。場所を決めて、車を持って来てもらって、車を洗ってお金をもらうというもの。ロッキングチェアを交代で24時間揺らし続けるから募金してくださいとか。パーティーも多かった。ギリシャ人の雰囲気になるとか、南国っぽい雰囲気の服をみんなで着るとか。なんでそんなことやってたのかは覚えていないけど。寮は2人部屋とか4人部屋。州立大での最初のルームメイトはベトナム出身。

【感想】アメリカに留学した経験があると聞いたことがあったのですが、その経験を詳しく聞いたのは今回が初めてでした。どの話も私にとっては新鮮なものばかりでした。留学中に撮った、たくさんの写真を見ながら話を聞いたのですが、先生がいきいきと話をしてくださったのが印象的です。お忙しい中インタビューを受けてくださり、ありがとうございました。(山森)