二十歳の頃2024(14)父にきく

インタビューしたのは私の父、59歳。中古車業を営んでいます。父は少し常識外れのところはありますが、人とのつながりを大切にしていて、相手を思う面倒見の良さがあります。年齢を問わず、父のまわりには人が集まります。(聞き手・楠本実玖=2年)

――二十歳の時、どこで何をしていましたか

高校を卒業してから、地元の建材の卸屋さんに就職して、1年ほど働いていた。父の建材会社を継ごうと思って、そこで修業する感じで。その時に父の会社が倒産したから、好きな仕事をしようと思って、そこをやめたんや。先輩が不動産屋に誘ってくれて、営業に興味があったからそこに勤めたんや。でも、不動産屋は面白くなかったから1年くらいでやめた(苦笑)。 

――なぜやめたのですか

営業は好きやけど、自分が売りたいものじゃなかったからかな。その後、友達と車の部品取り付け販売をした。ちゃんとショップとして友達の家でやっていた。タイヤ屋さんと車の部品を販売できるように問屋と取引をしたよ。

――商売の方法はどうやって学んだのですか

行きつけのショップ屋さんに聞いて、仕入れ先を紹介してもらった。人との付き合いが大事やなって思ったな。

――どうやってお客さんを呼び込んだのですか

阪神高速を走って、自動車が好きで自分の車を走らせている人たちが集まっているところで現地商談をした。自分の車につけている部品やタイヤを見せて、興味を持ってもらったらそこで交渉をした。そのほか、走行会(サーキットで行われる車両による走行イベント)に行って、商品の部品を付けた車を走らせてお客さんに見せた。

――走行会でお客さんの目を引くには?

走行会で上位に入れば、取材を受けることができる。そこで商品の宣伝ができる。他県からも同じような人たちがたくさん来てたから、いろいろな情報が得られたな。例えば、レースで車がオーバーヒートしたときにどのように対処するかを他のカーショップの人に教えてもらえた。

――1980年代後半は車に興味を持つ人が多かったですか

めっちゃ多かったな。F1ブーム(80年代後半から90年代)もあって、車に興味を持つ人が多かった。

――その後、カーショップはやめた?

やめたな。家の事情でお金が必要になったから、ちゃんとしたサラリーマンになろうと思って会社組織に就職した。

――カーショップをやめるのは嫌じゃなかった?

嫌やったけど、「摩天楼はバラ色に」(1987年)というアメリカの映画や織田裕二主演の「お金がない!」(1994年)というテレビドラマを見て、会社組織で自分の実力がどこまで通用するのか興味がわいた。どちらも上り詰めていく系の話やから、それに刺激を受けちゃったな(笑)。

――20歳の時の悩みは?

一つは家族を持てるのか。もう一つは将来安定した収入を得ることができるのか。収入が一番心配やったかな。

――当時の夢は?

自分のお店を持つこと。カーショップを一緒にしていた友達がみんなから「社長、社長」と言われていたのがうらやましかった(笑)。

【話を聞いて】
父は欲望に忠実だと思いました。自分の思い描いていた状況にならなくても、ポジティブにとらえています。また、映画や本を読むことは、逆境の時に助けてくれる可能性があるとも思いました。父の話を聞いて、人とのつながりの大切さも感じました。夢を見つけること自体難しいけれど、人との交流を持てば、自分の夢となるものが見つかるのかもしれません。(楠本)