二十歳の頃2024(3)中華料理店長にきく

インタビューしたのは、私のアルバイト先の大阪市天王寺区にある中華料理店「蘭亭」で店長を務める芝田英則さん。49歳。腕は一流と誰もが認める料理人は、腰が低くユーモラスで親しみやすい一面を持つ。いつも地元の人でにぎわう店内で鍋を振っている。(聞き手・宮下陽菜子=2年)

――料理人になったきっかけを教えてください

料理は好きやったわけではないんですよね。中学を卒業してすぐ働こうと決めていた。兄が和食の道に進んだので、違う道にしようと思って中華に。当時は手に職をつけるべきという風潮があった。

――20歳の頃、料理人としてつらかったこと、苦しかったことはありますか

20歳の頃はまだ料理業界が閉鎖的な世界だった。今は、わからないことがあれば聞いたら教えてもらえるけど、当時は「なんでお前に教えなきゃいけない」という、ちょっといけずのところがあったよね。見て覚えるって感じ。手を上げる人、罵声を浴びせる人もいる。人の2倍、3倍仕事をして、行きたくないけども一緒に飲みに行ったりとかして、やっぱり理不尽なことってあるんですよね、そういう世界だった。だから、今の子たちはすごくラッキーだと思う。「わからない」と言えるんだから。今、調べられるじゃん、ネットで。そういうのって昔はないよね。

――自分が上の立場になって気を付けていることはありますか

自分がされて嫌なことをしない。20歳の頃、自分も悔しい思いをしているわけ。なぜ自分のせいじゃないのに怒られなきゃいけないのとかね。タレをかけられるとか、理不尽なことがたくさんあった。だけど、そういう閉鎖的なところでも「大丈夫か、お前。これはこうすんねん」って教えてくれる人はいたわけよ、少数だけど。そういう人には憧れた。その人たちの年に今自分がなっているんだよね。そんなふうになりたいなと。この年になっても学ぶことは多くて、下の子たちが作る料理にインスピレーションを受けたりね。横目でチラッと見て、いいなあ、俺もまねしようみたいな。柔軟に取り入れている。お互いに刺激しあっているんじゃないかな。

――20歳の頃、将来の夢はありましたか

阪神・淡路大震災(1995年1月)があって、半年くらいガードマンをしていました。ちょうどお店を辞めたところで、でも生活しなきゃいけなくて。(地震の強い揺れで)高速道路が横倒しになり、それを建て直して柱を補強するという復興工事の現場で働いていた。でっかいトラックが何台も出入りするわけ。向こうから時速80㌔以上の車がビュンビュン通ってくる。その前に自分が出ていって「どうもすみません」ってやんねんから、下手したら車にはねられる。

――その後はまた料理人に?

昼は喫茶店、夜は(餃子の)王将で働いたり。あとはお金をためてタイに行ったり。

――タイへ?

結構内向的というか、前へ前へ出るタイプじゃなかった。そんな自分を変えたいっていうのはあったよね。だからいろんなことをしようと思って、例えば、彼女を作るとか、パソコンがうまくなるとか。海外へ行くのもその一つ。安く行けて、英語をしゃべらんでもよさそうな国がタイだったんだけど、空港を降りて、どうしようかなってなったよね。タイ語も英語もできないし。でも、何とかなるかなって。そこで変わったのかな……。一つ言えるのは、それまでは他人の力を当てにしていたのが、自分で考えて決めることができるようになった。海外に行ったら強制的に自分で何とかしなきゃいけない。全部一個一個考えて行動しなきゃいけないと学んだし、それは今の仕事にも表れているんじゃないかな。一個一個というのは、この人生の中でずっと口癖、というかしみついている。

――20歳に戻れるなら、同じ人生を送りますか

めちゃくちゃ変えると思う。自分の思い描く通りに積極的に動くんじゃないのかな。今もそうなんだけど、ブレーキかけちゃうんだよ。結構無難なところに行くって、自分でもよくわかっている。一歩踏み越えて、「え!? そこ行く?」というところまで行かない。思案するタイプなので。

――料理人のままですか。それとも、別の職に就いているかもしれないですか

別の職は可能性としてはあるかもしれない。貿易とか。なんかね、面白いから。世界の未知のものを日本に持ってくるわけでしょ。それを自分がプロデュースするわけ。面白くないかな? それが日本でヒットしたらどう!? これ、俺がはやらしたんやでって。もちろん料理の仕事も奥が深いから、誰も食べたことのないものを作ってヒットさせることと同じだと思う。要は自分にしか作れないものを作りたい。20歳に戻って料理人のままだとしたら、ブレーキをかけずにやりたい。自分が思うように、自分にしかできないことをやれたらいい。それは今でも目指しています。自分のお店を持ちたいわけだし。

――今の二十歳に何をアドバイスしますか

もっとコミュニケーションをとるべき。雑談とか、うわべだけのコミュニケーションが多いと思う。悪いことではないんだけど、ちゃんとコミュニケーションとらなきゃダメだよねという場面はある。どれだけ、その人のことを思って伝えられているか。自分が一生懸命考えた自分の言葉で伝えることは、損得とか関係なく大事なこと。うわべだけの言葉に人は結構気付くよ。

――最後に、20歳の頃の自分に一言どうぞ

もっときばっていこうや。

【感想】想像以上に波乱万丈の人生を送ってきていることに驚いた。それでいて常に学び続け、自らをアップデートする姿に尊敬の念をおぼえた。亀の甲より年の功。彼の言葉にはそれくらいの重みを感じた。私も自分にブレーキをかけることなく、全速力で日々を過ごしていきたい。(宮下)