二十歳の頃2024(7)父にきく
私の父はどんな人か、と聞かれると、いつも優しい人と答えます。私や母に甘く、買い物に連れ出して、数時間荷物を持たせても一つも文句を言いません。私が遅くなって歩いて帰ることになると、いつもは寝ている時間でも必ず車で迎えにきてくれます。私は、そんな父が大好きなのですが、思い返せば父の話を聞いたことがありません。今の仕事や若い頃のこともほとんど知りません。父は今年62歳。自分のことを聞かれるのは好きではないでしょうが、これを機会に話を聞きました。(聞き手・桑田留奈=2年)
――20歳の頃を覚えている?
仕事、仕事をしてたな。鉄工所で働いていた。今でいうマシニングセンタみたいなの使って電車の連結器を作っていたな。前の会社や。18歳から29歳まで10年以上、そこにおったな。
――高校卒業後、大学進学の選択肢はなかった?
ばかやったからな。でも大学に行けんわけでもなかった。工業高校やったから、そこの推薦で産業大学にはなるけど、行けんわけではなかった。けど行かんかったな。別に理由はないけど、その時はこれ以上勉強する気がなかったしな。同じ高校のやつと2人が(鉄工所に)採用された。そこはうちの高校から新卒をとっとったけど、僕の上は8年前の卒業生やった。僕ら以外に若いやつらもおらんかったから、かわいがられたな。土曜は夜勤明けやったからそのまま皆で飯行くかって。毎回おごってもらえててんな。
僕のあとに毎年2人ずつくらい高校の後輩が入ってきてんな。20歳の頃、入って2年くらいで仕事もできたから(後輩が)全員僕のとこにやられて仕事教えてたわ。昭和の時代やから、仕事は見て覚えろの時代やった。僕は優秀やったからメモなんか取らんかった。上司にメモ取れって言われたけど、そんなもん取らんくても覚えられるからって。実際覚えていたし、仕事できたからな。後輩にも3回しか言わんから覚えろって言ってたわ。そう、二十歳のころな。留奈ちゃんも記憶力ええけど、それは僕譲りやろ。(母は)そこはあかんからな
――29歳まで働いて、そのあと転職して今の仕事になった?
そう。20代前半、日本は不景気やってんけどな、そこからはバブルの時代や。23歳ぐらいの時かな、僕のところの鉄工所と、別の会社が合併したんや。給料が上がったな。僕のところが安すぎたんや。合併して向こうの企業に合わせたから、給料が1万くらい変わったかもしれん。そこの同じ年くらいのやつに会ったんや。僕も優秀やったけど、そいつはもっと優秀やった。そいつは努力していたし、そもそも向こうの会社の方が環境も何もかも僕のとこより数段進んでいた。合併して同じになっても、どう頑張っても追いつかれへん。合併する前の基が違いすぎた。ここらが潮時かと思い始めた。元々、鉄工をやりたくて入ったんじゃないしな、もっとかっこいい、営業の仕事がやりたかったから今のところに転職した。
――今の会社は、入りたかったから入った?
今は油圧ユニットの製造販売をしている会社やけど、別に油圧機を売りたいわけではないな。営業やりたかっただけやから。縁かもしれんな。ここの他にも、僕も行きたくて向こうも来てくださいという会社があったんやけど、昔は携帯なんかないから連絡が不自由やった。何度もお世話になりますって連絡したけど担当者が捕まらんくて、これは縁がなかったって考えて、行くのやめた。それ以降、転職することもなかったから今もここで働いてる。
――20歳の時の将来の夢は?
別になかった。それこそ結婚して子ども生んでって考えてたけど。子どもが生まれたら家族でゴルフに行きたいと思っていたな。あと、子どもが二十歳になったらラウンジに行って酒飲みたいと思っていた。
――ゴルフに一緒に行ったことあったっけ?
あらへんよ。お前がめちゃくちゃ下手くそやったから。家にパターとゴールマットがあったの覚えているやろ。お前、下手やったからなぁ、ほんまに。
――20歳の頃に印象に残っていることは?
前に住んでいた家(父の実家)があるやろ。20歳の頃、ちょっと改修したんよ。周りは全部親戚やったし、鍵をかけてなかったけど、工事して鍵ついてんな。で、夜遅くに仕事が終わって2時過ぎくらいに帰ったら、鍵がかかってて入られへんくてな。3階が僕と兄貴と弟で、2階がおかんとおとんと妹2人で寝ててんけど、よく2階の窓までのぼって入って、おかんをびっくりさせた。おかんは、僕や兄貴が仕事で夜遅く帰ってくるからご飯用意するのに起きてくれた。おかんは、僕が23歳ぐらいに亡くなったから、これは20歳くらいのことやな。
【感想】
初めて聞いた父の若い頃の話。父は思った以上に多くのことを話してくれました。20分くらいで録音を止めたのですが、その後もポツポツと話してくれたので再び録音して、結局40分くらい話を聞きました。壮絶なエピソードもあって、私はもちろん、隣で聞いていた母も驚いていました。話を聞いて、私のこんなところが父と似ているなと思うことが多々ありました。私は父とは違う道を進んでいますが、父はどんな私でもどんな道でも応援してくれています。インタビューの最後、父は「まぁ、人生何となくやから。パパの頃と違うんやからお前がやりたいようにやればいい」と笑ってくれました。(桑田)