二十歳の頃2024(13)祖母にきく
私が話を聞いたのは、今年80歳になる祖母。ガーデニングを楽しみ、80歳とは思えないほどアクティブだ。兵庫県小野市で生まれ育ち、私が小学生になるまで喫茶店を経営していた。孫にとって、小さい頃から甘やかしてくれる優しい祖母だ。インタビューには祖父も同席した。(聞き手・井上未来=2年)
――20歳の頃、何をしていましたか
何しとったか覚えてへん。仕事ばっかりしてたんちゃうかな。まだ結婚してなかったはず。働いてばっかりやった。イオンみたいなところでレジをしていた。今のような自動レジじゃなくて、いくらいくらって、手作業で一つずつ打つ。ずーっとお客さんが並んでいて、終わったらぼーっとしていた。お釣りも自分の頭の中で計算するから疲れる。店の前に工場があって、そこのおじさんに鳩をもらって持って帰ったのは覚えてるわ。途中で逃げたけどな(笑い)。
――いつから働いていたんですか
高校卒業してすぐ。ちょうど20歳くらいまで働いたんちゃうかな。疲れるし頭を使うから。辞めた後、すぐ喫茶店をやるための準備をしていたかな。
――喫茶店をしようと思ったのは
レジの仕事をしていた時、香川の高松のおじさんに会う機会があってな、そのおじさんが喫茶店をやってて「お前も店やらへんか」って言われてん。おばあちゃんもそういうの好きやったから、やってみようかと思って。それで1年くらいかな、おばあちゃんの実家近くの山の中をずーっと行ったところに1軒だけ喫茶店が建っていて、そこで見習いみたいな感じで働いた。自分のお店をするにも必要なことやし、だいたい3年くらい働いたかな。
――どんな仕事をしましたか
料理を運んだり、レジをしたり。料理を作るのはマスターがするから。奥さんと旦那さんの二人のお店やったから、おばあちゃんは手伝いというか、今でいうアルバイト。接客や注文のやり方を覚えたな。他にもアルバイトの子が何人かおった。その時一緒に働いていた子が自分の店をやったときにバイトに来てくれたこともあった。
――自分の喫茶店を建てたのはいつですか
一生懸命働いとったから覚えてへん。たぶん25歳くらいちゃうかな。アルバイトしていたお店をやめてから自分のお店が建つまでちょっと間が空いていたからな。おじいちゃんもその間に仕事を辞めて店を開く準備をしてくれた。お店は家の近くの、今は別のお店になっているところに建てた。あれ、うちの土地やねんで。田んぼやったところを埋め立ててお店を建てた。
――どんなメニューがあったんですか
コーヒー、サンドイッチ、ハンバーグ、ピラフ、スパゲッティ。ほんまにいろいろあったで。一番人気やったんはカツめしやな。商店街の方に工場がいっぱい建っていて、そこの人らが気に入ってくれた。注文とって取りに来てくれた。消防署の人たちもおった。一番大きいテーブルのところに団体で来はったんを覚えてる。繁盛したほうやと思うで。常連さんもいい人ばっかりやったから働いていて楽しかった。今でも関わりある常連さんもいるし。
――なぜお店を畳んだんですか
新しく別の道ができて、店の前を通る車が減った。それで暇になってきたからな。それと、もういい年になって体もしんどくなってきた。ちょうどいい頃にやめたなって、今になったら思うかな。お金の話になるけど、モーニングがもうからなくなってきてん。400円でトーストと卵とサラダ出してたから、食べに来るお客さんが結構いたんやけど、いろんな値段が上がってきてもうからなくなってきた。
――体力や物価高がなければ店を続けていましたか
やってたんちゃうかな。おばあちゃんもおじいちゃんも喫茶店やるんは好きやったし、常連さんとも仲良かったから。今はパンケーキとかはやりのやつ他の店でやってるやろ。続けてたらそういう若者向けのメニューもあったかもしれんな。
――二十歳になる私へのアドバイスを
人との出会いを大事にすることちゃうかな。おばあちゃんも、その高松のおじさんがおらんかったらお店やってへんかったかもしれへん。お店の常連さんにも今でも仲良くしてくれてる人もいる。大学やったらいろんな人がおるやろ。思いがけないところで長い付き合いになる人とか、いろいろと教えてくれる人に出会うかもしれへんから、出会いは大事にしとかなあかんな。