「新しい資本主義」を唱える新政権で日本経済はどう変わるの?
北村巌
「まなぶ」(労働大学出版センター)2022年2月号所収
インフレになっているの?
原油価格の上昇によるガソリンや灯油の値上がりや一部の生鮮食料品の値上がりが私たちの生活を圧迫しています。しかし、一方で、米価の下落、牛乳の余剰といった状況もあります。
エネルギー価格の上昇は、産油国の生産削減によるカルテルの効果で原油価格が上昇していることによるものです。しかし、2014年後半の原油価格暴落以前に比べればまだ低い価格に留まっており、オイルショック時のような趨勢的な大きな価格上昇にはなりそうにありません。
直近(2021年11月)の消費者物価指数をみると、総合指数は前年同月比0.6%の上昇となっていますが、生鮮食品及びエネルギーを除くと▲0.6%となっており、趨勢的には物価の下落が起きている可能性があります。
日本経済における生産能力過剰的な状況には大きな変化は起きていないようです。製造工業の稼働率指数は2021年11月89.7(季節調整済み、2015年=100)と低く、コロナ禍前のピークであった105.0(2018年11月)から約15%低下しており、需要に対して生産能力が過剰であり物価低下圧力が強いことがわかります。
安倍政権以来、政府はデフレ脱却として消費者物価が安定的に2%程度の上昇をすることを目標に経済政策運営をしていると言ってきました。しかし、その実は日銀に超金融緩和政策(質的量的緩和)を取らせることで、インフレ誘導効果を期待するということが行われてきただけでした。
人々の生活の立場から考えるとインフレになる必要はありません。労働者にとっては実質賃金が上昇することが生活の改善に繋がるのであって、賃金が上がらずにインフレが起きればかえって生活は苦しくなります。仮にインフレ分だけ賃上げしても生活水準は変わりません。金融業界がマイルドインフレを求めているのは、金利がゼロである状態から脱し、長期国債の利回りが高くなってくれることを望んでいるからです。比較的短期で低い預金金利と国債金利の差によって利ざやを得たいということなのです。
新政権の「春闘」
岸田政権は、「賃金の上昇が必要」とはしていますが、具体的で有効な政策を打とうとはしていません。まず「賃上げの機運醸成」と主観的な願望に終始しています。国内景気の現状からみて、国内需要、特に消費需要を増加させていくことは総資本の立場からも必要なことであり、そのためには個人消費の大きな部分を占める労働者の所得増加、したがって賃金引き上げが必要です。しかし、個別資本の利害からすれば、賃金引き上げは利益の削減であり総論賛成、各論反対にしかなりません。賃金上昇を自公政権の政策に期待することはできません。
男女の賃金格差問題についても、「企業に短時間正社員の導入を推奨するとともに、勤務時間の分割・シフト制の普及を図る」といった、女性の労働を家計の補助的なものとみなす発想からの政策立案です。男女格差の問題の大きな部分は女性の非正規が多いことと、正規であっても昇格に格差があることなのに、そうした本質的な部分は無視して、むしろ非正規を正社員(正規)と呼び変えることでお茶を濁そうとしています。
ウーバーイーツなどが行っている方法で、個人の「業務請負」が拡大していることに対応して、「フリーランス保護のための新法」「公正取引委員会の執行体制を整備」としています。野放し状態の現状よりは改善する可能性はあるが、あくまでフリーランスの自営業者への業務委託という形を残そうとしているのです。しかし、欧米ではすでにこうした「業務請負」が実際の雇用関係であるとする判例が出ており、本来は出来高賃金制の雇用関係であることを明確にすべきでしょう。
「看護、介護、保育などの現場で働く方」の賃上げについては、公的価格の見直しを上げているだけで、それが賃上げなどの労働条件改善につながる仕組みを作らなければならないことを無視しています。これでは公的価格の見直し(値上げ)で事業者だけがメリットを受けるようなことになりかねません。
インフレだろうがデフレだろうが、実質賃金を引き上げることが重要です。実質経済成長がなければ実質賃金が上がらないということはありません。それは企業の付加価値のうちどれだけを賃金に当てるかという問題であり、労資の力関係による交渉の問題です。
政府ができる政策としては、最低賃金を引き上げるということが重要です。現在、日本の最低賃金は地域ごと、職種ごとに別れていますが、平均すると時給930円で、地域によって800円をやや超えるという場合もあり、週5日8時間労働で生活できる賃金ではありません。これを早急に1500円レベルに引き上げさせることが必要です。
また賃金の引き上げだけでなく、労働時間の短縮も重要な課題でしょう。民間企業ではまだまだ未払いの超過勤務が発生している実態がありますし、「健康で文化的な生活」のためには長時間労働をやめ、法定時間も短縮させていくことも課題としていきたいものです。
「科学技術立国」とは
「技術貿易」は、特許の使用料など技術の使用を外国企業にさせて使用料を受け取る(輸出)、外国の技術を利用して使用料を支払う(輸入)というサービス貿易を指します。これが黒字であるか赤字であるかということは、国内で生まれた技術の外国での通用度が、輸入技術以上のものとなっているかどうかを判定することができるわけです。
「2021年科学技術研究調査」(総務省統計局)によると、2020年度の企業の技術輸出額は3兆1009億円(うち子会社向け2兆1789億円)、技術輸入額は5598億円となっています。技術輸出は、向け先として子会社向け輸出が大きいことが要因として挙げられますが、それを除いても1兆円弱の技術輸出があり、技術輸入額よりもかなり大きい額となっています。
技術貿易は1992年度まで赤字で、それからずっと黒字の拡大が続いてきました。このことは、日本の製造業を中心にした技術の実力が、国際標準的にもかなりの競争力を持った存在になっていることを示していると言えるでしょう。
忘れてならないのは、こうした技術貿易輸出は、技術の提供による相手国企業の労働者の搾取の一部だということです。企業会計上は費用として計上されますが、本来の利潤の一部であり、技術という形態における資本の投下に対する利潤分配が本質なのです。岸田首相が掲げる「科学技術立国」とはこうした技術輸出でもっと稼げる経済を目指しているのです。
日本はカネあまりなのです
日本経済は相変わらず「カネあまり」状態が続いていますが、「カネあまり」は大企業や一部の富裕層に偏っています。日本は国際収支で見ると、経常収支が15兆8790億円(2020年度)、さらに2021年度は20兆円近い黒字になる見通しです。対外純資産も356兆9700億円(2020年末)にまで膨らんでいます。日本は全体として見れば外国から借金する必要はなく、そのために財政赤字は国内の貯蓄を吸収して破綻せずに済んでいるわけです。
今後もこの構造が続けられるとは限りません。政府財政を破綻させず、大企業や富裕層の貯蓄を守るために財政健全化と称して大衆課税の強化や福祉の削減などをお来なてくる可能性があります。そうした緊縮策発動の動きを許してはなりません。