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残念しっぱい雑記『新しいことへの挑戦は、失敗への一歩かもしれない』
『あああああ!!ヤバい!!!
今日noteに書くこと、何にしよう?!』
ここ最近、『いいね』や『新しいフォロワー』の数の伸びの停滞してきている。
ひとり、頭打ちに悩む。
『やっぱり、私には文才がないのだ。。。』
『そして、このnoteも完全なマンネリだ。。。』
そんな否定的なことが、頭の中をくるくる回るのだ。
『やはり、このご時世。文書ではなく、youtubeやTikTokのような映像コンテンツをやった方が良いのではないか?!』
『いやいや、今の自分にはYouTubeをやるような時間がないので、Voicyやstand.fmのような音声コンテンツが良いのではないだろうか?』
『いやいやいやいや、そうではなくて、全く違う何か新しいことに、挑戦した方が良いのではないだろうか?!』
ここ最近、そんな葛藤の中にいる。
と、思えばその反面、「毎日投稿しているから、ま、いいか。。。」
そんな気持ちにも浸っている。
とりあえずの『毎日投稿』に満足して、反応が悪いことにも慣れてしまっているのだ。
noteを毎日書くことが、習慣化しているといえば聞こえがいいのだが、惰性にもなってしまっている。
つまり、私はnoteに飽きはじめているのだ。
従来、私は何かをコツコツやることが苦手だ。
飽き性なのだ。
よくいえば、色々なことに興味がある。たくさんのことに『挑戦』をしたいタイプ。
三十代前半の頃、仕事で東京に来た父親と二人で飲みに行ったことがある。父親が仕事で東京に来るなんて珍しいことだった。
その上、外で父親と二人で飲みに行ったなんて、後にも先にあの一回たげだったかもしれない。
そんな父親から、
「お前は98%のところまでは、なんでもやり切ることができる。あと一歩。残り2%が足りない。」
そんなことを言われたことがある。
父親は、続けて
「俺もそうだったんだ。俺も98%はなんでもこなして、それなりの評価を周りからされてしまう。しかし、それじゃダメなんだ。お前は、残り2%やり切れ!」
ベロベロに酔った父親から、そんなことを諭された。
いい歳こいて父親にそんなことを説教されたのだが、妙に心当たりがあって納得した。
確かに、自分は残り2%が足りないのかもしれない。
もう一歩やれば、結果が出たこともあったのかもしれない。とはいえ、私はあと一歩のところで飽きてしまうのだ。
大切なのでもう一度言う。
諦めるのだはない。飽きてしまうのだ。
『諦め」は挫折を感じることができるのだが、『飽き』は自分で決めてしまっている。失敗したことにすら、気づけていないのだ。
いつも新しいことを『挑戦』することを満足するあまり、残り2%を達成することなく次に移ってしまうのである。
しかし、そこにはなにも残らない。
正直、今の私はnoteに飽きてしまっている。
たぶん、私は今まで、いつもこのくらいの時期に、次の『挑戦』に手を出してしまっていたのであろう。
それじゃ、また同じことの繰り返し。
それはイヤだ。
もう少し『挑戦』するのを我慢して、残り2%が埋めていこうと思う。
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