リコさん(貝塚乃梨子)について【SocialCompassメンバー紹介】
リコさんこと貝塚乃梨子は、『社会貢献×アート&デザイン』のコンセプトを体現している。
ある時は、アンコールクッキーやDEMETER Harb Teaのパッケージなどを手がけるグラフィックデザイナー。
ある時は、カンボジアあるあるを描く4コマ漫画『プノンさん』を連載する漫画家(ペンネームは乃木キリ子)。
またある時は、認定NPO法人IVYや、シャンティ国際ボランティア会などの数々のNPO・NGOなどの動画制作や写真撮影などもこなす。
ソーシャルコンパスのロゴ自体が、彼女のデザインだ。
そしてデザイナーでありながら、一般社団法人ソーシャルコンパスの理事でもあり、昭和女子大学の非常勤講師としてソーシャルデザインについての教鞭も振るっている。
それどころか助成金申請などの書類作りも担当していて、団体の細かい仕事の全てを担当している。つまり、ソーシャルコンパスが現在どうにか続けて来られているのは、リコさんのおかげなのだ。
桜美林大学のデザイン学科を卒業し、上智大学大学院でカンボジア研究をしていた異色の経歴。学生時代から、カンボジアでボランティア活動を行なっていて、様々なNGO・NPO関係者にも顔が広い。クメール語も話すだけではなく、読み書きまでできる。
大学院卒業後は、プノンペン大学の研究員として奨学金を取得して、カンボジアの社会科教育の研究のためスヴァイリエン州に住んでいた。
そして、同じスヴァイリエン任地の青年海外協力隊だった妻から「デザインに興味がある子がいる」と、紹介されたのが彼女だったのだ。
スヴァイリエンの農協SACのロゴデザインやパンフレットもデザイン
その頃のリコさんは、研究員をやりながら、カンボジアのNGOのボランティア活動を行っていた。しかし研究員へもNGOの活動へも、限界を感じていたようだった。そこで、日本に帰ってデザイン会社に就職を考えているという。
『クメール語を話せる上に、読み書きまでできるスキルが勿体なさすぎる。日本に帰れば、全くそのスキルは役に立たなくなってしまうだろう。
そして日本のデザイン業界に入っても、ブラック会社な可能性も高い。』
そんなアドバイスをした気がする。
カンボジアの社会科教育の研究員だったリコさんやりたいデザインは、教材のデザインだった。日本へ帰ってしまえば、カンボジアの教材を作ることはないだろう。
スキなことができなければ、デザイナーになっても楽しくない。
リコさんは無償インターンとして、一緒に働き出した。
そして、彼女はすぐに我々にはなくてはならないメンバーになる。
ソーシャルコンパスの代表である私の長所は、好奇心と口八丁だけだ。新しい案件を持ってくるのに向いていたが、イージーミスがあまりにも多い。いわゆる、ポンコツだ。
彼女が加わってから、目に見えて既存のクライアントからのリピート案件が増えた。ソーシャルコンパスの信用度が上がったのだ。そして手が出せない領域だった助成金申請など、活動の領域も広がっていった。
通訳だったJessyAnとのコンビネーションも最高だった。同じクメール語・日本語話者である二人は、時に喧嘩し合い、時に涙しながら、切磋琢磨し、クリエーターとして成長してきたのだ。
そんなリコさんも、現在は日本勤務。コロナの影響もあり、昨年4月に帰国して以来カンボジアへ渡航できなくなっている。
しかし、コロナ時代のテレワークスタイルで、カンボジアにいた際と変わらぬ仕事ぶりだ。
正直、カンボジア在住時代は私のアシスタント扱いを受けてしまうことが多かった。本人もそれを悔しく思ったことも多かったようだ。
しかし日本帰国後、たくさんの彼女発信のプロジェクトを担当している。オンライン時代に合わせたクメール語講座や、クメール語教育の電子書籍など彼女にしか作れないプロジェクトだ。
そして昭和女子大学の非常勤講師も、私や他のメンバーではできない彼女ならではの活動だろう。
そんなリコさんは現在、学生時代からボランティア活動で関わっていた日本国際ボランティアセンター(JVC)のカンボジア活動40年を振り返る集大成的な動画の監督も務めている。
30分に渡る長編ドキュメンタリー。間もなく公開予定。
ソーシャルコンパスは、会社やNGO・NPOではなくクリエイティブな集団として、ひとりひとりが個性を光らすクリエーターの集まりを目指している。
貝塚乃梨子という才能が今、より大きく羽ばたこうとしている。