アートと孤児院 【Hope of ChildrenのPisey君】
岩田亮子さんがボランティアと支援している、バッタンバン州の児童養護施設Hope of Childrenに『ありがとう絵本』を寄贈した。
バッタンバンに来ると、いつも岩田さんがいるHope of Childrenへお邪魔してしまう。
それに、岩田さんがHope of Childrenの卒業生と運営するHOCカフェは、バッタンバンでは貴重な日本食も食べることもできる。
優しい岩田さんは、まるでバッタンバンのお母さんだ。
岩田亮子さんは、日本航空の元客室乗務員という華々しい経歴を投げ打って、55歳で単身カンボジアへ渡航した。
2008年から14年間、バッタンバンのHope of Childrenで子どもたちの母親がわりを努めている。
Hope of Childrenは、いわゆる孤児院。
とはいえ、子どもたち全ての親がいないわけではない。親が出稼ぎに出てしまって預けに出されてしまった子どもたちも多い。
特にここ数年はコロナの影響もあり、両親がタイへ出稼ぎに出てしまいHope of Childrenへ来る子どもたちも増えてしまっているようだ。
私と岩田さんの縁は、一本の丁寧なメッセージを貰ったところから始まる。
要約すると、
「孤児院の子どもの一人・Piseyが、アニメーションに興味があってパソコンが欲しいと言っている。どんなパソコンがいいと思いますか?」
という内容だった。
カンボジアでアニメーションを仕事にしている日本人なんていない。その上、カンボジアでのパソコン事情を理解しているとなると、確かに私くらいしか聞ける人がいなかったのだろう。
とはいえ、パソコンのスペックは上を見ればキリがない。
なんと返信したら良いのか、悩まされる。。。
Hope of Children出身のPisey君は、幼少期から絵を描くのが大好きな少年だった。
しかし、カンボジアでアーティストで食べていくことは難しい。
将来に悩んでいた時に、本物のデザイナーとアーティストと知り合う。
カンボジアでサッカーボールや画材を届ける支援を行なっていた広島のデザイン会社アームス代表の本田俊司さんと、アーティストとして活躍する石原 悠一さんたちが、Hope of Childrenを訪問したのだ。
「絵を描いて生きていきたい」
という、Pisey君の想いを聞いた二人は、翌年2015年に日本へ来る段取りする。
本田夫妻のご自宅でホームステイをして、デザイン会社アームスでインターンをするチャンスをPiesy君に与えてくれた。
期間は3ヶ月間。
絵の勉強をしながら、東京や京都など色々なところへ連れて行ってもらい、広島市内で展覧会も開催する。
きっと孤児院出身のPisey君にとっては、夢のような時間だったことだろう。
岩田さんのHope of Children出身でなければ、こんなチャンスを絶対手に入れることはできなかったのではないだろうか。
そして、カンボジアへ帰国したPisey君は、バッタンバンにあるアートスクールPhare Ponleu Selpakに入学する。
私が岩田亮子さんから、メッセージを受け取ったのはそんな頃だった。
私は「Phare Ponleu Selpakには、十分な機材が揃っている。パソコンを購入しなくてもいいのではないか。」と、返信をした。
岩田さんとやりとりを続けると、もうすでに2度もPisey君へパソコンを渡していた。
1度目のパソコンは、バイクに化けたようだ。
確かにアニメーションを作ろうと思うと、それなりのスペックが必要。
とはいえ、パソコンの値段は高い。
正直、Pisey君の本気度もわからない。
新しいパソコンが、またバイクやスマホになってしまわないとも限らない。
もしかしたら日本で夢のような生活を見たことで、調子に乗っているのではないだろうか?
高価な機材さえ揃えれば、上手なアニメーションが作れると勘違いしているのではないだろうか?
日本人でも、絵画やアートで食べていくのは難しい。
たった3ヶ月の日本を体験しただけでは、アーティストになれる訳がない。
『支援』は、時として人を悪くする。
カンボジアにいて10年いて悪いと感じることは、カンボジア人は支援に慣れ過ぎているということだ。
だから最初、私は本田さんと石原さんの『支援』にも懐疑的だった。
Pisey君がPhareを卒業間際になった頃、岩田さんから連絡が来る。
就職についてだ。
やはり、その辺の看板屋にはなりたくないらしい。
アーティストだ。アニメーションやデザインで自分を表現する仕事をしたいようだ。
岩田さんは親のように、心配をして面倒を見る。
『支援』というより、まさに『母』だ。
そして後日、本田さんとも会食する機会を貰った。
本田さん自身もPisey君の『支援』が正解だったのか、悩み苦悩していた。
しかし、本田さんも、プロのデザイナー。
Pisey君が絵画やアートで食べていくのが難しいということはよくわかっていた。
正直、私もPisey君がカンボジアでアーティストになるのは難しいかもしれない、そう思っていた。
だから、私のアドバイスとしては、
「カンボジアで唯一のアニメーションコンテストDigiCon6Asiaで、最優秀賞を目指すこと」を、勧めることしかできなかった。
DigiCon6Asiaは、TBSが主催するアジアの13地域から優れたコンテンツクリエイターを発掘することを目的としてるアニメーションコンテスト。カンボジアでは国営放送TVKと、我々ソーシャルコンパスが運営している。
Pisey君は、2018年・2019年の二度に渡って作品を応募してくれた。
特に二度目の作品は、渾身の力作。
クオリティも申し分なかった。
最優秀賞の副賞は、日本で行われる本戦へのチケット。ここで自分自身の手で、再来日にチケットを取れればカッコ良かったであろう。
しかし入賞はするが、惜しくも最優秀賞は逃す。
しかし作品を見た私には、わかったことがある。
Pisey君の想いは、本気だったということである。
そして、本田さんや石原さんの『支援』は無駄ではなかったということだ。
自分の狭い考え方を、改めた。
『支援』はたまに人を悪くするが、時として人をよくする可能性を持っている。
現在、Pisey君はPhare Ponleu Selpak内部にできたインハウスのアニメーションスタジオで働いている。
Phareの卒業生だからと言って、誰もが働けるわけではない狭き門だ。
実は、私はPisey君と話したことがない。
人となりも人から又聞きするだけで、直接は知らないのだ。
(弊社ソーシャルコンパスのメンバーChamrongの一学年上の先輩にあたるので、話はよく聞く。)
ただ今回、バッタンバン出張をした際に、Phare校内で一言だけ挨拶をした。
その声は、自信みなぎるプロのアーティストだった。
岩田さんの話だと、ビデオ撮影などでカンボジア中を忙しく飛び回って活躍していると聞いた。
そんなPiseyさんに憧れて、孤児院Hope of Childrenには絵を描くのが大好きな子どもたちが多いらしい。
子どもたちの夢に、『アーティスト』が身近なものになっているのだ。
岩田さんと、バッタンバンの最後の夜に一緒にお酒を飲んだ。
在住日本人の集まりに混ぜてもらったのだが、岩田さんが加わると、岩田さんの明るい話で、場は岩田さんの独壇場となる!
本当に素敵なバッタンバンのお母さんだ。
『支援』ではなく『母』。
『支援』は人を悪くしてしまうこともあるが、『母』は人を創る。
誰よりもアーティストなのは、岩田亮子さんかもしれない。
孤児院はアートなのだ。