誰もが無意識に偏見や差別を持っている可能性がある。それは少しの気遣いとテクノロジーで緩和できるはず。
アメリカ出張中にこんな記事を読んだので、私がこの旅の間にあったことと、私の考えることを書いておく。幸か不幸か日系のエアラインが往復共に遅延するというレアな出張の復路の遅延中に。
誰もが無意識に偏見や差別を持っている可能性がある。それは少しの気遣いとテクノロジーで緩和できる気がする。
そもそも私の国籍は韓国、生まれと育ちは日本。
いわゆる在日韓国人と言われるうちの1人。
ただ自分のアイデンティティとしては、アジア人という感覚でどこか特定の国の人という感覚はないが、映画で見るような宇宙人でもなければ、白人や黒人でもないのでらアジア人だというのはしっくりくる。
日系エアラインは、流石だなといつも思うのが、私が韓国人のパスポートを出すと、気を遣って英語で話しかけてくれることが多い。そういう時に私は英語が流暢だと感じる方には英語で、がんばって話してくれている人には日本語で返すようにしている。気遣いに対する自分なりの気遣い。
これを私は当然だが、差別だとも偏見とも思わない。気遣いだと受け止める。私の顔を見ただけでら在日韓国人か韓国人かは顔だけだと見分けがつきづらいだろう。
空港に向かうUber(相乗りタクシー)で、ヒスパニック系の人たちと相乗りになった。運転手の方もどうやらヒスパニック系の方だった。そもそもアプリで来て欲しい場所に来てくれて、行き先も既に告げているので、あまり会話の必要はない。が、いつものHow are you? Good. 充電使って良い?良いよ。のくだりもある。当然英語。でも、彼女たちにとってはスペイン語の方が第1言語ということもあり、スペイン語で話し始めた。何を話しているかは当然わからないが、陽気な人種だということぐらいは感じるのと、相乗りして、もう1人アメリカ系の人も乗っていたが、私とその人にはわからない自分たちの言語で話すことに対する気遣いは特になく、楽しく話している。同席していた私も別に自分にわからない言葉でわからないように話されていても気にならない。
この私の考えたことが差別にも偏見にもならないだろうし、私も差別も偏見も受けたことにならないだろう。
仕事の場はやはり気遣いが必須。
英語しか話せない取引先の前で、日本語で少し認識合わせをしたいときは、やはり先方に一言挟む。
英語が苦手な上司や日本で準備協力して来てくれたメンバーの代わりにプレゼンする上で、想いや気持ちを汲んでプレゼンやコミュニケーションする。
ここに差別も偏見もない。私がビジネスしている相手は、日本でビジネスをしている米国系企業なので、ビジネスをしないと決めている人たちの中には差別や偏見があるのかもしれない。
ビジネスシーンで私が感じる異国人たちの気遣いは、相手の時差を考えた挨拶をしたり、相手の国の言語を話せなくても、「こんにちは」や「ありがとうございます」と一言不器用な日本語を話すだけでも感じる。
相手が何人でも私の知る限りのグローバルビジネスは、英語ばかりだが、やはりその現地の国の言葉を一言二言でも話して差し上げるのは難しくないし、配慮を感じるから自分もするようにしている。
偏見や差別のない世界を見てみたい。偏見や差別のない方が良いなんて当たり前だ。皆んなそうは考えるだろう。皆んなそう考えるけれど簡単じゃない、だからこそ取り組む価値を感じる。
日本と世界の架け橋を人生のテーマに掲げる私にとっては、追いかけるには興味深いテーマだ。
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