「犬のチカラ!」
「おはようございます!可愛いですね。お名前はなんて言うんですか?」
「へえ〜 スーちゃんって言うんですか!」
「うちのチョコちゃんはまだ2歳になったばかりなんです」
愛犬と暮らしだしてから4年。こんな会話はハンドラー(飼い主)にすれば、よくある日常の一場面に過ぎない。
しかし、よく考えたら、犬を飼う前に見ず知らずの赤の他人とこんな会話をしていただろうか?
犬を飼っている人と飼っていない人を比べると、飼っている人の方が明らかにコミュニケーションの機会が増えるといったことを何かで読んだ記憶がある。
まさにそのことを実感している。
いるだけで不思議な魅力がある。これこそが犬のチカラだと。
私が取り組んでいるAAE(動物介在教育)もこの犬のチカラを100%信じた活動である。
よく、「それってセラピードッグですよね?」と尋ねられることがある。決して間違った解釈ではないが、あくまでセラピードッグは人間への癒しを犬が提供する(犬→人間)といった一方的な構図であるように思う。
しかし、AAEでは人間が「犬のキモチ」を理解しようとすることも非常に重要な要素になる。
こんなことを言うと「青木さんって犬のキモチわかるの?」「勝手に犬の思いを解釈しているだけで、人間の都合でしょ!」といった質問が飛んできそうなもの。
しかし、こういった質問には、このようにお返ししたい。「それでは、あなたは人間である私の気持ちを100%理解できるのですか?」犬であろうと、人間であろうと他者の気持ちなんて理解できないもの。でも、その気持ちを理解しようとする努力は誰にでもできる。
散歩時の話に戻るが、犬のことをしっかり理解しようとしているハンドラーは、必ず初対面の犬に対して、犬の目線まで腰を落とし、ゆっくりと自分の手を差し出す。そして、犬に自分の匂いを嗅いでもらい自己紹介するのだ。決して、「きゃ〜可愛い!」と急に触りにいったりしない。
これこそが分かり合おうという姿勢。
人間社会でも、このお互いを分かり合おうという意識が求められていると思う。
「ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー」の著者ブレイディみかこさんは、それを「エンパシー」だと指摘している。
ブレイディさんの息子が、住んでいるイギリスの中学校での、「エンパシーとは何か?」の課題に「自分で誰かの靴を履いてみること」と答えたエピソードが紹介されている。
日本語では「共感」や「感情移入」と訳されるエンパシーだが、この誰かの靴を履いて他者のことを認識する表現は妙に言い得ている気がする。
AAEの活動も、子どもたちにこのエンパシーの力を育むことが目的である。
相手を全て理解する必要はない。100%知る必要もない。
大事なのは、自分とは違う誰かが、それでも大切な存在であると思える感性。
AAEを通して学校現場で広げたい価値はそこにある。そして、そのために犬の存在価値がとても大切になってくる。それこそが、「犬のチカラ」であると確信している。
Social Animal Bond HP
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