タノシケレバ、ソレデヨシ!
私は小さい頃の国語の時間が苦痛だった。
クラスのみんなでする音読。担任の先生は端から順番に一人ずつ読み進めさせる。
私は8番目。教科書が開かれるや否や、段落の数を逆算しながら、自分が読むべき箇所を一生懸命頭の中で復唱する。
もちろん他の児童が読んでいる箇所など聞いてはいない。
そして、自分の番の直前に、先生が…「それでは、この段落は短いから、〇〇さんにはもう一段落読んでいただきます」
頭の中は真っ白。「読めない漢字があったらどうしよう…」「言葉に詰まったらどうしよう」
物語の内容なんて、一切残っていない。こんなことを考えながら授業を受けている子どもは少なくないのではないか。
「スムーズに、登場人物の気持ちになって読んでください」と、先生は言うが、私が国語の時間にそんなことをできたためしは一度もなかった。
他者から評価される読書がこんなにも恐ろしいとは。
大人になって、「犬の読書会」を開催した。
子どもたちが絵本の読み聞かせを犬に対してするのだ。
犬は、評価も指摘もしない。ただ寄り添い耳を澄ませている。
子どもたちは、どんどん絵本の世界にのめり込んでいく。中には、途中から作話する子どもも出てくる。
でも誰も指摘しなければ、評価もしない。「そんなことは書いてないわよ」「そんな物語だった?」「大きな声で読めたわね!」「とてもスムーズに読めたね!」など。
ただ静かに寄りそう犬は、この読書会において、子どもたちのパートナーであり、生徒である。
そうして、絵本の世界を思う存分楽しんだ子どもたちは、最後にこう言って読書を終える。「最後まで聞いてくれて、ありがとう」
本とは誰かに上手に読んであげるためのものだろうか?
内容そっちのけで、音読するためのものだろうか?
読んだ本人が、その世界観に入り込み、楽しめればそれでいいと私は思う。
そして、その空間づくりに読書犬は欠かせない存在であった。
Social Animal Bond HP
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