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南北の境界での悲劇【無意識のバイアス-8】

第七回では閉鎖的な環境でバイアスが互いを傷つける様子を見て、解決のためには相互の差を認識してステレオタイプを破壊していくのが良いという結論に至った。

第八回ではアメリカの南北の狭間で起きた悲劇的な出来事を見ていく。なお、この事件は日本語のWikipediaでも見られるくらい大きなものなので、出来事の詳細はそちらに譲り、このNoteでは主に事件の構造をかいつまんで見ていく。

例によって生々しい描写は実際に本を手に取って見ていただきたい。


事件が起きた場所

この事件が起きた場所はシャーロッツビルというバージニア州の都市である。地図を見ていただければわかる通り、アメリカの北部とも南部とも言えないちょうど真ん中あたりに位置している都市だ。

この立地から、北部の文化と南部の文化が共存している空間であることが想定できるだろう。

大学という空間

騒動に大きく影響を与えたのが「大学」という空間だ。日本でも安田講堂事件が思い出されるが、大学は思想を自由な方向に膨らませることができる空間だ。時に公権力と対立するのも厭わないほどの大きなエネルギーがある。

大学という場所は、その性質上、長年、幅広い社会変革を推進する場所、そしてそれを反映する場所でもあった。

無意識のバイアス P258

リベラルへの刺激とその反作用

2016年に第一次トランプ政権が成立した。時の大学生の多数派はリベラル、すなわちトランプ大統領と反対の立場を取る。
異なる文化が共存している空間で刺激が発生し、小競り合いが起きたらどうなるだろうか。
その結果が大事件に発展している。

「少数派になってしまう」という焦り

この事件では白人至上主義者が破壊的な行進をしたわけだが、その背景には人口的に白人が少数派になってしまう予測がある。自分が主流派だと思っている時は寛容になれるのだが、自分が主流派から降ろされると思うと焦りからそれを守ろうと過激な行動をしてしまうものだ。
実際、人種の多様化に向けた試みは人口のバランスを考えると当然のことだが、白人にとっては権利が剥奪されるかのように感じられただろう。

当事者になると物を言えなくなる

バイアスに打ち勝って建設的に物事を進めたいと思うのは、良心がある人にとっては当然のことだろう。しかし、自分がそれを主張すると身の危険がある場合にはどうだろうか。多くの人は何も言えなくなってしまうだろう。

こうして安全な日本から事件を眺めている私はなんとでも言えてしまうのだ。

研究によると、人々は、特に自分が標的ではない場合に、偏見に対してどの程度発言するかを過大評価しやすいことが分かっている。

無意識のバイアス P271

ちょこっと感想

最後の二節は耳が痛くなるような話ではないだろうか。少数派になることへの焦りは「組織の中での立ち回り」、当事者の発言しにくさは「いじめ問題」を考えれば身に覚えがあるだろう。

バイアスの問題を乗り越えるためには人並外れた勇気が必要だと思う。

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