体癖話まとめ(57)
体癖について、私ソシャフィアがTwitterでたまに昔に人にされたことを思い出して「あの人は○種っぽかったな。おのれ~」と思い出して無性に腹が立ってそのテンションでツイートしている【体癖話】をまとめたシリーズ、第57弾!
今回もツイートにコメントを付けてお送りいたします。
ちょっと前に、”サイゼリアで喜ぶ彼女”がTwitterで話題になりましたね。
プチ炎上しましたが、あの彼女は何種なのかな?を考えるとちょっと面白いな思いながら騒動を見守っていました。
考えられる体癖は、三種、四種、十種ではないかと思うのです。
一種なら「デートにサイゼなんて、私を軽く見ている!」と怒るかもしれませんし、二種はあんなに分かりやすく喜びをあらわにしません。
五種はもっとオシャレで高価なものを好みますし、六種も分かりやすい喜び方はしないでしょう。
七種は食べるときは早くあのイラストではスピード感がありませんし、八種もあんな綺麗な笑顔をしません。
九種も食べるときは食べ物に向き合ってパパッと食事を終える人が多いですね。
パッと見は三種っぽいですね。
純粋に大好きな彼氏とのデートを楽しんでいる様子がうかがえます。
イラストにこんなことを言うのもナンセンスですが、首が少し右に曲がっているのもポイントです。
が、四種の線も捨てきれません。
その場では楽しんでいるフリをして、内心では「彼女とサイゼで食事ってどうなの?」と思っていて、後日友達と”彼氏ディス大会”になったときに「デートでサイゼに連れていかれた」とガールズトークのネタにするのかもしれません。
「十種だ」と言われても違和感がないですね。
十種はデートでどこに食べにいくかはあまりこだわりがなく、純粋にサイゼリアでの食事を楽しむでしょう。
イラストからもおおらかそうな印象が伝わってきます。
作品というものは、それを評価する人の感受性によって賛否が分かれるもので、その感受性は体癖によるものでもありますね。
このイラストを見て「キモい!」と否定する人が、なぜキモいと感じてそう言ったのか?という根拠に感受性があり、体癖が宿っているのです。
「男に都合が良すぎる女性が描かれている!女性蔑視である!キモい!」なら一種や七種が入っている可能性がありますし…
絵とは関係なく、皆「キモい」と言っているし、それなら自分も言っていいだろうと普段発散できない自分の中の攻撃性をに向けて鬱憤を晴らしをしているなら四種も考えられます。
イラストを見て自分の過去を思い出して嫌な気持ちになって叩いているのであれば、九種が濃くありそうですね。
まぁ、何でも否定から入りたがる八種もいますが(笑)。
そのくせ、世間の人の多くが否定していたら擁護に回ったりしてね(笑)。
マイノリティ大好き八種(笑)。
そして作者であるクレハさんにも体癖があり、このイラストにもクレハさんの体癖が反映されているのでしょう。
「○○という手法で描こう」と決めて描いたなら一種が強いでしょうし、「世間から注目されたいな」がモチベーションで描いたなら六種、「こんな女性、いねぇよww」で描いたなら八種が濃いでしょう(笑)。
いずれにしても、賛否両論ある作品は優れたものですね。
優れた作品は時代を映し、評価する人や作る人の体癖を、生き方を炙り出すのです。
「自分はこう評価したなぁ。自分は何種なんだろう?」と疑問に思ったなら、以下を♪
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というわけで、賛否両論の(?)コメント付き【体癖話】をお楽しみください!
映画などの登場人物のキャラクターと、それに近い性格や言動の俳優さんをキャスティングすることを、業界用語で「あてる」という言い方をするのだそうです。
『擬態のすすめ~俳優が教える体癖擬態術』を書くのにご協力いただいた俳優にしてタイヘキストの結木愛さんから、雑談の中でチラッと聞いただけなので、「当てる」なのか「充てる」なのか「宛てる」なのか、漢字は分からないのですが、どの漢字でも興味深い用語ですね。
体癖的に言えば、ある体癖を同じような体癖の人が演じるのが「あてる」ということなのでしょう。
俳優さんから見れば、「あてられる」ということになりますね。
つまり、キャスティングする人に「自分がどんな人間であるかを見抜かれている」ということでもあるわけです。
体癖は人を見抜くのにとても役に立つ技術ですから、キャスティングする人が体癖を学んだらガンガンあててきそうですね(笑)。
私ならそうします、面白そうだから(笑)。
で、ツイートの話。
九種も八種も、五種界はなかなか厳しい。
私自身、八種ふりかけ九種で五種界にいましたから、作中のレディ・ガガとその恋人の気持ちが痛いほど分かります。
自分がやりたいと思っていることを、お金のために削るのは本当にキツい。
五種からすれば「お金を儲ける」という大義が一番ですから、やりたいことをやらないとおかしくなってしまう人の気持ちが分からない。
八種は認められるとついつい嬉しくなってしまうところがあって、翻弄されやすい部分もあります。
「何か意図があってほめているんだな」と最初は疑うのですが、ほめられ続けると「これは本当に自分がすごいということを認めてくれているのだ」と本気にしてしまうところもありますしね。
九種も八種も、器用に立ち回るのは下手ですから、無意識に敵を作ってしまうところもあります。
五種界にいるときは、気を付けていきたいですね。
え?五種界って何?と思ったなら、こちらを♪
↓
あなたの風邪に♪狙いを決めて♬ベンザブロック~♫
というCMもありますね。
ノド、鼻、熱、どれがつらいか?で選ぶ風邪薬。
捻れ型、上下型と開閉型はカバーできますね(笑)。
というのは冗談で、緊急でなければ風邪薬はあまり飲まない方がよい、という考え方もあります。
野口晴哉先生は、「風邪は治すのではない。経過させるものだ」とおっしゃっています。
私もそれに従って、風邪を引いてもここ20年くらいは風邪薬を飲んでいません。
むしろ、風邪を引いたらラッキー!なのです。
風邪を引いて、軽い整体の体操をして、経過した後は体がリフレッシュして、心も元気になりますからね。
熱はどの体癖でも共通して起こります。
熱が出ない場合は胸椎五番を刺激するとよいのですが、自分ではなかなか難しいでしょう。
詳しくは晴哉先生の『風邪の効用』をオススメします。
が、解剖学の専門用語がたくさんあって読みづらいかも。
リクエストがあれば、それを簡単にしたnoteでも書こうかな(笑)。
おっと、この時点ですでに2700字近く行ってしまっている(笑)。
八種ふりかけ九種が発動していますね(笑)。
文章を読むと「あぁ、この人はきっと○種だな」と思うこともあります。
一種はそれらしいことを書いていますがソースがあいまいですし、三種は主語とか述語が欠けていて何を言っているのか分からないし、五種は文章が何の目的があって書かれているかが分かりやすいですし、六種も「人からエネルギーを集めたいのだな」ということが分かります。
まぁ分かるというか、そう予測しているだけですが。
見分けづらいのは二種。
それと四種ですね。
二種は通常は感情を感じさせないような、教えられた通りの定型を書くのですが、自分を出してもよい場面では、ものすごくマニアックな文章を書きます。
一見九種っぽく感じるのですが、二種の方はほんのりとした「見て見て!」を感じるのです。
九種は人が読むこととか気にしていない文章を書きますね。
四種はアメブロ界隈に多く、8年くらい前はキラキラ女子になりたい四種が三種に擬態して「自分がいかにキラキラしているか」のブログを書いている様子がよく見受けられました。
まぁそういうのもたいていは「キラキラしていればお金も恋も、自分の好きなように生きられるよ!」と、五種の自称・コンサルタントに騙されて書いているわけですが(笑)。
最近はアメブロに書いていた四種はTwitterに移行した印象ですね。
キラキラを書くのではなく、病みツイをするのです。
普段出すことができない鬱憤を晴らしているのでしょう。
それもまた、自分を調整する手段の一つでもありますね。
かつて『体癖deツイート』という、Twitterで浮き彫りになる体癖についてのnoteを書いて販売したのですが、note運営さん的にひっかかったらしく公開停止の判断をいただきました。
リクエストがあれば引っかかったと思われる部分を削除して、再アップしようかな。
二種は上司のムチャブリで五月病になりやすく、
四種は人間関係、
六種は働くとかマジでダルい、
八種は会社や同僚や上司の嫌な部分ばっかりが目につく、
九種は自分の興味のない仕事はできない、
といった感じですね。
その他の体癖は、五月病というよりは、もう少し働いてから病んでしまうケースが見受けられます。
一種は自分の「ねばべき」が通らなくて、
三種は単純に飽きちゃう、
五種はスキルアップができないことに気づいて、
七種は上司が無能に感じて、
十種は会社が儲け主義に偏りすぎて、
という人が多いです。
「私はどういう職業に就いたらいいですか?」という質問を体癖院などでよく受けます。
が、仕事の内容よりは、働きやすい「職場」であるかどうかの方が、遥かに大切です。
このあたりのことは以下に詳しく書いておりますので、ぜひぜひ。
↓
生まれてから死ぬまでの体癖を見ることができたら、それは悲劇ということですね。
ほとんどの赤ちゃんは病院で生まれますし、病院のシステム上、出産に立ち会えるのは自分のごくごく身近な人に限定されます。
その人が自分より先にいなくなるということは…
それに生まれてからベビー室で一般の人が面会できる時期は、すでに”生まれて”の段階を過ぎています。
生まれたての赤ちゃんの顔とずいぶん違っていますし、ベビー室から病院外へ出る間でもずいぶん変わります。
日によっても違っていますし、作画が安定しません(笑)。
その場で産声を聞かなければ、「生まれてから」ということは言えません。
そんなわけで、まず「生まれたときの体癖」を調べるのが不可能です。
お医者さんや助産師さんでもなければ。
亡くなるときの体癖も同じように、調べるのは不可能でしょう。
人はいつ死ぬか分かりません。
ずっと介護しながら死ぬのを待てばできないことはないのでしょうし、お医者さんや看護師さんならできるのでしょうが。
たまに「写真を見れば体癖が分かる」という人がいますが…
生まれたときから体癖が変わらず、写真などから体癖が分かるのであれば、出生直後の赤ちゃんのときの写真を見るだけでその人が今何種かが分かり、大人になったその人が現在どんな感受性を発揮して生きているかが分かり、どんな言葉をよく言うのかも分かり、どんな体の動きをするのかも分かるということになります。
なりやすい病気も分かり、怒りのポイントや喜びのポイントも分かる、ということです。
生まれたての赤ちゃんの写真を見ただけで。
私なら、そんなものは信じられませんね。
人は変わります。
変わっていいものです。
今現在の体癖が、今現在の痛みを感じます。
過去の痛みも未来の痛みも、人は今、体癖を通して感じています。
そしてそれは明日も感じているとは限らない。
生まれてからどうのこうのより、死ぬときにどうのこうのより、今現在が大切なのではないでしょうか。
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