一種・複合体癖の矛盾と葛藤、そして強み
一種は、賢い。
頭の中にたくさんの知識・情報を入れることができて、真面目で計画をよく練り、論理的で説明がうまく、何でも頭でよく考える。
あるいは…
あり余る想像力で妄想を頭の中だけで展開して現実的な行動には移さず、豊富な知識で他者を”教育”し、他者に規律を守らせ、”名誉の人”たらんとする…
とにかく賢い一種。
70年代から90年代にかけて、ツッパリに”お礼参り”をされたのに「復讐に復讐を重ねるのはいけない!あの子たちはまだ発展途上なのだから。懲戒免職されるのもイヤだし」と、お礼されてもやり返さなかった教師にも一種が多いのでしょうが、そういうのも含めて、賢い。
善悪にこだわり、正しさにこだわる。
物事を客観的に記号化して捉え、感情に揺るがされることも少ない一種。
そんな一種は、男性であれば誰でもその要素が入っていると、体癖の発見者である野口晴哉先生はおっしゃっています。
一種に他の種の要素が配合されれば、その賢さはその分減ることになります。
減った分に、さらに素晴らしい要素が配合されるのです。
計画性が高いことに加えてやたらと行動的だったり、正義のために負けると分かっていて巨悪に立ち向かったり。
その一方で…
賢いのに盛大にやらかしてしまう人も。
「自分を人前でバカにされた!」と思い違いをして相手を執拗に責めたり、自分に注目してほしいばかりに居丈高に正論を振りかざして相手の感情に配慮しなかったり。
そこには「タイプ」では割り切れない、複合体癖の秘密があるのです。
ドの音にミとソが加わればCメジャーという和音になりますが、そこにシの音が加わればCメジャーセブンという和音になり、少し切ない響きに聞こえます。
その中のミの音が半音下がればCマイナーセブンになり、また違った響きになります。
体癖とはそういったもので、一種と三種と五種が混ざっている人と、一種と四種と五種が混ざっている人とでは、種が一つしか違っていないのに、言葉も変わるし、雰囲気も変わるし、行動の様式や体の動かし方や価値観や感受性まで変わってしまう。
和音の構成音の一つが半音ズレただけで、楽曲によっては不協和音になってしまうように。
そう。
体癖という教えは「タイプ分け」ではなく、「自分や他者にはどういった構成要素があるか?」の実践的な研究と言った方が正しいでしょう。
一つの音では和音にならず音楽には聞こえませんが、他の音と一緒に鳴らせば和音になり音楽として成り立つように。
一種が濃く、他の種の要素が入っているようには見えなくても、よく観察を続ければほぼ必ず他の要素も混じっているのが見えて聞こえて感じます。
ドからシまでの半音を含めるすべての音を一度に鳴らせば音楽になりませんが、誰もがすべての音を持っており、時として美しい和音を響かせることもあれば、時として耳障りな不協和音を奏でてしまう。
体癖という見方を通してみれば、濃い薄いは別として誰もが一種から十種までの要素を持っており、その中でも特に濃い種を○種△種といい、多くの人が二つか三つのすごく濃い種を持っているのです。
「私には、相手には、どんな構成要素があるだろう?」と目を開き耳をこらしてみれば、その人だけが鳴らしている音があるのです。
それがその場では不協和音だったとしても、場面が変われば美しい和音として響くのかもしれない。
ですので、どんな体癖であったとしても良し悪しはなく、ただその人のみが奏でることのできる和音があるだけなのです。
人は誰もが個性的で、タイプで割り切ることはできない。
が、一種が混じっていれば、一種ならではの素晴らしさがあり、一種ならではのやらかしがある。
一つの構成音があれば一つの楽曲で使える音がある程度は限定されるように、一種だからこその和音があり、一種だからこその不協和音があるのです。
善悪と毀誉褒貶の感受性が一種の核で、他に利害得失や闘争などの感受性があれば、感受性同士は必ず衝突し、あるいは必ず調和します。
それが矛盾と葛藤を生み、それとは逆に、強みをも生むのです。
というわけで今回の『タイヘキストマガジン』は、”一種の複合体癖”について。
複合体癖シリーズの第5弾ですが…
「今回はあんまり売れないだろうな~」と勝手に予測しています(笑)。
一種って、あんまり人気ないんですよね~
一種の人に人気者がいない、という意味ではないですよ。
一種という体癖に魅力を感じない人が多いのです。
「あなたの彼氏、一種ですよ」と言ったら、「あ、そう。一種なんだ。へぇ、一種ね。四種じゃなかったんだ~」みたいな。
Twitterでやっている【体癖話】でも、一種と二種のツイートは全然いいねがつかない。
すごく面白い種なのに、その面白さがあまり理解されない…
まぁ私の伝え方がうまくないのでしょうが、簡単に言えば「キャラが立っていない」と感じる人が多いんですよね。
体癖って一種からはじまりますから、『タイヘキストマガジン』ではトップバッターを飾ることが多かったわけですが(現在は10面体サイコロを転がして順番を決めている)、読者の方から「一種から始まるのは、つまらない。目立たないし、あんまり特徴的じゃないじゃん」というご指摘を受けてしまう始末…
しかもその方自体、一種なんですよ(笑)。
六種とか九種とかは分かりやすく変な人が多いですが、一種と二種の上下型というのはいわゆる”常識人”的な人が多いのです。
常識人であるがゆえのおかしみがあるのですが、そういった滋味はあまり理解されないんですよね~
常識人の皮を一枚めくってみると、ものすごく変な人もいるんですけどね。
そういう人の方が分かりやすい六種とか九種よりヤベェと個人的には思うのですが。
私は割と好きですよ、一種。
八種のねじくれたギャグも分かってくれますし。
まぁ低潮したり高潮しすぎたりすると”ナチュラル上から目線”が炸裂するので、八種的にはものすごく厄介な相手になりますが。
そんな一種の複合体癖を深掘りしたい!という人は、かなりの体癖マニアック!
このnoteを読んでくださっているあなたは、マニアックタイヘキストの称号を勝手に差し上げたいくらい。
そんなマニアックなあなたのご期待に応えられるよう、今回もこのシリーズ定番の独白エピソードに解説をつけてお送りいたします。
が、エピソードはプライバシー保護のため、設定などを一部改変しております。
なんだか途中から”編集後記”みたいなノリになってしまいましたが(笑)、ここから本番。
一種の複合体癖の秘密を解き明かしていきましょう…
一種三種
理性の一種と、感情の三種。
矛盾を抱え込み、葛藤しやすい体癖と言えるでしょう。
ただ、複合体癖に関しては”配分”があって、同じ一種三種でも一種が圧倒的に濃い人もいれば、一種と三種の配分が同じくらいの人もいますので一概には言えないのですが、一種の配分が多ければ、自分の感情よりも理性を重視する傾向にあるように見えます。
これが三種一種で、三種の方が構成要素として濃い場合には、感情を優先することの方が多いです。
が、一種の方が濃ければ、理性を優先するのですね。
三種の好きで押し切ろうとしても、一種の理性が働いて、思うように動けない人も少なくありません。
理性とは、正しいか間違っているか。
一種の判断基準は、それが自分ではなく自分の周りであったり、社会的な通念であったり、慣例であったり、世間体であったりするのです。
一方の三種は、善悪などは関係がなく、自分が好きか嫌いか。
やりたいかやりたくないか。
「ねばならない」の一種と「やりたい」の三種の間で葛藤する、というわけですね。
一種性と三種性がうまく働いていると、好きなことも論理的に裏付けすることができます。
「○○だから、やりたい」、「私が○○したいのは、△△という理由もあるから」と。
そういった言葉で、説得してくる人もいます。
その一方で、自分がやりたいことをあきらめるときも、世間体のせいにするような面も見えます。
「私は好きだったんだけど、○○という理由でできなかった…本当はやりたかったのに」といった感じに、できなかった理由を外に求めるのです。
強みとしては、説得力。
一種の客観的な論理性と、三種の相手の感情を揺さぶるコミュニケーションが重なると、多くの人が動きます。
三種だけだと、ただの好きのゴリ押しになり「ノリで」とか言って勢いで説得しようとするところが出てきますし、一種だけだと自分がさも正しいかのように上から目線になってしまいます。
一種に三種が加わると、一種特有の客観性ゆえの冷たさみたいなのがなくなり、丸く明るくなっていくのですね。
どうしてそうするのかを論理的に裏付けて、さらに感情にアプローチして、周りからの応援を得て、自分のやりたいことをスムーズに運んでいく人も一種三種には少なくありません。
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