二種・複合体癖の矛盾と葛藤、そして強み
二種は、タフ。
人に与えられた任務を忠実に全うしようとし、首が長く太く体力があり、心の内を人に話せば回復し、感情を面に出さず、主張は少なく、うまい話にすぐに飛びつくことは少なく、目立つことよりは縁の下の力持ちで居ようとする。
あるいは、自分の責任では動けず、マニュアルに頼り、恐怖から逃げるための行動を取り、眠りが少ないと調子を崩しやすく、人の基準に合わせ、人の心を見ようとせず、融通が効かず決められたことを守ろうとする。
とにかくタフな二種。
上司にはこき使われ部下には突き上げられ家族には主導権を握られ胃を痛めながらも毎日同じ時間・同じ電車に乗って通勤してルーティンをこなし夜には同僚と一杯やって会社の愚痴を言って溜飲を下げる昔ながらのサラリーマンにも二種は多かったのでしょうが、そういうのを含めて、二種はタフ。
が、二種本人は「自分がタフだ」とは微塵も思っておらず、単にフツーに、周りのみんなと同じように、平均か平均以上の生活を心がけているだけなのです。
時には小さな大冒険に繰り出したり、野望を秘めて行動したりもしますが、心の底では混沌より安定を愛し、安心の中で生きていくことを望んでいるの人の多いです。
それがまさに二種がタフである証。
攻めるよりも防衛する方がしんどいのです。
少なくとも、奇数体癖のような人たちにとっては。
ところが他の体癖の種が混じると、二種のタフさとともに他の素晴らしい要素が足されることになります。
一つのことを同じ方法で完了するまでやり続けたり、相手についてどうのこうの思わずに社交性を発揮したり。
その一方で…
他の要素が混じることによって、二種の素晴らしさを減らしてしまうことも。
自分の任務と自分のやりたいことの間で葛藤して責任を放棄したり、普段は強い者に従って腹の底から頼っているのに相手がちょっと弱みを見せるとマウントを取ろうとしたり。
体癖とはタイプではなく”人の構成要素”であり、人の個性を決定づける重要な部品。
人はタイプでは割り切れません。
どの人も個性的で、一見無個性に見える二種にも、その”無個性に見える”というところが非常に個性的なのですが、他の要素が混じればさらに複雑な個性を発揮するのです。
一口では味が分からない豆腐も、鰹節を乗せて醤油をかければ豆腐本来の深い味わいを感じますし、コチュジャンとゴマ油をかければ、豆腐本来の旨味よりも他の風味の方が際立つのと同じように、体癖と体癖がかけ合わさっていることで、その人本来の個性が際立つのです。
そこにさらに、その人が生きてきた歴史も混ざります。
過去の中で手に入れてきたビリーフ(=思い込み)や価値観が人格に影響することもありますね。
人は過去の経験からストローク(=愛)の溜まりやすさ/溜まりづらさが決まる部分もありますが、そのことを知っていれば、よりストロークの溜まりやすい言動を意識することだってできるのです。
他の体癖と同じように、ストロークの溜まっている二種とそうでない二種とでは、大きく異なります。
例えば、ラストオーダーを数分超えたレストランに入るのでも、ストロークの溜まっていない二種は無感情に「今日はもう終わりです」と言うのに対し、ストロークの溜まっている二種はもっと相手に配慮した態度でその言葉を言うのです。
そこに十種でも混じっていれば、規則を度外視してオーダーを受ける店員もいるでしょう。
ですので、同じ二種だからといって十把一絡げにすることはできないのです。
強い二種もいれば、弱い二種もいます。
ただ、同じような身体的特徴を持ち、同じような無意識の体の動きをする人は、同じような感受性で生きていて、同じような言動をとる場合が多いのですね。
二種が混じっているのであれば、首が長く、または太く、首だけを曲げて下を見て、周りを意識して正しいか間違っているかを判断し、人から何か言われると一瞬だけ表情を動かして数秒の間の後に反応する人が多い。
体に関しては背骨の特徴を診れば一目瞭然なのですが、そういった専門知識・専門技術がなかったとしても、生活の中で見抜いていくことは十分に可能なのです。
人はほとんどすべて、複合体癖。
純正に近い二種もいれば、ふりかけ程度に他の種がかかっている二種もいれば、他の種の要素が目立つ二種もいます。
その配合と歴史によって個性は形作られ、普段の生活の中で個性は発揮されているのです。
というわけで、今回の『タイヘキストマガジン』は、複合体癖シリーズ第9弾!
二種複合体癖について。
二種って割と人気がないようで、お体からの体癖診断をして「二種です」ってお伝えすると「あぁ、やっぱり二種ですか…」と自嘲される方の多い体癖なのです。
私の持ち上げ方が足りないのでしょうか?(笑)
いや、持ち上げても「自分ってそんな良いところないよ」と思っていらっしゃる方も多い。
それこそが二種性だったりもするのですよね。
ちょっと自信がないというか、自己評価が妙に低いというか。
他の体癖の人も、二種をあなどっている人が多い。
弱そうに見えるからでしょうかね?
二種的な人こそが日本の繁栄を築いてきたのですけれどね。
そんな二種濃い目さんにはどんな矛盾があり、どんなことで葛藤し、どんな強みがあるのか?
リアクションの分かりづらい(笑)二種の心の中を覗いていきましょう。
ちなみにエピソードはプライバシーに配慮して、一部設定を変えています。
二種三種
このエピソードはかなりストロークの少ない二種三種の例ですね。
このお話をしてくれた人に「その人、顔が細長くて体が丸いか、顔が丸くて背筋が真っ直ぐじゃないですか?」と聞いたら、「そうなんです!まさに後者なんですよ!なんで分かったんですか?」と言われて気味悪がられました(笑)
お話を聞いて、「あ、その人は二種三種だな」とすぐに分かったのです。
ストロークが欠けていると、低潮している時と同じように、どの体癖でも望ましくない面が丸出しになってしまいます。
2つ体癖の種が混ざっているのであれば、2つの種の良くないところが前面に出てくるのですね。
一つの体癖の良いところが、もう一つの体癖の良くないところで打ち消されて、両方の良くないところが目立つようになります。
ですので、ストロークが欠けていた方が「あ、この人は○種◇種だな」ということが分かりやすい。
二種は基本的には仕事では持続する体癖です。
勤続年数が長い人が多いのです。
それも「その仕事がやりたい」とか「楽だから続ける」という気持ちよりは、「辞めて他の人にどう見られるか?」とか「ここで辞めたら将来はどうなってしまうだろう?」ということが気になって続けるのですね。
生活が不安定な状態だと不安が大きくなり、安定すると安心するのです。
安心できて、ある程度将来の目処が立つ場所であれば、それだけ二種の勤続年数は長くなり、良い仕事をするようになります。
ところが三種が混じっていると、三種の飽きっぽさや自分勝手さが前に出て、二種の継続するタフさは減退します。
仕事をしていても「好きなことじゃないし、早くやめてやりたいことをやろう」という気持ちが出てくるのですね。
そういった気持ちが、二種の胃を痛めながらも限界まで耐えるという美点(あるいは弱点)を打ち消してしまう。
しかも世の中は「好きなことを仕事にしよう!」という三種的な主張が「石の上にも三年」という二種的な主張よりもよく聞かれますから、そういう時代性も背中を押すのでしょう。
本人はそれでいいのかもしれませんが、職場の同僚としては大変ですね、
また二種三種は、感情の濃い三種と感情の薄い二種という相反した特徴が矛盾し、お互いに打ち消し合うのです。
つまり、kawaiくなくなる(笑)
それもストロークが十分であれば、二種の低反発なところと、三種の明るさが混ざって、上の立場の人からも下の立場の人からも愛されるようになるのですがね。
二種三種本人も、強い葛藤を感じている人が多いように見受けられます。
何をやるにも人からの承認を求める二種性と、自分が思うように動きたい三種性がぶつかり合い、何かを決断するにも決めきれない部分があるのですね。
決めきれない時の二種三種の常套手段が「人のせい」、「環境のせい」なのです。
「自分は悪くない」という大義名分が立てば、割と自由に決めて自由に動けるようになるのですね。
まぁそういったところは二種三種でなくても偶数体癖が強めの人には特によく見られる傾向ですが。
二種三種の良い面としては、「広く浅く」が得意な面でしょう。
二種は「変な人に思われないように」と流行に乗るところがあり、三種は自分の好奇心が満たせそうなことはあまり考えずに飛びつくことのできる体癖です。
というと「え?それって良くない面じゃない?」と思われたなら、日本人が多く持つ九種的な”極めなきゃいけない病”を患っているかもしれません。
誰もがスペシャリストでなくてもいいのです。
例えば大きな会社の経営者や社長の多くが、何か一つのことをマスターしている人ではなく、満遍なくなんでも知っているジェネラリストです。
でなければ、自分の専門分野にばっかり目が向いてしまい、色々なところに目を配ることができませんからね。
そういった美点も、ストロークがあるかないか?で決まる部分があります。
特に二種と三種のような相反する点が多い体癖が混ざり、ストロークが欠けていると、望ましくない点が色濃く目立つように思えます。
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