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複合体癖幸福論〜体癖の強みと感受性〜

どの体癖にも、素晴らしいところがありますよね。

一種は冷静で客観的な判断ができますし
二種は忍耐強く、安心が確保されていれば無双できます。

三種は好きなことに真っ直ぐだと無限のパワーが出ますし
四種は相手を気遣ったコミュニケーションを心がけます。

五種は行動的で利害得失に敏感で、エネルギッシュ。
六種は人の気を十分集めていれば穏やかで、カリスマチック。

七種は勝っているうちは無敵で人を引っ張る強さがあり
八種は負けじと頑張り、人の気づかないことに気づくことができます。

九種は一つのことに深くのめり込んで、突き詰めるまでやり続け
十種は自分のことは置いて人のためによく尽くします。

他にもたくさんあります。
どの体癖も素晴らしい。

が…

そうじゃない○種もいる。

三種なのにkawaigeに欠けるところがあったり、七種なのにやたらと弱気だったり。
一種なのにものすごく感情的だったり、十種なのに自分のことばっかりだったり。

要は、誤解を怖れずに言えば…
幸せじゃない。

元々持っている素晴らしさを発揮できず、生き方に迷ったり、人間関係に悩んだり…
望んでいないことをやって、好きでもない人と人生の多くの時間を浪費している人もいますね。

それは、なぜか?

現在自分を取り巻く環境や、過酷だった過去の影響もあるでしょうが…
一つには複合体癖であることも大きな要因としてあるでしょう。

私がお体から体癖を診断してきた限りでは、人は誰もが複合体癖。
一つの種だけが突出して濃く出ている人もいますが、丁寧に観察、検査、テストをしていくと、ふりかけ程度には他の体癖も混ざっているのです。
(ちなみに私ソシャフィアは八種がものすごく濃いですが、ほんのり九種も混じっている八種ふりかけ九種です)

複合している体癖の性質によって、一番前に出ているはずの体癖の良さを打ち消してしまうものもあります。
体を診れば三種の特徴が一番出ているのに、複合している一種によって理知的な判断をすることが常になっていたりして。

が、すべての複合体癖が体癖の良さを減らしているかというと、そうでもない。
二種のすごいところと、六種のすごいところと、九種のすごいところを同時に発動している人もいるのです。
自分の良さを最大限活かし、自分らしく、幸せに、楽しく生きている人が。

そうやって生きている人とそうでない人の違いは、実はちょっとしたことなのかもしれません。

すでに『○種・複合体癖の矛盾と葛藤、そして強み』シリーズを展開しており、複合体癖というマニアックな話題にもかかわらず、多くの人に読まれ、ご感想をいただいております。
すごくいやらしい言い方をすると、割と売れています(笑)

そのシリーズでは「○種と△種が混じると、こういう特徴が出るようになる」ということを書いているわけですが…

「自分のことをそのまま言われているようで怖い」
「私の恋人がまさにそういう人!」
「家族に読んでもらって行動を改めてほしい!」

といったご感想をいただく一方で…

「私はこんな人間じゃない」
「私にそんな良さがあるわけがない」

など、あまり当てはまってないんですけど…みたいなことを言われることもあります。

原因としてはおそらく…

・その複合体癖ではない
・○種と△種の配合バランスが大きく偏っている
・三番目の□種がある
・四種や三種など他の人の影響を強く受けやすい種が混じっている
・自己認識(自分が自分だと思っている自分)と実態とのギャップがある
・過去の経験から体癖の特徴が変化して表出している

ことがあるかと予測されます。
それらの原因が複数当てはまっていることもあるでしょう。

また、”受け入れたくない”とか、”指摘されたことと反対のことを言いたくなる”といった原因もあると思われます。
前者は四種混じりに多く、後者は八種混じりに多いです。

そして、もう一つ。
今回のメインテーマとなる”その体癖の生き方をしていない=自分らしく幸せに生きていない”ことが挙げられるのです。
この問題が一番大きい。

そんなわけで今回の『タイヘキストマガジン』は、”体癖通りに幸せになるためにチェックしておきたいこと”をテーマとしてお届けいたします。

この記事を読まれることで、自分が持っている素晴らしさを発揮して、より自分らしく幸せに楽しく生きることができるようになるように。

”体癖通りに生きる”とは

”その体癖の生き方をしていない”ということを明らかにするためには、まずは”体癖通りに生きるとは何か?”から考えていく必要がありますね。

一種や二種などの○種を探る前に、その基礎となる”奇数体癖”と”偶数体癖”を見ていきましょう。
ここで拗れている人が非常に多いのです。

この『タイヘキストマガジン』でも何回も言ってきましたし、野口晴哉先生の著作を読まれた方ならもはや常識でしょうが…

奇数=鬱散要求=自分の中のエネルギーを発散したい
偶数=集注要求=他からエネルギーを集めたい

で、例えば九種のような鬱散の極みのような体癖が鬱散していなかったら「体癖通りに生きている」ということにはならないし、六種のような集注の極みの体癖が集注していなかったらそれも「体癖通りに生きている」ということにはならないでしょう。

奇数体癖は鬱散している方が、体癖通りに生きていて幸せ。
偶数体癖は十分に他者からの愛が集まっていた方が、体癖通りで幸せ。

それが幸せになるための体癖の基本です。

その上で、体癖各種。

一種なら、自分が考えたことが現実化されて名誉を得たら幸せ。
二種なら、普通か平均以上の人と見られれば幸せ。

三種なら、自分が好きなことを目一杯やったら幸せ。
四種なら、好きな人に愛されたら幸せ。

五種なら、儲かれば幸せ。
六種なら、自分の特殊性が認められて多くの人の愛に包まれたら幸せ。

七種なら、自分の実力でトップに立てたら幸せ。
八種なら、巨悪を克服して「すごい人だ」と認められたら幸せ。

九種なら、人生をかけて一つのことにのめり込んで極められたら幸せ。
十種なら、弱い人や困っている人を助けられたら幸せ。

それぞれの種はそれぞれの幸せポイントがまだたくさんありますが、概ね以上のようでしょう。
(私があなたの幸せを決めるのもちょっと違うと思うので、「自分の幸せが何なのか分からない」ならご参考にしていただければ。)

体癖通りに幸せに生きている人は、その感受性に従って生きているのです。
言い方を変えれば、価値基準が明確で、その基準をもとにした判断を下している。
意識的、無意識的にかかわらず。

ですが、複合体癖となるとそうはいかない。
複合している数が増えるほど、幸せと幸せがゴッツンコしてしまうのです。

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