愛する体癖~ブチ切れを乗り越えて~
※追記2022年4月:ストローク分析テストのお受付期間を無制限にいたしました
すべての人に痛みがある
「あの体癖だったらよかったのに…」
「自分は生まれつきの体癖ガチャに外れた…」
「なんで自分は○種なんだ…」
そんなふうに、自分の体癖を悲観的に見る人もいます。
確かに…
一種なら、頭が良さげですし、
二種なら、人の言うことに従っていれば無難そうですし、
三種なら、天真爛漫で生きやすそうだし、
四種なら、敵を作らなそうですし、
五種なら、お金儲けがうまそうですし、
六種なら、自分が動かなくても周りが動いてくれそうですし、
七種なら、競争に強そうですし、
八種なら、なかなか折れなさそうですし、
九種なら、一点集中で好きなことだけに取り組めそうですし、
十種なら、裏表なく人と接することができそうですね。
すべての体癖には美点があり、すべての体癖には欠点がある。
美点は欠点でもあり、関わる人によって美点ばかりが、あるいは欠点ばかりが目に付くようにもなりますよね。
複合していれば、良さを打ち消し合う○種と△種もあるでしょう。
アクセルをかけて前に進もうとする自分も、ブレーキをかけて止まろうとする自分も、ハンドルを切って方向転換しようとする自分も、同じ自分という人間の中に存在している。
高潮すれば美点が見えるようになるけれど、低潮すれば欠点が浮き彫りになることも。
人はもともと矛盾する生き物で、昨日まで信じていたことが、今日になって信じられなくなることだってある。
だけど…
私たちはこの体で生まれてきて、この心を持つに至った。
この体と心で、人生を生きてきた。
泣いたこともあったでしょう。
泣かせたことも。
絶望的な気分になって、自分も人も傷つけたことも。
人の怒りを焚き付けたこともあったし、ブチ切れて破たんさせた人間関係もあったかもしれない。
決してそんなつもりはなかったのに結果的に人を騙してしまったことだって。
何気なく人を嘲笑い、一生残る傷を残してしまったこともあったのかも。
キラキラしている人を見て自分の不甲斐なさを呪い、誰かにその人の悪口を言ったり、伝えるべき言葉を伝えるべき時に言えなくて、見放されてしまったり。
私たちに無傷の人なんて一人もいない。
地上に生きるすべての人に痛みがあり、空の下に生きるすべての体癖に悲しみがある。
そうやってこれからも生きていくのかもしれません。
人を傷つけて、人に傷つけられ、傷が増えるたびにその傷を埋めようとまた誰かを傷つけて、悲嘆に暮れることになるのかもしれない。
それでも…
希望は必ず残されています。
私たちが体癖ゆえの同じ過ちを繰り返さず、繰り返させず、より楽しく、面白く、美しく生きるための希望が。
それは…
愛すること。
自分を愛すること。
人を愛すること。
今もこの世界に存在するということは、許されてきたし、許してきたということではないでしょうか。
自分と人を許してきた。
人と自分に許されてきた。
すでに愛し愛されることをやっているのです。
全部は許していなくても、許されていなくても、三割くらいは。
どんな過去があったとしても、生きていていい。
どんな体癖であったとしても、どんなに情けない自分だったとしても、もっと自分を愛していい。
私たちの誰一人として、人と一切関係せず生きていくことは、不可能です。
ただそばにいて、ただ言葉を交わす。
そうやって私たちは、そうとは知らずに助け合って生きている面もありますね。
この世界は不完全で、欠陥ばかりで、どうしようもないようにも見えます。
けれど、それは幸運な側面を持っているということでもあるのです。
だって、その欠けている部分を愛で埋めて、欠落している部分と他の欠落している部分とを愛でつなぐこともできるのだから。
完璧でないからこそ、隙間があるからこそ、もっと良くすることだってできる。
しかしそうするためには、私たちは愛についてまだよく知らないように思えます。
知っているつもりで、実は全く分かっていないのかも。
自分が愛だと思うことをやって、弾かれたこともあるでしょう。
良かれと思ってやったことが、返って相手を傷つけたりも。
そこにはやはり、体癖があり、個性があるのです。
自分の体癖もあれば、相手の個性もある。
今回の『週刊・現代を生き切るためのタイヘキストマガジン』は、”愛”をテーマにお送りします。
すでに前回、前々回の『タイヘキストマガジン』をお読みの方ならおなじみの、”ストローク”についてです。
ストロークがあれば…
・自分を傷つけなくて済む
・心理ゲーム(お互い、あるいは片方が嫌な気持ちになる望ましくないコミュニケーション・前回、前々回を参照)を避けて、より良い関係性を築くことができる
・もっと豊かに幸せに生きられる
・人からもっと好かれる
・自分をさらに好きになれる
・自分の体癖の良い面を出せるようになる
といった様々な良いことが起こってくるようになるでしょう。
「自分は○種だからダメなんだ…」、「△種のあの人はうらやましいな…」という悲観を乗り越えて、もっと素敵な自分になって、もっと自分にフィットする人と共に居られるようにもなるでしょう。
イメージしてみてください。
あなたが今よりももっと生き生きと人と関わり、自分と関わっているところを。
そこに体癖という障害はなく、あるのは思いやりと自由のみです。
それを可能にするのは、ストローク。
ストロークこそが、自分も他の人もさらに良いステージに上げてくれるのです。
というよりも、私たちはストロークなしに生きていくことはできません。
人間とは人と人の間に在るもの。
その”間”には、実はたくさんのストロークが満ちているのです。
実は、どの体癖であっても。
各体癖のストロークについて述べていく前に、まずはストローク全体について記述していきます。
愛は循環するもの
前回、前々回の重複になりますが、ストロークとは心理学用語で「自己と他者の存在を認める働きかけ」と定義されています。
自分や相手の存在を、尊厳を持って尊重する、ということですね。
「なでる」という意味のStrokeが語源です。
つまりは、愛。
いきなりですが…
あなたに高価な壺を売りつけます。
ではなくて(笑)、ある壺のお話をさせていただきます。
高価な壺よりも、おそらく数十倍も役に立つ壺の話を。
これは”ストロークの壺”と言われるものです。
私たちの心の中にあります。
水(=ストローク)には、自分へのストロークと他者からのストロークがあり、どちらも必要なものです。
合計で70%以上満たされていると、心理ゲームに陥ったり、人や自分を攻撃(=ディスカウント・後述)しなくなったりします。
自分へのストロークはMAXで溜まっても30%。
どんなに自分を愛しても、やはり心理ゲームは起こってしまうのですね。
そこで、人からストロークを注いでもらう必要があるのですが…
重要なことに、自分へのストロークがある程度溜まっていないと、他者からのストロークも溜まらないのです。
ちょうどカルピスみたいなものですよね。
原液のカルピスがコップに入っていなければ、いくら水を注いでもカルピスにはならないのです。
そしてこの壺は、素焼きの壺です。
素焼きということは、時間の経過によって、中のストロークが漏れて出てしまうのですね。
生きているだけで勝手に減っていきます。
定期的にストロークをいただく必要がある、ということなのです。
さらに、素焼きということは、割れやすいのです。
心理ゲームをしたり、攻撃を受けてしまうと、ヒビが入ってそこから多量に漏れてしまい、ストロークの水位が減ってしまうのです。
たいていはストロークを注ぎ続けるとヒビはふさがり、また溜まるようになりますが、中には穴が空いたままの状態の人もいます。
どんなに注いでも、注ぎ続けても、なかなか溜まらないのですね。
多くは幼少期に受けた攻撃やトラウマによる、人生観や世界観などの思い込み(ビリーフ)が、穴を空けたままにしています。
また、体癖的に言えば、低潮しているときは特に穴が空きやすいと言えるでしょう。
そして…
100%以上ストロークが満たされると、溢れて、他の人に注がれます。
その人の壺が100%満たされれば、また他の人に注がれて…
世界中を巡って、いずれ自分に還ってきます。
そう。
ストロークは、循環するのです。
注げば注ぐほど、得なのです(五種に向けましたw)。
もちろん、100%満たされていなくても、他の人に注ぐことはできるのですが、少し意識して注ぐ必要があるのですね。
相手によって、注ぎ方を工夫する必要がありますね。
その話は、後述。
壺を割るもの
そのストロークの壺を割るものを、ディスカウントと言います。
ディスカウントストアは、定価よりも安く売っているお店のことを言いますよね。
本来の価格から値引きしているのです。
心理学のディスカウントも価値の値引きのことですが、ディスカウントストアのように人の役に立つものではなりません。
”人の尊厳を値引きするもの”。
要は、攻撃のことです。
壺の水が70%~40%を下回ると、人はディスカウントをしてしまうようになってしまうのです。
心理ゲームも起こしやすくなります。
ディスカウントには、様々なものがあります。
肉体的に傷をつけるようなものや…
皮肉、嫌味、悪口の類はもちろんのこと、疑ったり、無視したり、脅したり、過干渉したり、放置すべきでないのを分かっていて放置したり、まるで保護しなかったり、仲間はずれにしたり、詰ったり…
どれもされて気持ちのよいものではありませんよね。
先天的なドMの人には放置プレイは最高のご馳走だと、SMの専門家から聞いたことはありますが(笑)。
体癖的に言うならば、低潮しているときは特にディスカウントをしてしまいますので、気を付けていきたいですね。
愛って何よ?
ストロークは、その反対。
基本的には気持ちのよいもの。
ですが、あなたはこう思ったかもしれません。
「相手にもっとよくなって欲しくて注意したり、忠告することもディスカウントなの?言われたら気持ちよくないじゃないか?」
それも、ストロークなのです。
相手の尊厳を尊重した上で、相手の行動をより良くするための働きかけも、愛ですよね。
心理学では”否定的ストローク”と定義づけられています。
(ちなみに前述したストロークを肯定的ストロークといいます)
否定的ストロークを受けた方は、その瞬間は気持ちよくはないかもしれません。
反発したくなったり、逃げたくなったりもするでしょう。
が、後になって「あのときあぁ言われて、大きな失敗をしなくて済んだ」とか「言われたときは腹が立ったけど、あの言葉のおかげで今があるんだな」ってこと、あなたにもあるんじゃないですか?
ただ…
それも人によって異なりますね。
ストロークの壺が十分に満たされていなければ、私たちは否定的ストロークをディスカウントと受け止めてしまうのですね。
こちらが相手のためを想って言ったことも、相手からすればディスカウントになってしまっている場合もある。
または、相手が自分のために言ってくれたことを「あの人は私がうらやましいんだ」とか「私を下げるために言っているんだ」と受け取ってしまったりもしてきたのかもしれません。
受け取ることも、愛。
ともかく、心に中にある脆い壺を、ストロークでいっぱいにしていきたいですよね。
ちなみに心理学では、以下のような言動が否定的ストロークに当たるとしています。
・的確に指示する
・教え諭す
・間違いを正す
・解決に向けた質問をする
・実現可能なアドバイスをする
・より良くなるように提案する
自分もOK、相手もOK
否定的ストロークとディスカウントは、相手の状態によって変わりますが、こちらの状態によっても変わるものです。
自分が「私はOK、あなたはOKじゃない」という心理状態になっているときは、ほとんどすべてにおいて、ディスカウントになります。
相手のためと思って指示や注意をしているつもりが、根底に「お前はダメだ」という前提があったら、相手としてはどうでしょう?
強制的に自分の考えを押し付け、相手を従わせようとするのは、心理ゲームとディスカウント以外の何物でもないのです。
また、相手のためと思って甲斐甲斐しく世話をしているつもりで、その奥に「あなたは私がいなきゃダメなんだよ」という前提があったら、相手を信頼していないことになりますね。
それも相手の成長の機会や主体性を奪ったりすることに一役買ってしまうのです。
ストロークに見えて、実のところそれは、ディスカウントなのです。
「私もOK、あなたもOK」という在り方こそ、肯定的でも否定的でも、ストロークをストロークたらしめるのです。
「私はOK、あなたはOKじゃない」や「私はOKでない、あなたはOK」、「私もあなたもOKじゃない」という心理状態になりやすいのであれば、まずは自分へのストロークを確かなものにすることが大切ですね。
ご自愛が必要でしょう。
その方法は…
5万字くらい行ってしまいそうですので、そのくらいの文字数で書かれた以下のnoteに譲りますね。
↓
ともかく、まずはカルピスの原液(自分へのストローク)をできるだけたくさん入れましょう。
人に対してのストロークは、それから。
各体癖へのストローク
さて、ここからがこのnoteの本題です。
ここから先は
¥ 600
Amazonギフトカード5,000円分が当たる
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?