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体癖話まとめ(58)

体癖について、ツイッターで私ソシャフィアが、確定申告とかでめっちゃ時間がなくても「なんとかこのコーナーだけは!」と残りの気力と体力を使って全身全霊でツイートしているけどいいねは少ない【体癖話】をまとめたシリーズ、第58弾!

今回もツイートにコメント付きでお送りします。

ここのところ立て続けにご夫婦でソシャフィア体癖院にお越しいただいたり、旦那さんや奥さんをご紹介してくださったり、体癖雑談会にご夫婦でご参加されたり、という嬉しい仕事が続いています。

まさに、ご夫婦で体癖を知っていることで得られる恩恵は、絶大なものがあるでしょう。

こないだも三種同士のご夫婦がおいでくださって、「すごい!面白い!」を連発してくださり、奥様が「私も旦那さんの体をよくしたい!」とおっしゃられて、私もついつい調子に乗って三種の調整法をお教えしてしまいました(笑)。
(つらいときはうちにおいでいただければ、私も豊かに…いや、何でもありませんwww)

「あの人、○種だよね~」とか「△種ってこういうところあるよね~」とか「野口晴哉先生の本、読み終わったら貸して~」とか、共通の趣味として体癖を楽しむのもすごく楽しいですが…

そこはやはり、お互いのことについて使っていただきたいのです。

距離が近すぎると、どうしても「相手はこうだ!」と決めつけてしまいがちですよね。
でも、お相手は実はそうでなかったり、実はそう思ってもらえるように擬態していたり、実は一方が我慢を強いられていたり…
夫婦でもそういうことは起こりますよね。

そんなときにお互いの体癖を知っていれば、もっとお互いを思いやることもできるのではないかと思うのです。

もちろん、奥さんだけ、旦那さんだけが知っていればよい、ということもあるでしょう。
離婚をしようかどうか迷っている人のヒントにもなりますし、相手の地雷を踏まないためのヒントにもなるでしょう。

それでも、お互いが知っていれば、もっと歩み寄れることもあるかもしれません。
夫婦の在り方も多様な現代だからこそ、多様な選択肢の中からベストを選んでいきたいですよね。

夫婦と言えば、体癖院のお隣のおうちがまだ工事をやっております…
今日もドーン!ガシャーン!!ゴーーーー!!!とうるさかった…

まだ当分続くようなので…
体癖院の”隣がうるさくてごめんなさい価格”の期間を延長いたします。

4月末日までのご予約で、35%off!!

変化の季節、この機会にぜひぜひ(^^)/

というわけで、どんなに忙しくてもこれだけはTwitterで展開している【体癖話】(コメント付き)をお楽しみください!

「催眠療法」と聞くと、いまだに「アヤシイ」「うさんくさい」という人もいるわけですが、心理学の超大物であるジークムント・フロイトも催眠でクライアントを治療していました。
フロイトの精神分析は、現代のほとんどの心理学の大元になっていますから、催眠がアヤシイとなると、心理学全体がアヤシイということになってしまうわけですね。
もちろん、アヤシイのもありますが、すべてとなると、疑問符がつきますね。

中には「私は催眠とか信じないです!」と言う人もいます。
「催眠なんて絶対に入りません!」とか。
ですが、催眠に入ったことがない人は、眠ったことも目覚めたこともない、ということなのです。

催眠状態は、日常生活で出たり入ったりします。
眠る前や目覚めた後は、催眠状態です。

それを意図的に誘導して催眠状態に入れるのを”催眠誘導”と言います。

何のために催眠誘導をするのかと言うと、”変性意識状態”になっていただくためです。
変性意識状態とは、”トランス状態”とも呼ばれており、簡単にいえば、顕在意識と潜在意識の境目があいまいになっている状態です。

覚醒しているときは、顕在意識(私たちが認識できる意識)と潜在意識(私たちが認識できない意識)の境目はセキュリティがしっかりしていて、容易には行き来できないのですが、トランスに入ることによってセキュリティが甘くなり、行き来できる状態になるのです。

潜在意識は情報の宝庫で、忘れてしまったことや、斬新なアイデアが豊富に眠っています。
それらを取りに行って、現在の悩みや問題を解決するためにするのが、基本的な催眠療法です。

眠る直前に「あ!あれやってなかった!」と、ふと思い出すことってあるじゃないですか?
あれなどはトランスに入っていることによって潜在意識の情報が顕在意識まで上がってきて、思い出されている現象なのですね。
催眠療法は、それを意図的にやるわけです。

トランスに入れるだけでなく、暗示を入れることも重要。
暗示なきトランスは、鍋のフタを空けてすぐに閉めているだけです。
暗示という具材を入れることで、その人の味わいを変えていくのです。
うまいたとえではないけれど。

催眠療法は、色々なことができます。
単に眠そうな声で「リラックスしてください…」と眠りに近い状態にするのだけが、催眠療法ではないのです。
一番面白いのは、一瞬でトランスに入れて、一瞬で暗示を入れる方法でしょう。

かつてリフレクソロジー(いわゆる足ツボ)の講習をやっていたときに、Jちゃんというめっちゃ痛がりな人がいました。
足ツボの教室で痛がりな人がいると、他の受講生さんが練習できないのですね。
そこで私は、Jちゃんの目の前でパチーンと手を叩いてビックリさせて、Jちゃんの耳元で「鈍感になる」と暗示を入れました。

そうすると…
思いっきり足の裏を刺激しても、全く痛みを感じなくなるのです。
Jちゃんも受講生さんも「これ、面白い!」と興味を持ってくれて、足ツボ講座が一瞬催眠講座になってしまったのも、良い思い出です(笑)。

ちなみに晴哉先生も催眠をやっていたそうですね。
なんと子供の頃から催眠の本を読み漁り、実践していたそうなのです。
そんな子供、イヤだ(笑)。
その九種は狭い世界ではありますが、私よりもはるかに有名で、ある技術では日本でトップクラスの方でステータスは高かったのですが、めちゃめちゃ無礼でついつい八種性を爆発させてしまい、バトってしまいました。
しかも、取引先で、取引先の人を巻き込みながら(笑)。

この顛末は『体癖と環境~3人寄れば○種界~』というnoteの【ちょっと一息コラム】で書いたのですが、九種と八種とがぶつかり合う名バトルとして今なお刻まれています、私だけの心に(笑)。

で、九種は八種から見ると無礼な人が多い。
まぁ九種だけが無礼な体癖というわけではないのですが、非常に目立つ。
あいさつはちゃんとしないでいきなり本題から入るし、思ったことを頭の中で加工せずにそのまま出すし、自分の主張が他の人の主張を反論していることにも気づかないし…

「九種だからしょうがないじゃん」と思われる人もいるかもしれませんが、しょうがなくありません、仕事で人と関わるのなら。
自分だけの世界に浸りたいなら、「一人でやってろや!」ですよ。

礼儀をもって人と接するのも、お互いに気持ちよく関わるためには大切。
それは先人たちが長い時間をかけて醸造してくれた知恵の結晶なのです。
そうしないのを体癖のせいにするのは、ちょっと違うと思うのです。

私がそんな九種とバトった経緯は、こちら(笑)
晴哉先生もおっしゃっていますし、『働く体癖~体癖 de 就職・転職』というnoteでも引用したのですが、「体癖によって仕事を選ぶということは要らない。どのような仕事をやろうとも、その体癖に合った仕事の仕方、生活の仕方になる」(体癖第二巻・原文ママ)のです。

そして、仕事の内容そのものが嫌で職場を辞めた、という人は、様々なデータを見ても見当たらない。
辞める人は、職場の環境や昇給システムや人間関係で辞めているのですね。

そんなわけで『働く体癖~』を執筆したわけですが、体癖を学ぶ人が自分自身や目の前の相手にだけ意識を向けて、そのバックにある”環境”に目を向けないのは、非常にもったいないと思うのです。

まして仕事となれば、人間関係を選べません。
ほとんどの場合が、すでに出来上がっている人間関係の中に飛び込むのです。
となると、そこには必ず○種界があるわけですね。

排他的な○種界もありますし、ある程度は歓迎してくれる○種界もあります。
暗黙の了解がやたらと多い○種界もあれば、指揮系統がしっかりしていて上下関係にやたらと厳しい○種界もある。

いずれにしても、後から入ってくる人間は、選べないのです。
それどころか、以前からそこに居続けている人たちも、入ってくる人を選べない。
選べない同士で一緒にいるのだから、せめて気持ちのよい関係を築く努力をすればいいのに、主にすでに居続ける人たちがおかしな主導権を握ることになる。

まぁ、それを○種界に当てはめると”七種界”ということになるわけですが、日本の会社のほとんどは七種界でしょう。
ひょっとすると、日本は鎌倉時代から続いた軍事政権がほんの150年くらい前まではびこっていたから、伝統的に七種界になるのかな?と考えるのです。
学術的に捉えるのは、一種的な見方ですね。
証拠よりも論が先行するのが、一種の特徴だったりもします。

私などは整体師で、体癖を施術で使っていますから、晴哉先生の論と証拠が完全一致しているのが分かるのですが、そうでない人は「本当?」の世界でしょう。
もし自分が整体師でなく、心や体のことを生業としていなければ、体癖に対して「本当?」と思っていたのではないかと思います。

それに関してはすごくすごく言いたいことがあるので、いつか無料noteで書くとして(笑)、一種の話。

私には一種の姉がいまして、姉も体癖もばっちり学んで研究しているのですよ。
そんな一種の姉が言っていて面白かったのが、「一種はアニメや漫画のキャラクターを記号として見る」という言葉。

この場合の”記号”というのは、”キャラの役割”と同じ意味合いになるのではないかと解釈できるのですね。
つまりは、”血の通っている人間”として見るというよりは、”ある役割を与えられた登場人物”として見るのだそうです。

決して他をディスる意図ではなく、非常に興味深いなと思っていることなのですが、一種らしき人が書く体癖”論”には、そういうものが多い印象です。

最初に○種というキャラがいて、○種”だから”こういう動きをして、○種”だから”こう来たときにこう返して…
ということですね。

八種の私からすると「現実の人間はもっと複雑じゃないか?そんなに一貫性あるか?」と思うのですが、それが一種の世界観、一種の捉え方なのでしょう。

これは私には非常に新鮮な発見でした。
八種九種の私は「こういう出来事があって、それに対してこういう体や心の動きをするから○種だと考えられる」、という捉え方だったので。
順番が逆なのですね。

そんな感じに、一種から十種までの各体癖独自の体癖論があったら、面白いでしょうね。
客観的な体癖診断をすれば話は別なのですが…
純粋にお体からのみ体癖を診断している私であっても、普段の生活の中で「この人、何種だろう?」と気になる人がいて、「ちょっとそこに寝て」なんて言って診断するのは不可能なわけで(笑)。
そこはやはり「”きっと”○種だろうな」という予測に留めています。

ツイートにある”決めつけられたくない人”とは、私のことです(笑)。
八種は少なからずあるのではないかと思うのですが、どうでしょう?

そう、体癖を”タイプ論”や”タイプ分け”と捉えてしまうと、決めつけに陥ってしまいがちです。
これは何も体癖に限ったことでなく、心理学によくある○○タイプもそうなりがちなことを、心理学講師としてイヤというほど見てきました。

他の心理学に関してはちょっと置いておいて、こと体癖に限っていえば、体癖の○種とはタイプなのではなく、”人の構成要素”という捉え方の方が正しいのではないか?と思うのです。

誰もが心臓があって、肝臓があって、腸がありますね。
そして誰もが首を上下する運動をしますし、体をひねる運動もしますし、屈曲も前後も開閉もするわけです。
つまり、体癖のどの種も、誰もが少しは持っている、ということが言えるわけです。

そのうちのどの臓器にエネルギーが溜まりやすいor溜まりずらい傾向があるのか?が体癖であって、どの動きをよくするか?も体癖ということです。
臓器と体のとっさの動きが連動していて、それらと感受性とが連動していると晴哉先生が発見されたのが体癖ということなのです。

ですので、タイプ分けというよりは、構成要素。
どういった構成要素の特徴が出やすく、どういった構成要素の特徴を真似ると違和感があるのか?

それを追求し、つまりは構成要素によって現実化する心身の”個性”を追求するのが、体癖ということだと確信して、日々発信しております。

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最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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