七種・複合体癖の矛盾と葛藤、そして強み
七種は、強い。
決断する前に動き、「我先に」とトライブ(部族)を率いて道を切り拓き、買っているうちはとことん強く、能力で勝負し、隙あらば下剋上を辞さない。
あるいは…
長い物には巻かれて自分のポジションを確保し、実力のともなった者には従順に従い、”下”に強制することを厭わず、頭より体を使い、威圧して押し切る。
とにかく強い七種。
70年代から80年代にかけて、自分の呼び方が「あたい」で、スケバンをやって下々を従えて学校の先生や真面目な生徒から怖れられていたのも七種が多かったのでしょうが、そういうのを含めて、七種は強い。
その強さには両面あり、相手に勝っているときや、相手が自分よりも実力・能力が劣っているときはひたすらに強いのですが、相手が自分よりも強いときにはヘナヘナになってしまうのです。
野口晴哉先生曰く「捻るのは弱い処がある場合にそれを強くする方法。補強方法」。
そのせいか、人間関係においても相手の強さによって心の中の力関係・上下関係が変わり、弱い人には強く出て、強い人にはとことん弱い、という面が出てきます。
グループや組織の”下”の人には「おい、お前」なんて言うけれど、”上”の人には非常にうやうやしくするのです。
それでも単に立場が上とか下とか、ということよりも、相手の持っている実力や能力といった”力”にフォーカスして、相手へのコミュニケーションの取り方を変えます。
言い換えれば、力を持った人には素直に従うことができる感性を持っている、ということですよね。
それが七種の処世術であり、生き残るための戦略なのです。
ですから、そこに良し悪しはありません。
力で相手を判断する七種。
たくましく頼もしく、圧倒的な行動力で生きていく体癖です。
そして…
そんな七種に他の体癖が複合すると、さらに強くなります。
強さに可愛げがプラスされたり、向こう見ずでなく思考に基づいた行動ができたりもします。
が、複合することで強さが半減してしまう七種も。
牙を抜かれた獣のように強き者に過剰に従いすぎて闘争心をくすぶらせたり、面倒くささが足を引っ張って思うように動けなくなったり。
そこには奥深い複合体癖の秘密があるのです。
体癖とは、部品。
車にアクセルとブレーキとハンドルがあるように、体癖にも目的地さえ明確であればアクセルに適した種やブレーキ、ハンドルに適した種があります。
それぞれの目的地に行き着くまで、進むスピードや方向性が異なっているのですね。
七種はアクセルとして機能することの多い体癖で、ブレーキがかかりにくく、常に闘争に勝利するという方向にハンドルを切りますが、他の体癖が複合していることによって、純正の七種よりも適した速さを保ち、時には闘争以外の方向を選ぶこともできるのです。
もちろんその逆もあり得ます。
アクセルとブレーキを同時に踏み込んで、くすぶったエンジンの熱で自壊作用を起こしてイライラしてモノや人との関係性を壊すことが多くなったり、どの方向にハンドルを切ればいいのか分からず、生き方に彷徨ってしまったりすることも。
それも個性を持った個人の味わいであり、それ自体が美しい。
体癖によって作られる行動や思考の様式は、どれも否定されるべきものではありませんね。
なぜなら、それこそが世界でたった一つしかない自分の体と心と魂で、精一杯生きている証なのですから。
そんなわけで今回の『タイヘキストマガジン』は、”七種の複合体癖”について。
複合体癖の矛盾と葛藤、そして強みシリーズ、第7弾になります。
八種の私ソシャフィアにとっては、七種について書くのが割と難しい。
八種フィルターで見ると、七種は相剋の関係にあるからです。
人生を振り返ってみても、七種とトラブルになることが多かった。
ある街づくり団体に入ったばかりの頃、その団体で”女傑”として知られていた出会って初めての七種と思われる女性に「お前、長く付き合っている恋人がいるんだってな!そいつが可哀想だろ!早く結婚してやれよ!」と恫喝(?)されて…
「は?なんで見ず知らずのアンタにそんなこと言われなきゃいけねぇの?」と言い返してしまい、団体のメンバー達に「お前は新米なんだから我慢しろ!」と言われ世の中の不条理を嘆いたこともありました笑
大学のときに同じバンドサークルにいたU君とはいつもいがみ合っていて「お前の音楽の趣味は悪い」とか言われてそれ以来U君が何を言ってもフル無視を決め込んで他のサークルメンバーに気を遣わせ、卒業して10年も経った後に同窓会の話が持ち上がり「U君がお前に会いたいって言ってるよ」と言われたのに「いや、私は会いたくない」と突っぱねてメンバーを呆れさせたこともありました笑
そういったことが一度や二度ではなく、私の人生の節々で七種と思しき人たちとの戦いがあったのです。
体癖を学び始めた頃は「あぁ、自分は七種と相性が悪いのだな。あいつらは攻撃的だし、嫌いだな」と納得して、そう思わせる人とは距離をとっていたものです。
が、今になって振り返ってみると、七種だけが悪いのではなく、私の方もたいがいだった。
お互い、体癖を丸出しにしてバトっていただけだったのです。
そして、時には七種ともうまくいくこともあった。
現に、ある心理学を教えるトリオのチームを組んだときは、私以外二人とも七種でしたが、仕事はうまくいきました。
七種の二人のスピードが異常に早く、私が付いて行く形ではありましたが、それぞれの持ち味を活かして、生徒さん達から「最高の3人でした!」という嬉しい声をいただいたこともあります。
心理学講師として週6で新幹線に乗っていたときに付いてくれたマネージャーも七種で、私を信頼してくれて様々な仕事を振ってくれました。
それだけでなく、プライベートでキャンプをしたり、競馬に行ったりもしました。
この間2年ぶりくらいにお酒を飲んだのですが、相変わらずのナイスガイでした。
ソシャフィア体癖院にお越しくださる七種の方々も、私を信じてくれて「これをやってください」と言ったことを素直に実行してくださいますし、週一で営業している群馬の整体院でも一番おいでくださる方は、七種です。
同じ七種なのに、すごく良い人もいれば、全く合わない人もいる…
それは今回のテーマである複合体癖に含まれている種による違いということもあるでしょう。
しかしそれ以上に、”愛”に満ちているかどうか、そして低潮していないかどうかで、全然違うのです。
体癖とは部品で、部品に良し悪しはないのです。
どの種も最高で、最低です。
完璧でありながらも、見方によっては欠陥ばかり。
その部品のパフォーマンスを上げるのは、愛と高潮(あるいは”凪”)に他ならないのです。
心理学では”ストローク”と呼ばれ、「自他を素晴らしい存在として認識する言動・態度」と定義づけされている愛があってこそ、あるいは体が生き生きとしていてこそ、体癖は良い面を出します。
それは七種に限らず、どの体癖も同じです。
ですが、複合している体癖によって、同じ七種でも大きく異なっているのは事実。
複合体癖によって、矛盾を抱え、葛藤し、それとは逆に、さらなる強みを持つことになるのです。
七種一種
行動の七種と、思考の一種。
自分が考えたことを抜群の行動力でやってのける強みもあり、成功者も多い体癖のように思えます。
また、前述したように七種は”上”にはうやうやしく、一種もまた儒教的に上の立場の人は尊重する体癖です。
その二つが合わさると、上からは非常によく可愛がられるという特性が見えます。
七種の自分の行動によって得られた経験と、一種の先生っぽい説明のうまさが相まって、何かを教える人としても向いている部分があるでしょう。
技術の先生などは「とりあえずやってみろ!」という感じで、理論的でありながら実践的な授業を展開していきます。
が…
七種一種はそういった良さ以上に、特に人間関係においては「怖い」と思われる部分も多いように見えます。
七種も一種も、言うなれば”押しの強い”体癖。
七種は自分のやり方が一番だと思っていますし、一種は自分が正しいと無意識で思っている。
その二つが重なっているわけですから、ゴリ押しが激しいのです。
さらに相手が”下”の実力、あるいは立場だった場合、自分に従わない人を執拗に責める面も出てきます。
七種は「自分がどう見られているか?」に無頓着な人が多いですし、一種は自分が間違っているなんて思っておらず「自分は尊敬されるべきだ」と思っている人も多いですから、他の人から見ると怖いのですね。
そして、行動と思考の間で葛藤しやすいのも七種一種。
動きたい七種と、動くより考えている方が力を発揮できる一種とが混ぜこぜになると、「動きたいのに動けない」という矛盾を持つことになるのです。
七種が混じっているなら後先考えずに動いた方が良いのですが、一種が入っていると必要のないことまで考えすぎてしまうのですね。
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