体癖話まとめ(15)
Twitterで私ソシャフィアが体癖について好き勝手つぶやいている【体癖話】をまとめたこのコーナー、今回で15回目!
今回もコメント付きでお送りいたします。
体癖の話は尽きない!
どの角度でもどの視点でも、人間がいる限り体癖の話が頭に出てきます。
週一でアップしている『週刊・現代を体癖で生き切るためのタイヘキストマガジン』も書きたいテーマがどんどん増えてしまって、全く追いつかない。
体癖をより深く知り、より自分らしく生きるのには、心理学もオススメです。
中でもアドラー心理学のように人生訓の色が濃いものではなく、あくまでリアルな人間関係に直結した心の動きやコミュニケーションの様式をただ伝えているだけのニュートラルなものがよいのではないか?と思います。
私なら、TAを推します。
TAは”トランザクショナル・アナリシス”の略で、日本語では”交流分析”と訳されています。
おそらく世界一有名な心理学でしょう。
というか、今の心理学の多くの流派の元ネタになっている心理学ですね。
体癖の各種の心理的な動きも、3分の2くらいはTAで説明できると思います。
人格を形成している自我状態を分析するエゴグラム、望ましくないコミュニケーションを分析する心理ゲーム、自分の行動を制限している禁止令などで。
日常生活でとても役に立つアイデアが盛りだくさんです。
TAは「生まれてから今までの間で親や親代わり、兄弟姉妹、祖父母や周りの環境から受けてきた影響が、現在の自分の人格を作っている」という考え方で、体癖の「体構造による人格」という考え方とは相反する部分があります。
が、重要なのは現在。
過去からの影響から来ているにしろ、体構造から来ているにしろ、現在の自分は現在の自分なのです。
あるいは、過去の良くなかった影響から自分らしく生きられないのなら、そこにさかのぼって書き換えていったらよいのです。
それのためには、TAでは難しいのですが、他の心理療法を活用することで書き換わる人もいます。
そうやって過去で付いてしまった傷を癒したら、真に体癖通りの素晴らしい自分が現れるのかもしれませんね。
とにかく、現在。
そして未来をどのように生きていくか?
未来をより良く生きていくためには、コーチングやNLPも良いですね~
それらに関しては、またどこかで書こうかなと思っております。
ともあれ『週刊・現代を生き切るためのタイヘキストマガジン』では、体癖と心理学の組み合わせなんかについても発信していく予定です。
もちろん、心理学にかすったことがない人も、プロとしてセッションしているカウンセラーやメンタルコーチも、読む価値は十分になると、手前味噌ながら思っております。
よかったら♪
↓
というわけで、コメント付き【体癖話】を(^^♪
今回は5つのツイートについて。
四種はさざ波のようにネガティブな感情が浮かんでは消え、特に低潮しているときは感情に支配されがちです。
淋しさを解消するために大切な人に寄り掛かり過ぎたり、知っている人には弱いのにお店の人など全くの他人には強く出ることも少なくありません。
八種は怒りや劣等感が心の中で凝固していて、キレてもよいポイントを探しているようなところもあります。
七種は腹が立つことがあるとすぐにキレるのに対し、八種はずっと心にくすぶっていて、ふとした瞬間に爆発してしまうのですね。
「九種には時間がない」と晴哉先生もおっしゃっています。
昔にされた嫌なことをずっと覚えていて、何かしらのキッカケがあると、今この瞬間に起こっていることよりも、その嫌なことに意識が向いてしまうのです。
で、それらの感情が頻繁に起こるようなら、低潮していると見て間違いないですね。
自分らしく、体癖通りに生きていないのかもしれません。
私の性格の悪さがにじみ出ているツイートですね(笑)。
実に八種らしい(笑)。
当初「お礼を言う人は何種だろう?言わない人は何種?ブロックする人は?」とデータをとっておりました。
その中で、お礼を言う/言わないは、体癖に関係がありませんでしたが、ブロックするのは圧倒的にある体癖が多いのです。
それは…
四種。
前述していますが、四種は自分と遠い人に対しては、お客様根性になる人が多い。
人のことをよく考えているように見えて、本当は人のことなどどうでもいいと思っているなと見受けられる人が多いのです。
晴哉先生曰く、「四種は”自己保存的”」。
心理学をやっている人なら、”自分にフォーカス”と言うでしょう。
要は、”自分のために”人に嫌われないようにしようとするのです。
その人が自分と関係がある/ありそうな人なら。
もちろん、良い悪いの話ではありません。
体構造から出ているわけですから、それが悪いなら体という物体が悪い、ということになってしまいます。
心理学的には、”自分にフォーカス”では人間関係でも仕事でも恋愛でも、うまくいかないのです。
ツイートにある「そりゃそのはず」なのです。
もちろん、他者にフォーカスしている四種もいます。
私のようなこれから人生で会うかどうかも分からない人にきちんとお礼をして、割と長めのご感想をお送りしてくださる四種の方もいらっしゃいます。
そういう四種は、人生でつらいことがあったときに、様々な大切なことを学んだのでしょう。
”相手や他者にフォーカスする”ということを。
「自己保存的」と晴哉先生にディスられる四種でも、ちゃんとお礼を言うことができるのです。
ブロックする人が一番多く、晴哉先生が見るに自己保存がやたらと目立つ四種だけの話ではなく、他の体癖も同様に”自分にフォーカス”が少なくありません。
自分以外にフォーカスできない人は、あまりにも多い。
ちなみに私は、体癖診断のお礼を求めているわけではありません。
ただ、社会で成功している人、家庭がうまくいっている人、会社でそれなりの地位に就いている人、恋愛に問題が少ない人、友人関係が円滑な人の多くは、「ありがとう」をよく言うのです。
逆を言えば、人にしてもらったことに対して「ありがとう」を言わない人で、うまくいっている人なんて見たことがない。
うまくいっているように見せている人には、たくさんお会いしますが。
私は社会人のための心理学を教えており、多くの生徒さんのお悩みは「人とコミュニケーションがうまくとれない」。
そういう生徒さんは、まず挨拶がちゃんとできません。
当然お礼もできません。
心理学以前のお話なのです。
幼稚園や保育園のお話なのです。
大人の体になってしまった人にする話ではないのです。
そこで私は心理学的に、挨拶やお礼の重要性を講座の中でお伝えしています。
「挨拶やお礼は、ストローク(愛のある行動)である」と。
挨拶もお礼も、ただの押し付けられた慣習・お約束ではありません。
「あなたのことを気にしていますよ」という、在り方なのです。
それは今日昨日できたものではなく、日本人が数千年かけて醸造してきた、皆が気持ちよく過ごすようにするための知恵の結晶なのです。
TA的に言えば、大人になるということは、ストロークをもって”相手や他者にフォーカス”できるようになることに他ならない。
自分以外の人にフォーカスできるようになることこそ、真に大人になるということ。
大人になることは、お金を稼ぐことや子どもを作ることではないのです。
今日日、中学生でもお金くらい稼いでるし、子どもを作ってますよね。
大人になるということに、体癖は関係ありません。
どの体癖でも、大人になれる。
むしろ「そういう体癖だから」ということを”逃げ”に使わないでほしい。
「人間関係が苦手」なのは、そういう体癖だからなのではなく、大人でないからです。
これをやると、割と気持ち悪がられます(笑)。
ぜひやってみてください(笑)。
とはいえ、体癖を知ったばかりの人には少し難しいかもしれませんね。
ある程度、”自分の体癖から離れた人の見方”ができるようになることが必要だからです。
多くの人は、自分の体癖から他の人を見ます。
体癖によって、人の見方が異なるのですね。
例えば一種なら、五種を「すごい!」と思うかもしれません。
最もらしいことを言いますからね。
きちっと論理がある風なことを。
が、それが本屋さんで平積みしてある本をパラ読みして、めぼしいところをスマホでカシャリとやって得た知識だということを、多くの一種は知らないのです。(※実話です。よいこのみんなはマネをしないでネ(笑))
一種はそこまで穿った目では人を見ない。
ある程度興味が満たされると、それに満足してしまうのです。
ところが八種や九種は、五種を「うさんくさい奴」と見ます。
八種は、劣等感が心のうらに凝固していますので、うまくいっている五種を認めるのが嫌で、粗探しをするのです。
九種は、それこそ動物的な勘で相手を見抜きます。
さらに、自分の専門分野のことを五種がペラッペラの知識で何か言っていたら、「それは違う!」猛烈な勢いで批判するような情熱もあります。
ちなみに三種なら五種を「かっこいい~」と見るでしょうし、低潮四種なら口説かれて抱かれます(笑)。
人は誰でも神の視座を持つことはできません。
晴哉先生ですら「自分の見方は九種的だ」と言っているのです。
「自分の見方は正しいのだろうか?」
「自分の見方は体癖がそうさせているのではないか?」
「何種的な見方で、私は今相手を見ているだろう?」
そんなふうに自分を疑いながら人を見るようにすると、そうしないよりはよほど客観性を保つことができるでしょう。
晴哉先生は、体癖をお弟子さんに教えるときに、最初は複合体癖まで一つ一つ教えて、十五種まで説明したときに「このままじゃ百人いたら百種までやらなければならないぞ…」と思って説明を止めたんだそうです(笑)。
そう、七種とか十種とかの区分は「個性を構成する要素」であって、厳密に言えば人は皆すべての体癖の要素を持っています。
その中でどれがより色濃いか?どれがより発揮されているか?というのを、七種とか十種とか呼んでいるわけです。
九種が色濃すぎて、他の要素が見えない人もいる。
そういう人は単に「九種」と呼べばよいわけですが、九種の要素も色濃いし四種はもっと色濃い、というのであれば、「四種九種」という呼び方をするわけです。
さらに言えば、体の形は上下型だけれど、感受性は三種の人を「上下型三種」という言い方をします。
この言い方の場合だと、高潮しているときは三種の心の状態が出るけど、低潮すると二種の傾向を表す体癖のことを表します。
さすがにややこしいので、私はあまり言わないようにしています。
単に「三種低潮二種」の呼び方で十分だと思うので。
※なぜ一種ではなく二種なのかというと、奇数体癖同士・偶数体癖同士は複合しない、という考え方(決まり?)があるからです。また、高潮時には奇数が、低潮時には偶数が出てくる、という考え方もあります。が、私が見るところ、奇数体癖同士で複合することも、偶数体癖同士で複合している例も見られます。さらに晴哉先生の本を読んでも、奇数と奇数の組み合わせについて述べられています。
そして、晴哉先生は「三つの種が複合することも少なくない」とおっしゃっており、三つの体癖が複合するのであれば、奇数同士・偶数同士が必ず複合するはずで、この面から見ていくと、奇数同士・偶数同士は複合しない、という考え方に大いなる矛盾が起こるのです。※終
で、こういうのって、タイプ論と呼んでもいいものでしょうか?
タイプとタイプが複合して、また違うタイプになるのなら、それこそ地球の人口と同じ数だけのタイプが存在することになってしまうのですよ(笑)。
晴哉先生のおっしゃる通り、78億種まで存在することになる(笑)。
それは、タイプ論とは言わない。
さらに、高潮と低潮の体の波によってタイプが変わるなら、そのタイプは一定不変ではない、ということになってしまう。
それって、タイプって言うのですかね?
けれど体癖を発信している人の中には「生まれてから死ぬまで体癖は変わらない」「生まれたときには必ず三つの体癖を持って生まれる」と言い切っている人もいるのです。
その方が何千名の誕生と死に立ち会って、その間どのくらいの時間をその何千名と一緒に居続けたのか分かりませんが、それ、論理や憶測で言っていないですかね?
ちゃんとソースがあるのでしょうか?
確証が得られる実験をして、客観的な数値としてデータ化されてるんですかね?
統計学では最低2000名のデータが必要なのですが?(晴哉先生の体癖は10万人以上のデータがあります)
そして何より、晴哉先生は「体癖はタイプ論です」とは言っていないのです。
「十二種類の類型に分けた」とは言っていますが、「類型論です」とは著書の中では言っていません。
”論”とは意見や見解を指す言葉。
見解ではなく、晴哉先生が10万人以上を調べた事実の積み重ねが、体癖なのです。
だから私は体癖のことを、「体癖”論”」という言い方はしないのです。
晴哉先生の直系のお弟子さんが言っていたとしても、私は言わない。
整体協会は言っているけれど、言わない。
なんなら、私は完全オリジナル主義(創始者が言っていること以外は信じない主義)ですが、晴哉先生が言っていたとしても、私は体癖のことを「体癖論」とは言うつもりはありません。
まず、論という言葉を付けるには、論理的でない。
矛盾が多すぎる。
そして、完成されていない。(私は晴哉先生の著書で十分かと思うのですが)
"体系化されている"と言っても、お弟子さんによって言ってることが異なります。
これは体系とは言わない。
体系であるなら、誰が説明しても、言葉は異なっても同じ内容になるはずです。
”体癖論”という場合には、「○種から見た各体癖に対しての見解」という意味で用いるのが一般的でしょう。
「一種から見た体癖論」とか「六種から見た体癖論」とか。
晴哉先生の本を注意深く読んでも、そういったニュアンスで体癖に”論”をくっつけています。
晴哉先生の発信された”体癖論”は、九種から見た各体癖への見解。
私ソシャフィアが発信している”体癖論”は、八種から見た各体癖への見解。
そして晴哉先生は「九種以外の全部の種の体癖論があったら面白いだろうな」ということをおっしゃっていたのです。(昭子夫人の著書から)
だいたい、TA(交流分析)のことを交流分析”論”とか、言わないのですよ。
もしそんなふうに言うのであれば、やっぱり「交流分析という学問に対しての見解」という意味になる。
相対性理論とかも”理”が入っている。
理論と論では全然違う。
例えば、”感情理論”と”感情論”なら、前者はそんな言葉はないですが、あえて定義づけするとしたら、感情がどのようにして起こっているのかを筋道を立てて説明している学問のようなものを指しますが、後者は三種や四種がよくやるような感情からくる見解・考え方のことです。
唯一聞いたことがあるのは、"量子論"くらいでしょうか。
他には私が不勉強なせいか、聞いたことがありません。
これをお読みになっているあなたには、すごくどーでもいー話なのでしょうが(笑)、私にとってはすごく重要なことなのです。
言葉は体(てい)を表します。
体癖がきちんと伝わるためには、言葉の定義づけを行う必要があると、私は思います。
二種ネタはどうしても「いいね」が少ないのですが、このツイートは結構いきましたね~
私は二種が割と好きなんですよ。
ビビらせると本当にビビってくれますからね(笑)。
なんてのは冗談で…
「二種はマニュアル人間」なんて言い方をするとネガティブに捉える人も少なくありませんが、マニュアル通りにできるって、なかなか素晴らしい資質だと思うのです。
常に一定の質に保つことができるわけですからね。
私はチェーンのファミレスが好きで、良いお店には二種が多い。
七種や八種の店員さんだとぶつくされながら仕事をしてるし、五種の店員さんは「つまんね」という感じで仕事をしてるし、九種の店員さんはぶっきらぼうです。
その点二種は、黙々と自分に与えられた仕事に取り組んでいるところが見えて、好感を持てます。
そりゃサービス業なら四種や十種がいいですが、それは商品以外のサービスをしてくれる個人店に限定する話であって、チェーン店でサービス以上のサービスをねだるのは、酷なこと。
それに、ファミレスで愛想をよくされても、そんなに嬉しくないわけです。
ぼーっと考え事をしたり、友人と話をしたりするのにファミレスにいくのであって、カウンターで食べるお店のように店員さんとおしゃべりをするためにファミレスにいくわけではないのですよね。
日本のファミレスのレベルは高い。
欧米なら高級店のサービスでしょう。
割とうまいし。
その品質を提供できるのは、二種っ気が濃い人だけでしょう。
最新体癖note『元気がないときに読む体癖~高潮と低潮・体の波~』、元気がある人にも好評!
・○○に対してのディスが笑えました(笑)。あるある!
・カウンセラーをやっていますが、読んでみて「ひょっとしたら自分が独善的だったのかもしれない」と反省しました。二種なので(カウンセリングの)マニュアル通りだったのかも?
・「二種はよく分からねぇ」で腹筋崩壊しました(爆)。
・精神科でカウンセリングを受けたときに、やたらと家族のことを聞かれました。おじいちゃんのお兄ちゃんのことまで。そんな遠い親戚のこと知ってるわけないじゃないですか笑そのお医者さんに読んでほしいなと思いました。
・あるときカウンセリングに行ったらコーチングだったのを思い出しました。ポジティブのゴリ押し、きつい!
最新作が出ても色あせない体癖noteシリーズ
最後までお読みいただき、ありがとうございました!