体癖 de 婚活
「私の体癖と相性の良い体癖は、何種ですか?」
婚活をされている方から、時々そんなご質問をいただきます。
そう、体癖の相性が合うと、あまり我慢をせず、ある程度自分が思うような結婚生活が送れるのではないかと思うのです。
あるいは相性が良いとは言えない体癖なら、自分の振る舞いに気をつけたり、相手の振る舞いを「あぁ、体癖が丸出しになっているんだな」と生暖かい目で見たりすることもできますね。
「婚活のために体癖を!」という方は、非常に先見の明があるように感じます。
というのも、整体のお客様から「離婚した」という報告を聞くたびに「体癖が合っていなかったもんな」と思うことが多いからなのですね。
今まで仲良く(仲よさそうに)整体を受けに来られていたのに、何ヶ月か後には「別れました」。
お体から旦那さんの体癖も奥さんの体癖も、どちらも診断しているので分かるのです。
こないだは、ある三種の元奥様が「元旦那、めっちゃマザコンだったんですよ」と私に教えてくれました。
「あぁ、二種だったもんな」と口には出しませんが、心の中で思ったのです。
「体癖が剥き出しになっちまったのか」と。
三種の元奥様としても、義実家にあれこれ言われずに、元旦那さんから「母さんもそう言っているし…」とか言われずに、自由にのびのびと生活したかったでしょう。
結婚は、体癖を剥き出しにさせます。
”人としての合う/合わない”がモロに出てくる。
あくまでも私個人の意見ですが…
相性が良い、というのは、”許しの限界値を超えない”こと。
許しの限界値を超えなければ、「ま、いっか」で済ませられる。
実際にはその「ま、いっか」では済まない体癖もあったり、低潮していてちょっとのことが気になっていたり、あまりに頻繁にやらかしてくれてストレスが蓄積したりすると、十分に破局の原因になったりもしますけどね。
結婚をするということは、今まで赤の他人だった人と身内になる、ということ。
そりゃ価値観が異なっていて当然ですし、好みも異なっていて当然。
夏がダメだったり、セロリが好きだったりするのね。
ですので、最初から価値観が似ていると思われる人を見つけられた方が、そりゃ我慢したり嫌な気持ちでいたりせずに過ごせる確率が上がるわけです。
そういった点において、体癖を婚活に活用することは非常に有効かと思われます。
価値観とは、体癖で言うところの”感受性”ですね。
物事を決める判断基準と言っても良いでしょう。
要は、基本的には「価値観が似ている体癖=自分に似た体癖が良い」というわけですが、それとは別に、体癖が違っているけど相性が良いと思われる体癖同士もありますね。
十種と六種のように面倒を見る側と見られる側が明確に分かれていたり、一種と二種のように従わせる側と従う側が分かれていたりするカップルは、比較的相性の良いカップルと言えるのではないかと思われます。
が、今回の『タイヘキストマガジン』は、そういった”相性”だけにフォーカスしてお送りするわけではない、ということを最初に言っておきたい。
あくまでも”婚活を成功させるためにはどうすればいいか?”について、書きたいのです。
あえて言いましょう。
婚活をする時は、まずは自分。
自分が、なぜ結婚したいのか?
自分が、絶対に外せない条件は何か?
自分が、どんな人と結婚したいのか?
相性だけでなく、そういったことも体癖を通して行われます。
自分がしっかりしていれば、相手を見誤ることはない、はず。
逆に、自分がブレているとうまくいくはずのこともうまくいかなくなってしまうことも大いにありますよね。
素敵な人を取り逃してしまったり、自分にとって素敵でない人が素敵に見えてしまったり。
すげぇスピリチュアルなことを言うようですが、自分が整ってきた時に、素敵な人というのは現れるものです。
うまくいく出会いは運命。
うまくいかない出会いは学び。
怖れることなど何もないのです。
「あの時決断しておいてよかった!」
そんな最高の結婚のために、八種九種の私ソシャフィアが全力で書いていきます。
なぜ、結婚したいのか?
婚活をするには、「なぜ自分は結婚したいだろうか?」という質問から。
ゼクシィという雑誌のキャッチコピーをご存知でしょうか?
「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです」。
ネットで調べたら広告のグランプリに選ばれたコピーらしいですね。
そう、まさに結婚しなくても幸せになれるこの時代。
むしろ、心理カウンセラー的には「結婚って地獄の一丁目なんじゃね?」とか思ったりすることもあるのですが、それでも結婚したい人は結婚したいわけです。
なぜ?
結婚したい/しなければならない理由は?
そりゃ国単位の話で言えば、結婚をして子供を産んでくれる人が多い方が嬉しいわけです。
その分将来的に税金が多く取り立てられますし、人が増えるということは消費が増えるということでもあり経済も回りやすくなりますし、人が少なくなれば国を運営させるために外国から移民を受け入れる必要も出てきて治安が悪くなったり文化が破壊されたりするリスクだって減る。
昔、政治家と結婚した従姉妹の結婚式に参列させてもらったことがありましてね。
テレビでも見たことのある大物政治家が「おめでとう!」のスピーチをするわけですが、3名ほどスピーチしていまして、その内容が全部「早く子供を産め!」でした。
私としては「とんでもねぇ押し付けだな」と思ったものですが、国を運営する政治家としては子供を産んでくれた方がありがたいでしょう。
私のようなパンピーにとっても、子供が増えるということは自分の年金を支払ってくれる人が増えるということだから、もちろん大歓迎なわけです。
が、そんなことで「結婚したい!」なんて思う人はごく少数ですよね。
「国を少しでも豊かにするために、結婚して子供を産みたい!」なんて思う人なんて、ほとんどいないと思う。
それに、結婚したって子供が産まれるか分からないのです。
結婚しろ!とか子供を産め!とか、他人から言われる筋合いはない。
結婚しても子供を産んでも、それを言った本人が助けてくれるわけではないのです。
昔ならば「結婚をするのが当たり前」という風潮があり、結婚をすることが生きていくのに最も効率が良かったのです。
今でも田舎の方では「結婚することで地域のコミュニティの一人前の人に見られる」というなんとなくの雰囲気があるところもあります。
が、ゼクシィの言う通り現代は「結婚しなくても幸せになれる」。
結婚をするために婚活をするのは、現代では”個人の生き方”についての行動になってくる。
個人が自分なりの幸せを見つけるために、生きてもいい時代。
幸せになる、ということは、価値観=感受性を満たす、ということとほぼ全く同じ意味ですね。
感受性といえば、体癖。
「結婚したい/しなければならない」ということの裏には、体癖が潜んでいるわけです。
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