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体癖話まとめ(49)

体癖に関して、私ソシャフィアがTwitterでたまに「これは有益だな~いいねは少ないだろう」と予測しながらつぶやいている【体癖話】をまとめたシリーズ、第49弾!

今回もツイートにコメントをつけてお送りいたします。

年末ですね~
私としては毎年あまり関係なく仕事をしているのですが、そこはかとない淋しさを感じる時期ですよね。

年末といえば…
ソシャフィア体癖院のマンションの外装工事がそろそろ終わりそうです。
音との戦いが、ついに終わる…

体癖コーチングをしているときは、本当に参りました。
ガシャーンとかドゴーンという音で、お客様の声が聞こえないんですもん。

今後はそういったご迷惑をかけずに施術やセッションに専念できる!
と思いきや、お隣のおうちの工事が始まってしまいました。。。

うーん。
今も金づちらしき音と戦いながら、このnoteを書いております。

八種なので、負けません!←謎

とりあえず、ソシャフィア体癖院の”うるさくてごめんなさい価格”は、年内をもって終了とさせていただきます。
年内にご予約されれば、一月でも二月でも40%引きで提供させていただきます(^^♪
ぜひぜひ!

というわけで、コメントつき【体癖話】をお楽しみください!

最近特に思うのですが、五種が一番安心してディスれます(笑)。

一種は晴哉先生が言うには「皮肉っぽいような小馬鹿にしたような笑いが通じる」とおっしゃっているのですが、たまに「自尊心を汚された」と本気になる人もいるんですよね~

二種はディスにどう反応していいのか分からないし。
三種はディスられているのに気付いていなかったりもしますし。
四種も「傷ついた!」と本気になる人いるし。
六種は反応がよく分からないし。
七種は怖くてディスれないし。
八種は人のことはディスるくせに自分がディスられると本気になるし。
九種は何考えてるのかよくわからないし。
十種はディスったら悪いような気がするし…

そんなわけで、五種がやり玉に上がる部分があるわけですね。
五種は高潮していれば冷静ですから、笑わせようとして言っているのを分かってくれるのです。
「自分の弱点が分かってコスパがいい」とも言ってくれるし。
晴哉先生の『体癖』でも、親の亡くなった子どもの面倒を見ていたら、余命宣告を受けたのに17年くらい生き延びた十種の話が出てきます。

このエピソードを読んだとき、私は今は亡き母方の祖母のことを思い出しました。
祖母は面倒見がよく、親戚一同をよくまとめていました。
孫も皆成人し、自分の道を見つけると、祖母は飼っていた鶏の面倒をよく見るようになりました。

が、あるときに同居している伯父が「母さん、もう歳なんだから、鶏の面倒はオレが見るよ」と、祖母に替わってお世話をするようになったのです。
鶏だけでなく、庭の掃除やら花の水やりやらも、伯父と伯母がやるようになりました。

すると…
祖母、それから二カ月くらいで病気になり、そのまま入院し、4か月後には亡くなってしまったのです。

おそらく生き甲斐をなくしたのでしょう。

伯父は親切心や親孝行のつもりだったのでしょうし、やってもらうのも罪悪感があったりもしたのでしょうし、年齢が年齢だったので(84歳)動いて転んだりしてケガでもしたら大変と思ったりもしたのでしょうが…

人は動きを止めたら、誰だって低潮します。
自分の思うように動くことこそが、生命の躍動なのではないかと思うのです。
逆に体癖を知ってなお「自分は五種です」と堂々と言える人って、かっこいいなと思うのです。
体癖を知らなければ、「自分は利益のためならどんな嘘でもつくことができます」とか「本当は自分、薄っぺらいんです」とか。
それを言えるなら、もう薄っぺらくないですね。

要は、自覚があるかないか、が大切だなと思っています。

自覚がなければどんな体癖も、ちょっと「あれ?」というところがありますね。
自覚していても低潮すれば思わしくない部分は出てきますが、自分に気づいていない人はなおさらですよね。

こないだも無自覚な一種七種のお話をタイヘキスト仲間から聞きました。
自分が上から言っていることに気づかなかったり、何でも「自分のやり方が正しい」と押し付けたり、それによって周りの命の時間を使っていることに無頓着だったり…

そういった方にこそ、体癖を知ってほしいのですが…
「自分はそうじゃない」という自己認識を持つんだろうな…
良い七種と、八種的に苦手な七種の違いは、”ストロークがあるかどうか”と”自分がそういう人間であると自覚しているかどうか”。
この二つに尽きます。

八種から見ればちょっとアレな七種ですが、他の体癖から見れば「七種がいい」という人はいるわけです。
逆に、体癖によっては「一種が苦手」とか「六種が苦手」ということもあるわけですね。

まぁ言ったら、自覚なき八種なんて目も当てられないですからね。
はい、昔の私のことです(笑)。
人が言うことに何でも「いや、それは違う」で返し、こちらが何もやっていないのに変にライバル心を燃やし、褒めても受け取らず、話を過剰に盛り、勝つためならどんな卑怯な手段も辞さない…

誰もがたいがい。
まずは「自分もたいがいである」というところから、出発していきたいものですよね。
このツイートのキモは、「#友達になりたいとは言ってない」の部分です(笑)。

実際には九種も三種も二種も友人はいますが、どこかしら八種っ気のある人ばかりです。
本来の私の人間の悪さを受け入れてくれる人しか、「お前なんて最悪だ」と友人になってもらえないかもしれない(笑)。

友達って、やっぱりある程度腹を割って話せることが大切なんじゃないかな、と思うのです。
誰にでも腹を割れるわけではないですもんね。

同じような体癖の方が友人にはなりやすいでしょうし、そこは類は友を呼ぶということなのでしょう。
三種と一緒にいる人には三種っぽい人が多いですし、五種の周りは五種ばっかりですもんね。

体癖が合うって、感受性が合うってことでもありますし、価値観が合うってことでもありますね。

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最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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