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体癖話まとめ(72)

体癖について、私ソシャフィアがTwitterでたまに「これが終わったらご飯が食べられるぞ!」とつぶやこうとするけどなかなかツイートが思いつかずいつまでも食べられないでいる【体癖話】をまとめたシリーズ、第72弾!

今回もツイートにコメントをつけてお送りいたします。

体癖ってすごく日常に役に立つのですが、たまに「全然役に立たない体癖について発信したいな」と思うこともあります。

90年代に活躍したあのヴィジュアル系インディースバンドのメンバーは何種っぽいか?とか。
マニアック過ぎて5万人に一人くらいしか分からないようなやつを。

「Zi:KILLのTuskはアゴの感じや繊細なところや妙にカリスマ性が高いところが六種っぽいぞ」とか、「Ladies RoomのGeorgeはXのYOSHIKIとの関わりを見るに、七種三種な感じだな」
とか。

さすがにマニアック過ぎるので、戦国武将ならどうだろう?
「信長は佐久間盛政の昔の失敗を忘れない執念深いところとか九種っぽいな」とか、「直江兼続が徳川家康を直江状でディスり倒したのは八種的な感性かな」とか。
これの方がギリギリ1万人に一人くらいには分かってもらえそうですね。

まぁとにかくそんな感じに、”読んでも全く役に立たない体癖”みたいなのも発信していきたいな、という考えが頭をよぎるときがあるのです。
マニアックにも色々ありますから、他の人からの話を聞くのでもいい。

役に立たないことというのは、生きていく上でとても重要なことのように思えます。
「重要なら何かの役に立ってるじゃん」なんてツッコミをもらえそうですが(笑)、世の中、必要なものばかりでは息が詰まる。

五種とかはムダなことを嫌うのでしょうが、私は八種九種的な感性からくる考えなのかどうか分からないけれど、ムダなことの中にこそ本当の人生があるような気がするのです。

例えば偉人の伝記を読むにも、実は大切なことは書いていなくて、その偉人がどんな異性が好きだったのか?とか、チキンを煮るのと蒸すのと揚げるのとグリルするのとどれが一番好きだったのか?とか、タンスの角に足の小指をぶつけたときはどんな言葉を発するのか?とか、そういうことにその人の在り方、というか人生があるような気がして。

何でも教訓にしようとしたり、意味を見出そうとしたり、そういう風潮がかったるい。
六種のように、かったるいのです。

ですが私も発信者として、受け取ってくださる方にとって、何か学びになるものを、と考えるのですね。
オチをつけたくなる。
AはBだから、CをDにすれば、Eになる、みたいな。
一種のように、オチをつけなければいけないという気になってしまうのですね。

というこの文章も、別段意味などないのです。
普段すごく役に立つし面白いと思って発信している体癖も、他の人から見ればさして意味があることではないのかもしれない。

けれど、街を歩けば人を見て「左肩が上がっているな」とか「上胸背部で背筋が曲がっているな」とか、自然と体の動きをさりげなく熱心に観察している私もいるのです。

自分が何に心惹かれるか?
結局、それしかないような気がします。

というのは、私にほんのりとふりかかっている九種的な感性による考えなのでしょう。
まぁ、純正の九種ならそんなことを考えずに好きなことをやっちゃうんでしょうけどね(笑)。

「心惹かれることがあるのに行動できない」と思われたなら、東京・赤羽のソシャフィア体癖院に行って体癖からヒントを得てみませんか?

「あの人何種だろう?」と気になる方がいるなら、”体癖の見抜き方”をテーマとした以下の体癖オンラインセミナーもオススメです(^^)/

というわけで、実はかなり有益な(?)コメント付き【体癖話】をお楽しみください!

8月9日のツイートですね(笑)。
この記事を書いているのは5月31日なので、「五種三種一種か~人生楽しいだろうな~」とかついつい考えてしまいます。←奇数体癖への八種の嫉妬w

そう、一旦体癖のせいにしておく。
「つらいことから一旦逃げろ~」ということですね。

なんで私はこんなにバカなんだろう?とか、なんで私は周りの人たちのようにキラキラできないんだろう?とか、つらさ・生きづらさというのはどの体癖にもありますよね。

衣食住足りていて、それでも人は多くを求めてしまう…
そういうものなのではないでしょうか?
どの体癖も、”ない”ものにフォーカスしてしまうわけですね。

で、”ない”のは、その体癖だからなわけです。

全部が全部体癖のせいとは限らないし、人には様々な過去があるし、事情があるし、将来の不安だってある。
それでも半分か三分の一くらいは、やはりその人の体癖が”ない”ことへのフォーカスを起こしているのでしょう。

九種が三種のようになれって言われても、三種のように何でもないことで心の底からは笑えませんね。
十種に五種のように利害得失に敏感になれって言っても、五種のように心の底からは冷徹にはなれない。

擬態をすることはできても、体癖そのものは変わらないのです。
今あるカードで戦っていくしかない。

けれど、戦いばかりでは疲れてしまいます。
戦わなければいけない現場でも、戦えないときはあるのです。

それは、低潮ということ。
そして低潮があるということは、必ず高潮もあるのです。
低潮しているときは一旦逃げて、高潮するときを待つ。

中には「自分が高潮していないで、ずっと低潮している」という設定にしてしまっている人もいるものです。
調子が悪かったり、何らかの病気を抱えていたり、慢性的にトラブルを抱えていたり。
それをもって、「自分は特別な存在だ」ということにしてしまっている人もいます。

と言うと「ソシャフィアはまた六種をディスってるよ」なんて思うかもしれませんが、六種だけとは限らないのです。
戦わない方が都合がよい人というのは、割と多い。

そういう都合を二次利得なんて言い方を心理学ではしますが、メリットがあるからこそ、戦わないのです。
では、そのメリットは?
何を守ろうと、あるいは得ようとしているのか?
それをやらないことで、どんな良いことがあるのでしょう?

そこに、各体癖の感受性があったりするのですね。
上下型なら、戦わなければ恥をかかなくて済む(自尊心を守れる)とか、捻れ型なら、戦わなければ負けなくて済む(劣等感に直面しなくて済む)とか。

逃げてもいいんですよ。
逃げた先に手に入るものはある。

けれど、逃げ続けるだけで本当にいいのかな?

九種は悪意なくディスりますからね~
って言うと、八種は悪意があることになっちゃいますね(笑)。
でも、意図があるのとないの、どっちが厄介でしょう?

九種としては、ディスっているつもりなんて毛頭ないわけです。
ディスる意図がない。
本当に思っていることを、フィルターを通さず、オブラートに包まず、そのまま言っているだけ。
それでも、優れた直感で相手の核心というか、図星を見事に突いてしまうわけです。

そうなると、受け手(ディスられる側)の問題になる。

受け手が体癖を知っていて、相手が九種だと分かっているなら「まぁ九種だし、自分がディスっているつもりはないんだから、ここは受け流そう」と考えられるわけですが…
そうでもなければ、喧嘩になったり、嫌われたり。
九種からすれば「なんで?なんで?」ですよね…

そうやって孤独になる九種も割といるのです。
孤独が好きな人が多い九種ですが、その反面、開閉型の愛憎を感受性に持つ体癖でもあります。
「この人!」という人がいると、愛情が分散されずにその人に集中してしまう。
愛が集中するということは、憎しみも集中するということです。
嫌なことをされたら、骨の髄まで憎み切るところもある。

結果として、九種の側が自分の意図なき発言に注意を払う必要があるわけです。
自分と相手のために。

「体癖を学んで、自分から人が離れていく理由が分かりました」
そんなふうに言ってくださる九種の方もいます。

あとは、”どうするか?”
擬態とストローク(心理学で「あなたを尊重していますよ」という態度)をマスターすれば、問題はなくなっていきますね。

その方は、過去からの影響で赤いものを身につけられなくなっていました。
簡単にいえば、幼少期にお母さんが妹さんばかりを可愛がって(いるように見えていて)、それを象徴するシーンでお母さんが赤い服を着ていたから。
催眠に入ると、そんなことまで思い出すのですね。

で、「実は妹さんと同じくらいお母さんに愛されていた」ということを思い出して、「あのときも愛されていた。このときも愛されていた」と愛の記憶をよみがえらせたことで、赤い服が抵抗なく着られるようになった、というわけです。

三種であっても、全員が全員、すくすくとkawaiく育っているわけではないんですよね。
誰にでも、過去はある。
普通の家庭で、普通の暮らしをしていたとしても、その”普通”の中に特殊はあるわけです。

ですので、体癖だけがその人のパーソナリティを決めているわけではないのですよね。
現在は過去の積み重ねでもあるし、未来からの逆算でもある。

それでも、過去の望ましくなかった出来事の意味合いを書き換えたり、目指すべき未来を明確にしてどうやってそこに行き着くのか?を明らかにしていったりすることで、どの体癖でも素晴らしい面が顔を出していきますね。

三種なら、さらにkawaii部分が出てくるでしょう。

二種にはこういう人が多いですね~
「決まりは決まり。規則は規則」という人が。
規則から外れていたら、感情なく排除するようなところがありますね。

四種なら、すごく申し訳なさそうに言うわけです。
人によっては率先して「ちょっと店長に聞いてきますね」なんて言ってくれたりもする。
そういうときの四種は愛おしく感じる。

仕事である会社を訪ねたときに、受付の女性が二人いて、私が見たところ、一人は二種、もう一人は四種でした。
四種の方はすでに他のお客さんの対応をしていて、私は二種の方に行きました。

「○○部の△△さんとアポイントを取っているソシャフィアと言います」と言うと、「はい。少々お待ちください…(社内電話)…△△は今他のお客様を対応中なので、そちらのソファでお待ちください」と、二種。
当然無表情で、”いかにも仕事でやっている”感がかもし出されている…
八種九種で待たされるのが嫌いな私は「人を待たせるんだからもっと申し訳なさそうにしたらいいのに」なんて思っていました。

で、その間隣の四種を見ていると、対応しているお客さんに対して非常に手厚い。
笑顔だし、言葉遣いも美しい。
時々、お客さんの意に沿わないことを言わなければいけないのか、申し訳なさそうな顔を見せる。
「あなたを歓迎しています」というのが見える。
見ていて気持ちがいい。

そうしている間に四種が対応しているお客さんが去っていったのですが、○○課の△△さんはまだ来ない。
「おい、呼びつけておきながらこんなに長い時間(5分くらいw)客を待たせるとは、どういうことだ?」とせっかちな私がイライラしてきた頃、四種の受付さんがお茶を持ってきてくれたのです!
二種の方ではなく!

「お待たせして大変申し訳ございません。△△は間もなく来ますので、どうぞごゆっくりとお待ちいただければと思います」
二種は何をやっているのだろう?と受付の方を見ると、ボーっとしている…

どちらも綺麗な女性だったのですが、どちらの対応の方がより気持ちよく過ごせるか?は一目瞭然でしょう。
二種と四種が並ぶと、華やかさが違うのです。

とはいえ、もし事務をやるのだったら二種の方がそつなくこなすでしょう。
あるいは、管理職をやるのならあまり人に気を遣わず(二種なりには気を遣っているのでしょうが)下からの突き上げより、上からの指示に忠実な二種の方が病まなくて済むかもしれない。

受付という場面だったからこそ四種の方が輝いていただけで、優劣の問題ではありませんね。
体癖別の適材適所が大切、というわけですね。

同じ「楽しい」でも、色々な楽しさがありますよね。
八種の私は人をディスるのが楽しくて大好きです(笑)。

一種は妄想をしたりその妄想話を人に話すとすごく楽しいらしいですし、
二種は安心安全が確保されていれば勝手に楽しくなりますし、
三種は体験・体感で楽しんでいるのが見えますし、
四種は自分を出してもいい人と一緒にいると楽しいようですし、
五種は儲かったり得をしたり「かっこいい自分」にフォーカスできていると楽しいし、
六種は承認欲求が満たされていてのんびりと自分のペースでいられると楽しいみたいですし、
七種は勝っていると楽しいし、
九種は物事に打ち込んでいると「楽しい」という意識はなくても楽しいし、
十種は人の面倒を見ていて感謝されたりすると楽しくなるようですし、素朴なギャグで大笑いしてくれます。

ただ、三種は「楽しい」を察知するアンテナが他の体癖よりも敏感なように見えます。
小さなことでも大きく楽しめるような。

楽しいことがあるとお腹が空きますね。
自律神経の関係で消化器が活発になるわけですが、三種はそういった体の機能が旺盛でよく食べるのかもしれませんね。

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最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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