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不登校は簡単じゃない ~自由と苦労のバランス~
私はスクールソーシャルワーカー(SSW)として、不登校を「不登校だっていいじゃない、人間だもの」と考えている。
学校生活には「なぜ?」が多く存在するからだ。
なぜ、たまたま出会った人たちと同じ教室で何年も過ごさなければならないのか?
なぜ、周りに合わせて行動しなければならないのか?
なぜ、同級生や教師の顔色をうかがわなければならないのか…。
私はその疑問を抱きながら、学校という場所に対して居心地が悪い場所だと感じてしまう。(こんなことを言っていると、SSWとして怒られてしまうかもしれないが)
しかし、もし児童や生徒が「学校なんて行かなくてもいいじゃん」と言うのであれば、私はこう答える。
「それでもいいけど、行った方が絶対に楽だよ」と。
なぜなら、学校という場所ほど「気楽な場所」はないからだ。(ちなみに今回の話は何らかの心身的課題や精神的苦痛を感じている事情での不登校の課題を抱えている方のケース以外として、この後の話はその視点を踏まえて読んでいただきたい)
学校では、時間やスケジュール、座る場所から勉強の内容、使う教材まで、すべてが決められている。給食も出てくるし、イベント事も準備されている。ルールに従う限り、やりたいこともでき、進路も自分の学力に見合ったところに自然に決まっていく。
要するに、学校は先生たちが時間、教材、スケジュール、教室の環境をすべて準備してくれる場所だ。生徒はその中で「決められた場所で決められたことをこなす」ことができる。これほど手厚く整えられた環境で、あらかじめ決められた流れに従って過ごすことほど、簡単なことはない。
もちろん、特性上、決められたことをこなすのが不得意な方もいる。そういった方々にとって、学校での生活はつらいと感じることも多いだろう。しかし、実はそのような人たちにも、無秩序な状態では何もできないという現実がある。「自分の中の決めごと」が必ず存在しており、そのルールに従わないと物事は進まないことに気づく瞬間が来るだろう。
私は以前、ディズニーランドで「マレフィセントの絵を描く」というアトラクションを体験した。そのとき、制限時間は15分ほどだった。最初は「たった15分で絵が描けるのか?」と思ったが、決められたルールに従いながら進めることで、その短い時間でも十分に完成させることができた。無機質な図形から始まり、10分ほどでマレフィセントの形が見えてきて、時間ぴったりに完成した。周りを見渡すと、ほぼ全員が絵を完成させており、完成していない人も、形が整いかけていたことに驚いた。
型にはまったことをするのは退屈に思えるかもしれないが、完成したときに感じる達成感は、予想以上に感動的だった。
では、絵心がない人が誰にも助言されず、一人でマレフィセントの絵を一から描くとしたらどうだろうか? 画材を選び、素材を選び、描き方を調べ、描き始めては描き直し…。同じクオリティの絵を描こうと思ったら、月単位の時間がかかるかもしれない。その過程で迷い、悩み、試行錯誤することになるだろう。
このように、学校というのは将来に向けた「近道」であり、多くの人にとって、この退屈に思える近道をのんびり歩いているうちに、社会に出るための道筋が自然とできていく。この考え方が良いか悪いかは別として、現実としてそうなのだ。
私自身は不登校について、冒頭にも述べたように容認する立場である。しかし、不登校にはそれなりの苦労が伴う。たとえ勉強をしたいと思っても、自分で勉強方法や教材を選び、スケジュールを立てなければならない。修学旅行のようにどこかに行きたいと思っても、計画を立て、調べ、行動しなければならない。さらに、親からの理解も得る必要がある。
また、生活習慣の管理も重要だ。「朝、学校に行く」という当たり前のことがなくなると、どうしてもダラダラと過ごしてしまいがちになる。進路に関しても、誰からも助言を受けることができず、すべてを自分で考え、見通しを立てる必要がある。
確かに学校に行かないことで得られる自由はあるが、その自由を有意義に活用して社会に出る準備を進めるには、大きな労力と時間が必要となる。
さらに、周りからのさまざまな期待—「学校に行ってほしい」「普通の会社に入ってほしい」—に対するプレッシャーを感じながら生活することは、心身にかなりの負荷をかける。無理解や偏見を受けることも少なくないだろう。
不登校になると最も大変なのは、他でもない本人である。学校に行くことは決して簡単なことでは無いこともわかっている。しかし不登校はさらに多くの苦労を伴う。
学校から離れる代償として、計り知れないほどの労力や心身の負荷がかかる。私は不登校を容認する立場であるが、その現実と、本人たちが直面している現在と将来の苦労を少しでも多くの人に理解してほしいと思う。
その苦労をしているのであるから、周囲は同情や批判といったネガティブな感情を抱くのではなく、労いの気持ちを持ってもらいたい。
加えて、もし何らかの理由で不登校になるのであれば、私はその道のりを共に考え、支えていきたいと思っている。時には一緒に遊び、時には一緒に勉強し、時には話し相手となり、時には将来のことを一緒に考えながら、私たちSSWを少しでも頼ってもらえるとありがたい。
不登校でも将来が明るくなるように、いつでもたくさんの灯りを用意して待っている。
文責 新井まこと