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サッカーはレベルが高ければ高いほど魅力的なのか。

前回、このような記事を書いた。ここで述べたのはスポーツにおける"国籍"からの解放であり、生まれた瞬間付随してきてしまうもののようなもの、つまり自分では選びようのないものからの解放だ。

スポーツはまだまだ潜在的なポテンシャルを秘めている。国が、そしてメディアが、これだけスポーツに執着して取り掛かっていると言う事実がそれを物語っている。私たちはスポーツを悪用させない権利を持っているし、スポーツで楽しくいい社会を築いていく権利も持っている。

今回はスポーツのと言いたいところだが、サッカーという種目に限定して、“レベル(機能)“からの解放について書いていこうと思う。

まずこのテーマについて書こうと思ったのは、あとで触れるあるPodcastを聴いたからであるが、前々から個人的に私の中のひとつテーマであった。


下手でも楽しめる、下手でも魅力的である

最初に思い出すのは大学生の時のこと。自分がいたAチーム(1軍)よりもCチーム(3軍)の方がプレーすることを楽しんでいたように私には見えてしまった。“見えてしまった“と書くくらい自分にとっては不都合で不快な経験だったと思う。それはその後の自分の価値観を方向づけた一つの要因である。(もちろん“楽しさ“を1つとっても人それぞれで、ある人がサッカーをしているときに楽しいと感じたことはないけど、一生懸命、真剣に取り組んだ先に楽しさとは違うけど、“いい“と思える瞬間があって、そのためにサッカーをしている的なことを言っていたけどいたけど、それもありだなと思う。)

他にもコーチとして関わったことのある子たち(ジュニア年代)の試合が、少なくとも私にとってはW杯の試合を見るのに匹敵する魅力があった。決してうまくないし、何してんだ!っていうプレーばかりなのに‥、なぜか惹かれるものがあった。そうやって振り返っているとコーチをしていた時の試合をいくつか思い出した。その中には県大会に出た時のこともちろんあったけど、そうじゃなくてあまり上手ではなかった子たち(Bチームと言われるような)の試合もあった。魅力は上手さだけで決まらないということの決定打になった。

ここまで書いてきたことは、ずっと存在してきたがあくまでレベルの低いもので価値の低いものとして一般的に見られてきたと思う。それでも多くの親が子どもの試合を観に行ったり、Jリーグに参戦していないチームにそれなりのファンがついたり、多くの疲れている大人が週末にわざわざ決してレベルの高くない試合をしていたりするのには、そこに多くの人たちが価値を感じているからに他ならない。

ただ私が今回伝えたいのはこういった潜在的にあったこの価値にスポットライトを当てることではない。もっと根本的なレベルからの解放についてだ。


サッカーは高原の見晴らしにきてしまったのかもしれない

話をPodcastに戻す。このテーマについて書こうと思ったきっかけになったのは『スポーツが憂鬱な夜に』というタイトルで、週2回配信されているもののある回を聞いたからだ。このPodcastはまだ始まってそれほど長くはないが、面白い。そもそも話されているテーマ自体がユニークであったり、テーマ自体はありきたりだがその切り口がユークだったりして、毎週新鮮な発見があり楽しみにしている。

その中の一つに、今日のテーマであるレベル(機能)についての話があった。そのことをざっくりまとめると近年、スポーツ(特にサッカー)において機能(レベル)よりも意味が重要になってきたということだ。

かつてプロスポーツクラブの経営においてはなによりもチームのレベル(機能)が重視されてきた。それはレベルに比例して自然と観客数も増え、経済的にも潤うからだ。しかし今の状況はそう簡単ではないようだ。いくらレベルが高くても経営がうまくいかないクラブが出始めている。その理由が面白かった。

「サッカー的なところ(レベル)はいくところまでいってしまっている。」

たしかにそう言われるとそんな気がする。2000年代後半からの約10年はサッカーのトレンドが目まぐるしく変わっていた。スペインのポゼッションサッカー、ドイツのゲーゲンプレス、バイエルンのフィジカル革命(勝手に名付けた)、そしてフランスやレアルのエコロジカルトレーニング。それに比べてここ数年はトレンドと言えるようなものがあっただろうか。近年のW杯やCLのような主要大会を見て大きな変化を感じられただろうか。


ロジスティック曲線とサッカー

ここで思い出したのは成長のS字曲線と言われるものだ。

成長のS字曲線

この曲線がサッカーのレベル(世界トップチーム)の成長の曲線にぴったり当てはまると私には思える。そしてサッカーのレベルは第二の過渡期を迎えて、成熟期に入りつつあるのではないか。


ここでもう一つ思い出すのは、ロジスティック曲線である。これはもともと生物学の用語のようで、ある環境における生物の個体数の変化の様子を表す数理モデルの一つで、その方程式をグラフに表したのがロジスティック曲線である。この曲線も面白いことに成長のS字曲線と同じ形をしている。

(私がこのロジスティック曲線を最初に耳にしたのは見田宗助先生の『社会学入門』。見田はこれを人口の動態に適用し、それをもとに人類の未来について考察したが、大変興味深かった。)

もう一度確認するとロジスティック曲線とはある生物がある環境という有限な資源の中での限界数を表したものといえる。これをサッカーに当てはめると、ある環境とはサッカーが11対11で行われること、105m×68mというコートサイズ、90分間という時間制限で行われること生身の人間の体で行われるということがサッカーというスポーツの環境における有限性を規定している。

このように有限な資源を有限な身体で扱うとなるとどこまでも成長していくはずがないとも考えられる。これほどまでに世界のサッカーの映像が手に入りやすくなり、かつデータ分析(AIの活用を含めて)をしているのに、新しいものが生まれてこないのはおかしい。

そう考えると、「もう既にサッカー的なところはいくところまでいってしまった」という、彼らの考察は正しいと考えざる負えないと私には思える。この資源の中でやれることは出揃ってしまったと考えた方が自然な気がする。もちろんサッカーには不確定要素がたくさんあり、また点数があまり入らないスポーツである以上より一層細部が勝敗を分けるだろうし、そこにはまだまだたくさんの可能性があることは理解している。それでもサッカーというゲームで革命的なことがおきることはもうないのかもしれない。


サッカーのレベルとは

さて、ここでもう少し詳しくこれまでのサッカーのレベルの歴史をさきほどのS時曲線にそって分析してみたい。その前に一つ確認しておきたいことがある。サッカーのレベルの定義だ。正直これは難しすぎるが、ひとまず簡略化してこのように捉えることにする。(おそらくチームの中にはパターンの前にある戦略と言われるものや医療チーム、個人の中には戦術理解度、メンタルなど本当に多くの要素があると思うが、今回はあえてゲームの中に表出してくるものだけに焦点を絞って考えることとする。)


サッカーのレベル

①パターン 

「サッカーに二度と同じ場面は起きない。」これはサッカーというスポーツが比較的広いコートで行われ、かつ11対11で行われる複雑なゲームであることをよく表した言葉であるが、もう少し抽象度を高めて見てみると、似たような状況はよく起きている。アルゼンチンのビエルサという監督に言わせれば125パターンらしい。このパターンと効率的な使用方法が広く普及されたの現代サッカーだと思う。

②フィジカル

プレイヤーには多くの動作が要求される。走れないといけないし、フィジカルコンタクトに負けてはいけないし、不安定な体勢でも正確な技術を発揮できるだけのフィジカルを備えておく必要がある。現代サッカーではそれに合わせた効率的なトレーニングが開発され、サッカーにあった身体づくりが要求されている。それと同時にインテンシティーは高まる一方ではあったがその加速度は減速しているように思われる。

③特殊な技(ドリブルなど)

素人目線で考えれば、このような派手なプレーができる選手が上手い選手だろう。クライフターン、マルセイユルーレット、ヒールリフト、シャペウ、エラシコ。たしかにできることに越したことはないが、使用頻度はかなり低い。それゆえ現代サッカーでは軽視されてきて、シンプルに早くて、強くて、正確なことが求められてきた。しかし特殊な技をもう少し拡大して解釈すると、近年逆にもう一度特殊な技で最後なんとかしていける選手が求められてきている。

④汎用的な技(パスなど)

この技は小学生でもできるインサイドパスとかそういったもの。ただこの精度が現代サッカーはものすごく高まっていると思う。ただこれは選手の能力が昔に比べて上がったからとは言えないのかもしれない。むしろピッチコンディションの劇的な向上により精度が高まったと考える方が妥当かもしれないが、これによってできることは格段と増えた。


サッカーのレベルの歴史

さて前提の確認が終わったところで、ようやくサッカーのレベルの歴史を分析していきたい。便宜上S字曲線を6つの局面に分け、世界史の5区分+1(未来)に対応させて説明してみようと思う。①原始 ②古代 ③中世 ④近代 ⑤現代 ⑥未来。

① 原始 サッカーの原型

サッカーの原型のようなものはイギリスに限らず確認されている。中国の伝統文化に「蹴鞠」というサッカーに近いものが紀元前300年以上前にあったようである。日本にも「蹴鞠(けまり)」としてある程度認知されている。他にもイタリアにも似たようなものがあったみたい。イングランドでは、戦争で勝利した兵士が切り落とした首を蹴って遊んだり、お祭りとして、街全体で行われ、総勢数千人で街の両側にあるゴールにボール(牛の膀胱を膨らませたもの)を運ぶものが行われていた。このようにある程度サッカーの原型の卵が世界にすでに存在していた。


② 古代 FAの誕生

すべての区分の切れ目はあいまいだが、私は1863年のFA(The Football Association)
の誕生を一つの境い目にしたい理由はローカルなルールがある一定の統一的なものになったからである。

これを機に1904年にFIFA(国際サッカー連盟)、1908年のロンドンオリンピックで正式種目となり、1930年に第一回FIFAW杯が開催される。


③ 中世 システム・技の進歩

国際大会が開かれているのは世界史的には既に近代の話かもしれないが、あくまでサッカーのレベルという話でいうと、大きな変化はそれまで見られなかった。

ただWMシステムという新たなフォーメーションが開発され、よりサッカーは一つ上の段階に入った。

WMシステム

その後4-2-4システム、トータルフットボール、ゾーンディフェンスと着実に進歩してきた。

この期間には技術の方も、クライフがクライフターン、ジダンがマルセイユルーレット、ロナウジーニョがエラシコ(もちろん前の時代からそのような技があっただろうが、その技を有名したという意味で)など、技術的(特に③)にある一定のレベルまで向上し切って、①〜④の中で一番早く高原の見晴らしに辿り着いた。

そしてそのようなシステム・技術の進化に伴い、サッカーのレベルは上がり、そのスピードも加速度的に上がってきた。


④ 近代 科学の導入

「サッカーはサッカーをすることでしか上手くならない。」という有名監督の名言がある。しかしその監督も今はそれが間違っていたことを理解し、効率的なフィジカルトレーニングを取り入れている。

このように科学がサッカーに本格的に導入され始め、ある程度データが蓄積されたことでいろいろなことが分かってきた。そのためいち早く新たな島を見つけられたチームが新たな覇権を取れるようになった。しかしそれは科学で導き出したものであって、他のチームにとっても模倣しやすく、すぐにその優位性は失われてしまっていた。それは近代のラストスパートのラストピースであった、フリックのバイエルン・ドイツ代表に象徴されるように一瞬で儚く散りさるのであった。

(リカバリーの向上、ハイブリッド芝・人工ライトを使った芝の養成を含むグランドの質の向上などもあり)

ラストスパート2008〜2018

チャンピオンズリーグw杯
2008 スペイン・バルサ ポゼッションサッカー
2013 バイエルン プレッシング
2015 バイエルン・マンC 可変システム
2020 バイエルン フィジカル革命


⑤ 現代 フランス革命 2016

サッカーが成長のピークを終え、高原の見晴らしに辿り着いたのがいつなのかはっきりとしたタイミングはわからない。だからフランス革命をもじって「フランス革命2016」とさせてもらった。それはフランスに関係するチームがこの時期きっちりと成績を残していたからである。

2016 フランス代表 W杯優勝
2016・2017・2018 レアル・マドリード(ジダン監督 元フランス代表) CL3連覇

ただ何かフランス代表やレアルが新たなことをしたかと聞かれればそうでもない。このチームの特色はこれといったものがない、その特色のなさが特色になった。相手チームや自チーム、また時間や得点差による状況に合わせて戦い方を変える。もちろんこういった戦い方は前々からあったが、そのバリエーションとエビデンスに基づく質の高さは比べ物にならないくらい高くなった。


Podcastの話し手の一人である河内さんが以前こんなことを言っていた。

本当にそうだと思う。そしてその到達点にほとんど到達してしまった。だからこそここにきてまたその科学を超えて一つの哲学があるクラブ・監督の価値が高まっている。

決して群を抜いてレベルが高かったとは言えない、むしろ軽率なプレーもあったアルゼンチン代表が2021・2024年のコパアメリカ、2022年のW杯の優勝といった国際主要大会を3連覇したこと。

2弱点だった部分を科学の力で補い、長所であるポゼッションサッカーが、また生きる形になって、今年のユーロを制したスペイン代表。

またレアルやペップのマンCがコンスタントに成績を残せているのも見逃せない。科学で到達できることはしっかり抑えながらも、それ以上のことをこのクラブはできているからこそ、他のクラブと差をつけ一歩リードできているのではないか。


⑥ 未来 「              」




さてこのような状況をどう解決しようとしているのか、それを次回考えていこうと思う。

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