見出し画像

ワーホリは誰のために存在しているのか。

 ワーホリは誰のためにあるのだろう。
 ワーホリはあまり日本では、肯定的な見方はされていない気がする。ただそれは誰の視点からのどういった価値観をもとにした見方なのだろうか。1 国(受け入れる側、送り出す側)、2 企業(受け入れる側、送り出す側)3 住民(現地)、4 本人の視点に立って、ワーホリの存在意義について考えてみようと思う。


はじめに(ワーホリの目的 本音と建前)

 ワーキング・ホリデー制度とは、二国・地域間の取決め等に基づき、各々が、相手国・地域の青少年に対し、休暇目的の入国及び滞在期間中における旅行・滞在資金を補うための付随的な就労を認める制度です。各々の国・地域が、その文化や一般的な生活様式を理解する機会を相手国・地域の青少年に対して提供し、二国・地域間の相互理解を深めることを趣旨とします。

外務省 ホームページ 

 確かに、青少年に対して異文化の交流の機会の提供といった側面はあると思う。しかし本当にそれだけだろうか。あくまでも推測のところも出てくるが、『少子高齢化=労働力の不足の問題』から少し考えてみたい。

 まず初めに少子高齢化の問題が始まった時期を示す資料を見ていこう。

多くの先進諸国の合計特殊出生率は、1965年前後から低下し、1980年頃までには人口置換水準を下回るまで低下した。

内閣府 ホームページ

 次に、ワーホリが始まった時期を調べてみると、

我が国のワーキング・ホリデー制度は,1980年にオーストラリアとの間で開始されたことに始まり,1985年にニュージーランド,1986年にカナダとの間で開始されました。  その後,1999年4月から韓国,同年12月からフランス,2000年12月からドイツ,2001年4月から英国,2007年1月からアイルランド,同年10月からデンマーク,2009年6月から台湾,2010年1月から香港との間で開始されました。更に、最近では2020年4月からオランダとの開始を発表し、現在は26ヶ国の協定国があります。(外務省ホームページより)

日本ワーキングホリデー協会

 これらの資料で着目するポイントとしては、ワーキングホリデーが始まった時期が、合計特殊出生率が人口置き換え水準を下回るレベルにまで落ち込んだ時期と重なることである。さらに協定国はほとんどが先進国であり、少子高齢化の問題に直面している国が多い。
 ちなみに世界で最初のワーホリは1961年にオーストラリアとイギリスで結ばれている。

 つまり、本音と建前で言うなら、本音が労働力の補完で、建前が青少年の異文化交流なのではないかと言う仮説が考えられる。

 さらにこの仮説を裏付けるものとして、アメリカが協定国に含まれないことである。アメリカは先進国の中で特殊で、現在のところさほど少子高齢化の問題が深刻ではない。高齢者の割合は他の先進国に比べて低い水準を保っている。だからこそ、手軽に取得できるワーホリのビザを発給して、幅広く労働者を集める必要がないのだろう。


 さて、概要を押さえたとこで、次からは4つの視点に立って考えてみたい。まずはじめに「国」からみていこうと思う。

1 国

Ⅰ 受け入れる側

 まずは、受け入れる側についてメリット・デメリットを考えてみる。

<メリット>
 ①労働者の不足を補える

 過疎地域の農場の人手不足対策のため、オーストラリア政府は2005年から2回目の、さらに2019年から3回目[42]のワーキング・ホリデー査証を発給している(希望者のみ)。2006年7月以降、畜産関連作業(羊毛の刈り取り・食肉解体)や林業・漁業に、2008年7月1日以降、採掘関連作業(採炭・金属鉱石採掘など)や建築・建設(土木工学建築・建築施工など)にも拡大し申請者が増加していた。なお、2回目のワーキング・ホリデー査証を発給するにあたり、それまで「季節労働」としてきた条件が・採掘と建築、建設が追加されたことで「指定された仕事」という呼称に変わった。

Wikipedia

 ワーホリのビザを使って、労働する人ができる仕事は限られている。もちろん中には、手に職がついている方もいるはずだが、大半の人は、自国民があまり望まないであろう仕事をしなくてはならない。そのため自国民にとっては好都合である。

②税収入が増える
 国内で働いてくれるということは、その分税金を納めてくれるということである。ただ北欧の国では、低所得者に対しての税率がより低く設定されているため、そこに対してのメリットはあまり考えていないのだろう。

③観光業への貢献
 働いた分のお金を観光をして地域に落としてくる。これは地域経済を活性化させる。

<デメリット>

① 地域住民からの苦情
 文化の違いや若者特有の問題、人口過多による問題などでトラブルが増える可能性がある。

② 自国民の失業率の増加
 受け入れ人数が増加しすぎると、失業率が増加する可能性がある。ただ国としては、多少失業率がでても、労働者に仕事を選ばせないくらいの買い手市場にしたいと考えるだろう。


Ⅱ 送り出す側(日本)

<メリット>

① 若者への異文化交流の機会の提供

② 労働力の提供の見返り(推測)
 正直本当のところはわからない。ただ私のニュージランドでのワーホリの経験から考えられることを記したい。

 まず事実として、チェリーとキウイフルーツ関係の仕事をしたが、それらのフルーツの中での一級品は、日本、中国、韓国に送られている。他にも乳製品も多く送られている。他には日本車のシェアの割合も新車、中古車ともに高い。

 この二つの事実から、見返りとして優先的に日本にメリットとなることをしていると言う結論を導くには、あまりにもデータ不足であるが、私は多少あるのではと考えている。

<デメリット>

① 労働力の流出
 近年、大きな問題になっている。同じ単純仕事をしていても、2倍の収入が得られるのであれば、そちらで働きたいと考えるのは、普通のことだろう。先進国である日本は逆に受け入れたいはずだが、送り出す方が多く、日本の第二次産業の部分やサービス産業の部分で労働力の不足が徐々に深刻さを増している。


2 企業

Ⅰ 受け入れる側

<メリット>
⚪︎労働力の確保(短期)
 季節労働者といった、ある時期だけたくさんの人を雇いたい企業にとっては、とても好都合である。具体例をあげると、果物の収穫時期だけ、収穫してくれる人、包装してくれる人といった多くの労働者が必要だが、それ以外の時期は必要がないため、短期の採用にしたいという企業は多い。人件費の節約と規模の拡大に貢献している。なおかつ先ほども述べたが、自国民が好んでやりたがらない仕事に取り組んでくれている。

<デメリット>
⚪︎ワーホリ労働者に依存
 メリットがデメリットを大きく上回ると思うが、ワーホリの人たちに「依存」してしまうということはある。コロナ禍にはワーホリのビザの発給を著しく制限したため、少なくない企業が倒産したと聞いた。

Ⅱ 送り出す側(日本)

<メリット>
⚪︎ないに等しい
 強いて言えば、外国語を話せる人材の確保?ただほとんど、期待してない。ワーキング“ホリデー“というくらいで、あくまで休暇扱いで捉えている企業も多い。

<デメリット>
⚪︎労働力の流出
 「国」のところで述べた通りだが、資料を見てみようと思う。

NIKKEI TOTAL SOURING 「人材不足が深刻化する製造業。データからわかる離職理由と人材確保対策」

経済産業省の2017年12月の調査によると、製造業の94%以上の企業で人手不足が顕在化していると回答していることから、ほとんどの企業が人手不足に陥っている実態がうかがえます。

 これに加え、サービス業、特にコンビニなどのチェーン店ではよく海外のスタッフを見かけるように日本人だけでは、今の社会を成り立たせることが不可能になっている。調査会社の帝国データバンクによると、約85%の飲食店がパート従業員の不足に悩んでいる。それにもかかわらず、若者が海外へ出て行ってしまっている現状に怒りを覚えている経営者も多いだろう。

3 住民(現地)

<メリット>
① 異文化との交流
② 家賃収入
 企業の部分に重なってしまう部分もあるが、より“住民“という視点に立って考えてみたい。ニュージーランドで働いているが、私は地元の人のお宅の一室を借りて生活していたことがある。2つの家庭にお世話になったが、1つ目の家庭は、まだ小学生の子どもが2人いた。その父親が言っていたのが、「ニュージーランドはアジアとの取引でビジネスをしている人が多い。実際外国語を習うとしたら、アジアの言語を習う人も増えてきている。君たちが来てくれることは子どもたちにそういった言語に触れる良い機会だと思っている。」のように、異文化交流?(少し下心がありすぎかもだけど)のいい機会になっているし、私は2人で週280ND(25000円程度)支払っていたので、大きな収入にもなっていたと思う。もう一つの家庭においてはより地価の高い地域ということもあったが、週350ND(32000円程度)支払っていて、なおかつもう一部屋貸していたため、月換算で、最大279000円の収入になる。実際にこの収入にあてに、より大きな家を購入にしている家庭も多そうに感じた。

<デメリット>
① 海外の人との摩擦
 国よっては海外の人がたくさん地域に入ってくることを好ましく思っていない人も多い。

 NHKが20年に行った調査では、外国人労働者を増やす必要性に賛成した人は約70%に上ったが、自分の住む地域で外国人を増やしてほしいかどうかという質問ではその割合が57%に下がった。
 ただ、米ピュー・リサーチ・センターが19年に発表した大規模調査によると、移民に対する日本人の認識は国際的な異常値ではない。「移民が国を強くする」という見方を支持する割合は米国と同じ59%だった。

Bloomberg 【コラム】外国人の日本移住、思う以上に進んでいる-リーディー

 それに比べて、ニュージーランド、オーストラリア、カナダといったワーホリ大国では、国民がワーホリの人たちを受け入れることでのメリットを十分理解するとともに、実感しているのだろう。

② 貧困層の生活の圧迫
 資本を持っている人たちにとっては、労働力の確保や家賃収入になるだろうけども、一方で貧困層は家賃や物価の高騰で苦しんでいる。相対的貧困の割合が高まっている国は少なくないだろう。ニュージーランドもその一つだと感じた。


4 本人

<メリット>

メリットは巷に出回っているので、簡潔に書いていきたい。
① 一次情報に触れられる
 おおよそのことはインターネットや本で調べたら、分かるし、見れる。ただそれはあくまでも二次情報であり、それを作成した者が意図して切り取った一部分にすぎない。実際に身体を通して味わったことは、情報をとして写真や動画、言葉にできること以上のものが、経歴に還元されずに残るものが、それに価値(社会的な価値ではない)を見出す人にとってはきっとあるはず。

② 住める
 ワーホリの制度がなかったら、海外に住むという機会は一部の人にしか開かれていないことになる。住むという経験は、旅行とは違う。季節の変化を味わい、地元の人たちの日々の生活により目を向ける機会を提供してくれる。

③ 移住のファーストステップ(5/5追記)
 今のところ移住したいという気持ちは、全くない。ただワーホリをする人の中で一定数の人が永住権の取得を望んでいる。日本に生まれたけど、日本に合わなかった人ってそれなりにいると思う。「日本に生まれたんだから、日本で一生暮らすのが当たり前だろ!」と言われるのはそういう人たちにとってとても苦しいはずだ。もとより私たちの多くは生まれた町ではない町に暮らしている。それをただ国外に拡大したに過ぎない。自分に合った地域を見つけ、そこに住める世界の方がずっといいと個人的には思う。

ただ少し思うのは、自分たちで自分たちの暮らしを良くしていくという方向性とは違うということ。ネガティブなポイントをあげると、どちらかというと人任せで、嫌なところはやらない。たぶんそれが行き過ぎると、多くのものを失うとも思う。

<デメリット>

① 経歴にはならない
 企業の人事ではないので分からないが、企業のⅡで書いた通り、ワーホリでの経験を考慮しない、または休暇扱いとして考える企業の方が多いのかもしれない。そのため経歴づくり、市場価値の向上、キャリアアップを主とした目的の場合、意識して、語学・知識技能に関しての経験を積める環境を選ぶ必要がある。

② 寂しい
 友達がいない場所に飛び込むわけなので、友達づくりがうまくいかなかった場合寂しい思いをする人は少なくないだろう。

③手続きの手間
 ビザ、保険、マイナンバーのよう車の購入、仕事探し、家探し。



結論

 「ワーホリは誰のために存在しているか。」その答えはわからない。ただ1つ言えるのは、ワーホリのビザを取得した本人のためだけでもなく、異文化交流のためだけでもないということ。そこに国や企業の思惑が入り込み、複雑に絡み合っている。

 マクロな国という視点では、基本的に受け入れる側のメリットが大きいはずであるが、そうであればもう片方の国がわざわざ協定を結ぶとは考えにくい。ここは私の推測だったが、何かしらの見返りの約束が執り行われているのだろう。

 もう少しミクロな視点で見た場合だと、企業・本人どちらとってもメリットが大きかった。ただ当事者として思うのは、搾取されていると感じてしまうということ。日本で働くよりも高い給料をもらい、海外に住める経験をもらえても、どうしてもこの関係を、winwinだとは考えられない。

 そんなことを言えば、「お前の能力不足が原因だろ。」「もし雇用がなかったら、君は海外に住むという経験ができないではないか。」という声が聞こえてきそうだ。確かにそうかもしれない。でも、でも、それでも納得できない。

 少しワーホリとは少し外れてしまうが搾取ということから考えてみると、

 ニュージーランドには近隣の小さな島々の国から、出稼ぎに多くの人たちが来ている。子どもを含めた家族を置いて。その数ヶ月分の稼ぎは確かに自国では大金だろう。でも、その人たちは子どもと過ごす貴重な時間を相当失っている。

 発展途上国の発展を倫理的な面から願わない人はいないだろう。ただ発展しすぎて、日本を通り越し、反対の立場になることを願う人は少ないだろうし、そこまでいかなくても、出稼ぎに来てくれなくなる、または現地にある日本の工場で働かなくてもいいくらいまで発展されるのも良く思わないと思う。ただそれは倫理的な面から矛盾している。

 私たちは、奴隷に嫌悪感を示す一方で、マイルドな形になった奴隷扱いのようなものに鈍感なのではないか。

自分は使われている人間だということを自覚した上で、独立を決意するべきだという自己啓発はたくさんあります。それが意味しているのは、労働者から資本家になれということです。そうすると結局、誰かを搾取する立場に変わるだけです。

現代思想入門 千葉雅也


 この搾取の構造から、完全に逃れることは現代社会では難しいしが、そもそも完全に逃れる必要もないのだろう。この構造がもたらしてくれる良い面だってあるはず。少なからず私にワーホリという制度を作り海外に住むという経験を提供してくれたし、このあと世界を回る資金作りに一役買ってくれている。

 ただこの構造から個人的にできるだけ距離を取りたい。あとは全ての人がこの構造の中に入ることも、外れることも自由にできる社会になってほしいと思う。

 WWOOF というサービスがある。これは、World Wide Opportunities on Organic Farmsの頭文字からきており、参加者は主に農場で無給で働き、「労働力」を提供する代わりに「食事・宿泊場所」「知識・経験」を提供してもらうボランティアシステムこと。

 私は何度かこのシステムを利用させてもらったが、とても印象の残るホストがいた。彼らはもちろん、多少は労働力として私のことを見ていただろうけど、それは主たる目的ではなかった。いやな仕事を押し付ける訳でもなく、共に働き、休憩時間もゆっくり設けてくれた。夫の方が少し早めに家に戻り、エスプレッソマシンでコーヒーを淹れる役割だった。出来上がると口笛で知らせてくれて、ゆっくり戻り玄関の扉を開けた瞬間、コーヒーのいい香りが私を毎回迎えてくれていた。少し寒い日なんかは、薪ストーブをつけてくれていて、家に戻る途中に煙突からモクモクと出ている煙の姿と香りが、「あ、自分のために用意して待っててくれてるんだな。」と感じられて好きだった。

 この時間はきっと搾取の構造から距離を取れた時間だった。でも、完全にではない。安い給料で長時間労働しているコーヒー農家さんが作ってくれたコーヒーを飲んでいるのだから…



 分からないけど、搾取する側もされる側も、ビジネス的なお金でのつながりもボランティア的なお金なしのつながりも、みんながそれぞれの立場をやる。そこに各個人の濃度というか配分が違っていたとしても。

 純化されつくした<愛の絶対境>は、ほとんど極限の理念としてか、限定さた接続の内部の真実としてし一般に存在しない。どんな交響体も、現実の集団として年月を接続してゆく限り、そして抑圧の共同体に添加するのではない限り、さまざまな願望たちの間に折り合いをつける、ルールの関係の補助的な導入を必要とする。
 反対の極の方から考えてみると、どのような空間的に、あるいは関心的に遠い他者でも、突然のように、純粋な交響性の火花のようなものが走る瞬間に打たれてしまうことがある。それはその都度、圏域が変動したのだと考えておくこともできるが、われわれはすべてのもとの間にこのような不可視の交響性の予め潜勢しているものだと考えてみることもできる。あるいは、このように潜勢する様相というべきものが、<尊重する他者>たちの様相の連合体の存立の普遍性を可能なものとして、どこかで下支えしているのだと考えてみることもできる。

社会学入門 見田宗介


いいなと思ったら応援しよう!