見出し画像

車窓から見える人たち

自分以外の人がいる。その人たちが同じ時間を違う景色を見たり、違うことを考えたりして過ごしている。そんな至極当然のことがこの上なく不思議に感じてしまう瞬間がたまにある。

つい先日、新大阪から博多へ、そして数日後に博多から新大阪に戻り、さらに新大阪から静岡へ、新幹線で移動した。お金はあまりないが、時間はあったので、JTBの格安チケットとぷらっとこだまを使い、たらたらと、いや新幹線だから、たらたらという表現がふさわしいかは分からないが移動した。せっかくの長距離移動、しかも飛行機みたいに窮屈な席でなく、新幹線のゆったりした席で移動できるのだから、本を準備して、その時間を何気に楽しみにしていた。しかしなんだか当日はとても疲れていて読もうとしていた本も大して読めずに、高速で過ぎ去る外の景色をただただ眺めていた。

窓の外から見える景色はどれも似通っていた。駅に近づくとビルやマンションが立ち並び、駅から離れていくと住宅街が広がり、もっと離れると田んぼや畑が広がっている。そしてまた住宅街になり、駅に近づくとビルやマンションが見えてくる。

その繰り返しに少し嫌気がさしてきた頃だった。不意に冒頭で書いたような感覚に襲われた。それは多分焦点が景色から人に移動したからだと思う。

いわゆる都市にある、U字溝を大きくしたような、流れている水は浅いのに、大雨に備えて水深の何倍もある、土手と呼んでよいのか分からない、コンクリートの壁に囲まれたところを流れている川のそばを蛍光色のウェアに白色のキャップを被っている男性に目が止まった。その後も買い物をしてきたのか、黄色のエコバックのようなものを持って歩いているおばちゃん、なぜか後ろ向きで歩いている小学生などに焦点があっていった。



こういう感覚になった時、何も知らない人の家をいきなり訪問して、家の中にどんなものがどんな風に置いてあるのか、そこの人たちが何をして過ごしているのかを見てみたいと思う。もちろん、それを実行したことはないが、そういう気持ちになる。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?