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あなたたちは成功者です。

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今回は「体育とスポーツ」に続きスポーツ原理という授業で印象に残った話を書きます。

今回のテーマは「スポーツにおける暴力」です。
スポーツ指導における言葉の暴力、体罰っていつになってもなくならない。でも絶対になくさないといけない問題です。

そもそも学校や教育の場にスポーツが導入されたのは、スポーツによる暴力の封印が理由です。
人間に内在する攻撃性(≒暴力性)をスポーツルールという一定の枠組みの中でのみ許すという社会的飛び地として、スポーツが学校や教育の場に広がりました。

日本には明治以降、将来の支配階級・エリートとしての、行動様式や思想形式を形成する目的で日本の旧制高等学校にスポーツが普及しました。
猛練習を乗り切ることにより精神力を鍛えること、学校の名誉のために徹底的に勝利にこだわる姿勢が評価されます。
これは今の学校部活動の考え方の根本になります。

以上からスポーツに攻撃性があること、学校部活動に勝利が求められるようになった背景が分かります。

ここからは「なぜ体罰はなくならないのか」を書きます。

平成25年にある大学で競技活動における体罰・暴力に関する調査が行われました。

そこで私が1番驚いたことは

「運動部活動、競技活動の指導において、体罰・暴力は必要と思いますか。」という質問に44%の人「時には(一定の条件で)必要である」と答えたことです。

そして講義を受けたのにも関わらず、講義後の感想で「やっぱり口で言っても伝わらないときは一つの手段として体罰・暴力は必要だと思う。」と書いた学生が私の学校に何人もいたことに驚きました。その中の多くの人が体育教員や指導者になりたいと思っています。

ここで先生がおっしゃた言葉が、題名にもした「あなたたちは成功者です」という言葉です。


なぜ体罰がなくならないのかは、体罰を経験した選手による「過去の経験の美化」が背景にあります。
この「過去の経験の美化」とは、あの指導があったから今の自分があるのかも、この結果があるのかも。と思ってしまうことです。

しかし、これは「成功者の論理」で体罰・暴力を受けたことで活動を離れた人もいます。

スポーツが好きでこれからもスポーツに関わる仕事がしたい、指導者になりたいなどなど様々な形でスポーツに関わろうとしている私たちは、これが当たり前ではないことを理解しなければなりません。

指導者になる人の多くが「成功者」であるため、運動部活動や競技活動において体罰・暴力がなくなりません。

指導者と選手には歴然とした権力関係があります。
しかし権力関係を信頼関係と勘違いしてしまうことから、信頼関係があるから体罰が許されると思ってしまう事例もあります。

指導者だけの問題ではなく、スポーツに関わる全ての人がスポーツを文化として根付かせるためにスポーツ界から暴力をなくさなければなりません。

どれだけ勝利としての結果が残っていなくても、今は選手でなくても私は成功者です。

しかし、体罰・暴力でスポーツを離れた人たちが「失敗者」だというわけでは決してありません。

成功者は特に自分が当たり前だと思ってはいけないのです。
全てを美化してしまってはいけないのです。

皆さんの近くに指導者との関係に悩む選手がいたら、おかしいと声を上げていいんだよと伝えてあげてほしいです。

スポーツは指導者のためにあるのではなく、選手のためにあります。

指導者の顔色を窺ってプレーする選手が少なくなればいいなと思います。そして、暴力や体罰を受けてスポーツが嫌いになってしまう人・スポーツから離れてしまう人がいなくなってほしいです。

最後まで読んでくださりありがとうございました。

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