見出し画像

序|四角い空

なるべく言葉を急がずに、誰の得にも損にもならない文章を書きたいと思います。

私はせっかちで忘れっぽくて、いつもちょっと喋りすぎてしまうから。

ツイッターというメディアはけっこう好きなのだけど、いつのまにか140文字にカスタマイズされた思考しかできなくなっている気がして怖くなった。もう少しゆっくり考えたい。

本当は、自分の書いた文章を読まれるのは、すごく恥ずかしい。なんなら裸を見られるよりも恥ずかしい。だって言葉っていうのは、身体よりもっと内側、心と呼ばれるあたりから生まれるものだから。否応なくその人自身が出てしまうし、虚栄も嘘もバレてしまう。

だけど、もっと怖いのは、私の考えてきたことが、誰にも知られないまま消えてしまうことだ。生きた痕跡を残そうとすること。それが言葉を紡ぐということなのだと思う。人は文字を生み出したその日から、きっとそうやって何かを伝えようとしてきたのだ。

***

自分の存在が消えてしまっても世界は何不自由なく回っていく、ということを知ったのは、20歳の誕生日の直前だった。

ある日突然、全身が突然パンパンにむくんで、病院へ行った。


ネフローゼ症候群、という病気だった。


私は何もかも置いて(モノも、人間関係も、未来の予定も)、約3ヶ月間を病院の個室で過ごすことになった。

その時の私はたぶん、病棟で一番若くて元気な患者だったと思う。なんせ周りはおじいちゃんおばあちゃんばかり。薬が効けば痛くも苦しくもなく、空っぽの時間だけがたくさん手に入った。

私は看護師さんたちが呆れるくらい大量の本を親に持ってこさせ、白いベッドの上でいつまでもいつまでも読んだ。毎日のように日記をつけた。まるで、言葉を読んだり書いたりすることでしか救われない、と初めから細胞が知っていたかのように。

ありがたいことに、お見舞いに来てくれる人はたくさんいたし、何人かの友達は私がいないと寂しい、と言ってくれた。それでも、窓の向こうの世界は、私がいなくたって何の問題もなく存在する。この世界のどこかに、私の居場所なんてあるのだろうか?

そんなことを、特に悲観するというわけでもなく、普通に感じながら毎日を送っていたような気がする。

そのことを知って、どこか安心したのも確かだった。私ごときが何かを背負って辛い思いをしようと、自由気ままに生きようと、この世界は大丈夫。だから、必ず幸せになろう。

どこへでも行けるようになった私は、どこへも行けなかったあの日の私と約束をした。

長い3ヶ月を終えた後も、病は私とともにある。ときどき再発しては、私を世界から断絶する。だから私には、いつも絶対的な居場所なんてない。いつでも世界とサヨナラする準備をしている(このへんの刹那的?な感情は、最近ちょっと変わってきてはいる)。だけどそれは、けっして悲しいことなんかじゃない。誰にでも起きうる普通のことだ。この世界が永遠ではないことを知っているから、なおさら今の幸せを感じることができる。それをとても幸福なことだと思う。

今でも思い出すのは、病院の廊下から見える四角い青空。

それは、切り取られているからこそ、手が届かないからこそ、とても美しかった。私には私の目しかないから、そんなふうに世界を切り取って見ることしかできない。ときには見えていないものの多さに愕然としても、そうやって見たものが美しければそれでいい。それは諦めなんかじゃない。

私の存在なんて消えてしまってもかまわない。
それでも、何かを残しておきたい。
そして、毎日を幸せに生きたい。
あの日からそう願い続けている。

時間が経って、病は大事な心の重石というか、支えともいえる存在に変わりつつある。そこから見える悲しみもあれば希望もある。もうこのことについては話さないけれど、これから書くことには多かれ少なかれ影響してくると思う。

***

さて、今度は少し、窓を大きくしてみます。
今まで書けなかったことも、ゆっくり言葉にしてみようと思います。

それでは、また。

毒にも薬にもならない文章ですが、漢方薬くらいにはなればと思っています。少しでも心に響いたら。