それは突然差し込んだ光のようだった
難病を持つ自分が、障害者メディアに関わるということは、なんというか、突然思いがけず差し込んできた光だった。
それまで、病気があることは、社会人として生きていく上での障害でしかなかった。再発を繰り返しても、普段は元気だし大丈夫だ、と言い聞かせてやってきたけれど、働きだしてから初めての再発(昨年12月)がきっかけになって「もうこれは、病気を受け入れざるを得ないな」という良い意味でのあきらめが出てきた。あきらめたら気は楽になったけど、それはマイナスが0になっただけだったんだと思う。
そんなときに出会ったのが、障害者の生き方や働き方を紹介する雑誌『コトノネ』。
最初は「障害者福祉」なんて、自分に縁のない世界だと思った。けれど、紙面を読んでいくうちに、まさに生き方や働き方に悩んできた「自分がやらなくてどうする」という気持ちに変わっていった。
病気や障害は誰もが当事者になり得るし、誰もが名前はつかなくても何らかの「生きづらさ」を抱えている。本来なら、そこにはひとつひとつ固有の人生があるはずなのに、私たちはつい病気や障害という壁の手前で立ち止まって、その奥にある多様さや豊かさを見ようとしない。この雑誌の上では、病気や障害でしかなかったはずのものが、ひとりひとりの人生として朗らかに輝いていた。そのことに、大きな勇気をもらっている自分がいた。
「こういう本をつくりたかったんだ」と、そのとき初めて思った。
パーソナルな問題をパブリックに解決する
私の中で、本をつくるということは、物語や演劇にまつわる体験とつながっている。
詩や小説や演劇は、一見とても個人的な表現を通して、普遍的な世界を見せてくれる。一度そんな表現に触れてしまうと、その出来事や状況が「自分には関係ない」と思うことができなくなる。「パーソナル」から「パブリック」への移行、と言ったらいいだろうか(そういえば、演劇は観客というpublic〔大衆〕の前で演じられるものだし、出版もpublishだ)。そして、そういう物語には往々にして、弱くてどうしようもない人間たちが登場する。
弱さについて考えていたら、昔からなぜか好きで、どうしても捨てられなかった一冊の本を思い出した。『ねずみの騎士デスペローの物語』という本。最近、この物語を好きな理由がちょっと分かった気がする。
主人公のデスペローは、他の兄弟より小さく、耳だけが極端に大きくて、母親から「絶望」という意味の名前をつけられたハツカネズミ。その小さなねずみが、人間のお姫さまに恋をして、彼女を地下牢から救い出す物語。
デスペローは病弱だし、すぐに気絶するし、ねずみらしい振る舞いも全然できない。でも、愛する人を想い「ゆうかんになるんだ」と自分に言い聞かせながら、騎士の剣ならぬ針を腰に差し、暗い地下牢へ降りていく。
他の登場人物(?)も魅力的だ。地上の光にあこがれる地下の住人ドブネズミ、父親に売られた先で虐待を受けながら「いつか自分もお姫さまになるんだ」と信じている女の子。誰もが、どうしようもない弱さと闇とを心に抱えながら、かなうはずもない願いに身を焦がしている。でも、それぞれの人生が重なり合ったとき、弱さが強さに、闇が光に変わるのだ。
一番素敵だと思うのは、この物語の結末が、単純な「めでたしめでたし」では終わらないところ。ねずみのデズペローは人間の姫とは結婚できないし、ドブネズミの心は歪んだままだし、召使いの女の子はお姫さまにはなれない。個人の中の問題はなにひとつ解決せず、願いもかなっていないのに、ちゃんと幸せになってしまう。そして、それぞれがそれぞれのやり方で、ちゃんと誰かを救っていく。たしかにそれは「めでたしめでたし」なのだ。だから、ひとりひとりは弱くてどうしようもないのに、この物語はかぎりなく強く、優しい。私たちもそんなふうに、弱くて不器用でも、幸せになったり、誰かを救ったり、できるのではないか。そう思わせてくれる。
少し話がそれてしまったけれど、物語には、たったひとりの登場人物の生き様から、普遍的なメッセージをひきだす力がある。何かの媒体を通じて伝えられる個人の人生も、きっと同じだ。
私は、誰かのパーソナルな生き方を、パブリックに伝えていきたいのだと思う。それと同時に、自分のパーソナルな生きづらさを、パブリックな手段で解決していきたいのだと思う。詩も小説も書けないし、演劇もできないけれど、言葉を通してなら何かできるかもしれない。
私が体験した貴重な「生きづらさ」は、自分の中だけに閉じ込めておいちゃいけない気がする。それによって、今までの自分と、大切な人たちの生きづらさが、少しでも軽くなったらいいと思う。
病気を患った人が、病気や障害について発信する仕事につくなんて、ありがちなストーリーだと思われるかもしれない。でも、私にとってここまでの道のりは長かった。そしてこれからの道のりも、まだまだ遠い。
まだまだ書きたいことはあるけれど、今日はこのへんで。
「弱さ」研究はつづきます。
毒にも薬にもならない文章ですが、漢方薬くらいにはなればと思っています。少しでも心に響いたら。